第19話 は? 俺?

 テリオール・ノベルズ社がある建屋は、よくある二階建ての屋敷であった。

 建屋の表と裏、二箇所ある出入り口には、屈強そうな警備員が立っている。


 (いやに警備が厳重だな……)


 やはり変装をしてきて正解だったと副団長は思った。

 しばらく出入り口の観察を続け、出入ではいりしている編集者らしき男達の様子を窺う。

 中へ入っていった男達と同じように通行証を警備員に見せると、あっさり門を通してもらえた。

 なお、この通行証はムスカリの古巣である特務部隊が偽造したものだ。諜報と暗殺を行う彼らは、潜入技術に長けている。


 印刷技術が向上し、王都には新興の出版社が乱立している。編集者の出入りは激しいとムスカリから聞いていたが、どうもその通りのようだ。警備員は編集者の顔をいちいち覚えてはいないらしい。

 屋敷の一階に入った副団長は、短くため息をつく。


「はぁ、警備はガバガバだな……。おかげで助かったが」

「まぁ民間企業の警備など、どこもこんなもんでしょう」


 ノーカラーシャツにサスペンダー付きのスラックスという、王都で暮らす中流層の装いをした副団長とムスカリは、薄暗い廊下を見渡す。

 副団長は度なしメガネの縁を掴むと、それを軽く引き上げる動作をする。


「……何か声が聞こえるな。奥からか」


 廊下の奥から男のものらしき声が聞こえる。


 二人は音を立てないように廊下を歩き、声がする部屋の様子を窺う。扉の上部には四角い窓がついていた。そこからそっと中を覗く。


 (人が集まっている?)


 部屋の中では学校の教室のように、小さな机が並べられている。そこの席に着いているのは子どもではなく、どうも大人の女性達のようだ。パッと見た感じでは、年齢はバラバラで、まだ成人したばかりの若そうな女性もいれば、白髪混じりの女性もいる。


 (……タイピスト達か? いやでも、機械がない)


 出版社なら専門のタイピストが複数人いてもおかしくはないが、机の上には機械がない。

 一体これはなんの集まりなのか?

 副団長が首を傾げると、壇上にいた男が喋り出した。


「この宗国では女性の社会進出が著しいですが、ペーパーバックの恋愛小説を好む女性達は、必ずしもバリバリ働くことを望んでいるわけではありません!」


 壇上にいる男の強い語気に、副団長は扉から顔を離した。


 (これは……?)


 もう一度扉の窓から中を覗く。

 すると女性達は、皆熱心にメモを取っていた。


「働く女性達がなぜ、ペーパーバックの恋愛小説を買うのか。それは現実逃避のためです。……本当は働きたくない。社会的地位が高くて金を持っていて、外見も良い……そんな男に一方的に想いを寄せられ、攫われたい。……一時でもそんな甘い夢に浸るために、ペーパーバックを買うのです」


 どうも売れるための恋愛小説講座……のようなものを、やっているようだ。集まった女性達は作家候補なのかもしれない。


 (……これだけの一般女性が集まっている。今、騒動を起こすわけにはいかないな)


 ここで荒事が起これば、女性達に被害が及ぶかもしれない。


「ムスカリ、一旦引き上げるぞ」


 今日のところは引き上げよう。副団長がそう判断した、その時だった。


「理想のヒーロー像ですが、本日ピックアップするのは王立騎士団近衛部隊の副団長です」


 (……はっ?)


 壇上の男の言葉に、副団長は足を止め、扉の方を振り向いた。


 ペーパーバックの恋愛小説に出てくる、理想のヒーローが、自分。

 さっさとこの場をずらからないといけないことは分かっているが、気になる。

 これから話されるであろう内容が、ものすごく気になる。


「副団長殿、帰らないんですか?」

「シッ!」


 小声で話しかけてくるムスカリを制止し、副団長は扉に耳を近づけた。

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