第21話 ティンカーベルからボストロールに進化しようとも、可愛いものは可愛い

「ふーん……。おじさん達、テリノベの編集者じゃないね?」


 テリオール・ノベルズの講習会に参加していた少女はそう言うと、不敵な笑みを浮かべる。

 テリノベ、とはテリオール・ノベルズの略だろう。


「……分かってしまうか?」

「まぁね。私、ミステリー作家志望だから。けっこう人を見る目があるんだ」


 少女は得意げに片目を瞑る。

 編集者に扮していた副団長とムスカリは、少女に声をかけた。テリオール・ノベルズの内情をより深く知るためだ。

 三人は近場のカフェに入っていた。


「私はマリー。十四歳よ。新聞社主催の短編コンテストに応募したら、テリノベから講習会参加のお知らせを貰ったの。出版社から声を掛けられるなんて初めてだったから、すっごく嬉しかったんだけど……はぁっ、とんだ肩透かしだったわ」


 マリーと名乗った少女は、口の端を下げるとがっくりと肩を落とした。


「何があったんだ?」

「編集の人から、『スペックが高い男から、盲目的に愛される平凡な女の人の小説を書け』って言われたの。……もう私、頭にきちゃって。どうしてミステリー小説の短編コンテストに参加したのに、そんなことを言われなきゃいけないの?」

「それは……」

「知ってる。見た目が良くてお金持ちの男の人から溺愛される女の人の話は売れるんでしょ? まったく、世の中腐っているわ」


 そう言うと、マリーは目に涙を浮かべる。

 十四歳という若さで、大人の欲望を満たすものを書けと迫られた少女。副団長は思った。


 (うちの娘達と大して歳の変わらぬ少女が、大人達の食い物にされようとしているなんて……)


 腹にふつふつと怒りの気持ちが湧いてくる。

 夢と希望に溢れているであろう年頃の少女に、大人の事情をぶつけるなど、あってはならないことだ。


「すまない。嫌な想いをさせたな」

「しょうがないわ。編集の人達はそれが仕事だもの。私だって、下に弟がいるの……。弟を上の学校にやるにはお金がいる……。売れるものを書かなきゃ作家にはなれないわ」

「ご両親は?」

「父は去年死んだわ。今は母が頑張って働いていてくれてるけど……」


 マリーは家族を養うため、作家になろうとしていた。

 だが、作家になる為には大人の欲望を満たす小説を書かなければならない。


「私、嫌なの。お金持ちの顔の良い男が、都合よく平凡な女の人を好きなる話なんて書きたくない。だって、そんなことあるわけないじゃない! 馬鹿みたいよ……。 おじさんだって、平凡な女の人なんか好きにならないでしょ? 綺麗な人が好きなはずだわ」


 マリーの嘆きに、副団長は懐から一枚の小さな厚紙を取り出す。そして、テーブルの上にスッと置いた。


「なにこれ……? 写真? このおばさん、誰?」

「うちの奥さんだ」


 副団長は眼鏡を取ると、胸ポケットに入れていたハンカチで度のないレンズを拭く。

 素顔を晒した副団長を、マリーはまじまじと見つめる。


「うっ、嘘でしょ……? こんなに太った冴えないおばさんが、おじさんの奥さん? おじさんなら、もっと綺麗な女の人と結婚できるでしょう?」


 写真に映った妻は、肉を刺した長いピックを両手で持ち、歯を見せて笑っていた。化粧はしておらず、その顔には眉毛すらなかった。髪も雑に後ろでまとめているだけだ。

 家族皆で南方地域にキャンプへ行った時の写真で、妻は動きやすい格好をしている。補正下着などはもちろん身につけてはいない。


「おじさんの奥さんは絶世の美女ではないが、おじさんは今でも奥さんのことを可愛いと思っている」

「樽みたいな身体してるけど……」

「樽みたいで可愛いだろう?」


 副団長の斜め上をいく性癖に、マリーはなんとも言えない顔をした。


「おじさん、すっごい美形なのに女の人の趣味は変わってるんだね……。あっ、奥さんが良い人とか?」

「良い人かどうかは分からんが、一緒にいて飽きない女性ではあるな」

「ふぅん、おじさんはお金持ちそうだしカッコいいけど、綺麗じゃない女の人を奥さんにしたんだね……。そんなこと、本当にあるんだ」


 マリーはレモネードの底をマドラーでかき混ぜながら、唇を尖らせる。


「なぜ、俺が金持ちだって思う?」


 メガネは値が張るものだが、だからと言って平民が手が出ないほどではない。

 副団長は編集者に扮するため、あえてサイズが合っていない服を着ている。シルエットは野暮ったく、金持ちには見えないだろうと考えていたのだが。

 副団長の質問に、マリーの瞳がきりりと輝いた。


「……威厳だよ」

「威厳?」

「立ち振る舞いに言葉使い、成金には出せない威厳をおじさんから感じる。おじさんはお金持ちの家に生まれて、良い教育を受けて良い服を着て生きてきたんでしょ? 私、分かるよ」

「……なるほど。さすがミステリー作家志望だ。人を見る目があるな」


 副団長の言葉に、マリーは初めて笑顔を見せた。


 ◆


 マリーの後ろ姿を見送る、副団長とムスカリ。


「成人すらしていない少女に、大人の欲望を満たす小説を書かせようとするとは。想像していた以上に闇が深いな」

「ある意味、貧困層の救済とも言えるかもしれません。売れるものが分かっていれば、少ない労力でそれなりの金が手にできるでしょうし」

「だが、あの子はミステリー小説を書きたがっている。ミステリー小説の短編コンテストに参加した者に、三文恋愛小説を書かせようとするなんて、間違っていると思わないか?」

「副団長殿の仰る通りだとは思いますが……世の中、綺麗事だけでは生きていけません」


 ムスカリは難しい顔をして、首を横に振る。


「それに俺がモデルとなった小説が量産されるのも気にいらない。なんだ、『人を寄せ付けない冷徹な騎士』って。こちとら対人が苦手なりに必死に頑張っているのに」

「副団長殿、任務に私情を挟むのはどうかと……」

「……分かっている」


 (子どもができてから、どうも感情的になりやすくなったな……)


 昔はもっと、自分はクレバーな人間だったと副団長は考える。だが、妻子ができて徐々に考え方が変わってきた。


 副団長は懐から、写真を取り出した。


「あ、それは……奥様の」

「実は写真は二枚あってな」


 副団長は、先ほどマリーに見せた方ではない写真をムスカリに手渡した。


「これは……」

「うちの奥さんは、この写真に差し替えろってうるさいんだ」


 もう一枚の写真には、美しく着飾った副団長の妻の姿があった。まだ二十歳かそこらで、首まわりもパフスリーブから覗く腕も細っそりしている。小さな顔を縁取る巻き毛と、大きな瞳が印象的な愛らしい女性だ。


「奥様はこんなにも可愛らしい女性だったのですね」

「うむ、妖精ティンカーベルのようだと思ったな。今ではすっかりトロールの親玉のようになってしまったが……。だが、トロールもトロールで可愛いだろう?」


 副団長はムスカリに同意を求めたが、ムスカリは曖昧に笑うばかりだった。

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