第17話 ああやって笑い合える伴侶が欲しい

 (リモーゼ侍女長……。なんだか機嫌が悪そうだったな……)


 リモーゼの態度に、副団長は眉尻を下げる。

 元々好かれてるとは思っていなかったが、ああも露骨に冷たい態度を取られてしまうほど、表立ってなにかやらかしたとは思えない。

 ……と、考えたところで、色々思い出す。


 (いや、……まぁ、心当たりはあるが)


「あら、旦那様」


 リモーゼとほぼ入れ違いに、妻がやってきた。

 にこにこと笑顔を浮かべて、こちらへ向かって手を振っている。副団長も、無言のまま手を振り返した。


 (……安定して俺に優しくしてくれるのって、奥さんだけなんだよな)


 我が子テレジアを含め、女はどうしてああも態度や機嫌にムラがあるのか。口に出して文句は言えないが、げんなりする。


 (……それに比べ、我が妻の安定感よ)


 妻はよっぽどのことがない限り、笑顔で自分を出迎えてくれるのだ。

 妻が激昂しているところなど、出会ってから一度ぐらいしか見たことがない。

 約十七年前、先王陛下に勝手に結婚を願い出て、王命で結婚することになった時は、それはもうこってり叱られたが。

 個室に呼び出され、

 『なんで私に一言も相談もなく、勝手に結婚を決めてきちゃうんですか!?』と涙ながらにこんこんと説教された。

 あの時はすべてが終わったと思ったが、最終的には、自分と夫婦として上手くやっていく選択を取ってくれた妻には感謝しかない。



「元気がないですねえ。どうかされましたか?」

「リモーゼ侍女長にすげなくされてしまった……。俯いたまま挨拶を返されてしまってな」


 妻は曲げた人差し指を顎に当てると、う〜んと唸り出した。そして、自分なりの答えを導き出す。


「俯いたまま……う〜ん……。旦那様があまりにも素敵なので、目を合わせていられなかっただけでは?」

「さすがにそれは……考えがお花畑すぎやしないか?」


 たぶん、妻は本気で言っている。

 楽観的な彼女の考え方は良いと思うが、リモーゼが聞いたら確実に呆れるだろう。

 やんわり否定すると、妻はぽってりした唇を尖らせてこう言った。


「そんなことないですよ。私だって、旦那様が素敵過ぎて目を合わせるのが恥ずかしいなぁって思うことが、たまにあるぐらいですから」

「そうか……そうなのか」


 妻は明後日の方向から、自己肯定感を爆上げしてくれるようなことをいつも言ってくれる。

 だから、副団長は妻のことが好きだった。

 嬉しい気分にさせてくれる人に、好感を持つのは当然だ。


 (他の女性じゃ、こうはいかないだろうな)


 やれ、他の侍女に絡まれてうるさくしているからだろ、とか、何かやらかしたのではないか、とか、正論で責め立てられそうだ。


「君は俺を責めないんだな」

「そりゃそうですよ。旦那様は分かっていらっしゃるんでしょう? リモーゼさんがなぜ、機嫌を悪くしているのかを」

「……まぁな。心当たりはある」

「なら、私の役目は一つですわ。旦那様の沈んだ気分を少しでもマシにすることです」


 妻は得意げに胸を張る。


「……なるほど」

「あっ、でも、嘘じゃないですよ! 旦那様が素敵すぎて、目を合わせるのが恥ずかしいのは」


 妻は頬を染めて、顔の前で手を振っている。

 その様子がおかしく思えた副団長は「ふっ」と笑い声を漏らした。


 ◆


 (羨ましい……)


 仲睦まじい夫婦の姿を、物陰から見つめる者がいた。

 近衛部隊の団長、クリスティアンだ。


 (私にもああやって笑い合える伴侶が欲しい)


 貴族の結婚は仕事のようなものだと分かってはいても、いざ仲の良い夫婦を目にすると羨ましくなる。


 (副団長は確か二十一歳で結婚したと言っていたな……。結婚から十五年以上経っても、奥方様とあれだけ仲が良いなんてすごいな)


 騎士は王族や貴族の警護につく都合上、図らずも夫婦仲の実情を知ってしまうことがある。

 社交の場では妻の手を取り、その甲に口づけを落としているような紳士でも、他に愛人がいるなんてことはザラだ。また、妻側にも若い男の愛人いることも珍しくない。


 愛のある結婚なんて幻だと、クリスティアンは長年そう考えてきたが、副団長夫妻を見て考えが変わった。

 副団長夫妻は人前でベタベタするようなことはないが、二人で話している姿がとにかく微笑ましいのだ。

 

 (他愛のない会話ができる伴侶、か……)


 ふと、リモーゼが書いた小説の内容を思い出す。

 あれからクリスティアンはリモーゼの作品の虜になり、刊行作品をすべて集めた。今では暇さえあれば彼女の小説を読んでいる。

 リモーゼの小説は、どれも男女のやりとりを丁寧に描いていた。派手な出来事や不穏な展開は一切起こらないが、それでも飽きずにするすると読み進めることができる。


 (あんなに素晴らしい作品をいくつも世に出しているリモーゼ殿は、きっと心が清らかな女性なのだろう)


 いつしか、リモーゼが描く小説のヒロインと彼女自身を重ねるようになった。

 クリスティアンはリモーゼを女性として意識しつつあった。

 職場恋愛はトラブルの元だと分かっているが、リモーゼの小説を通して彼女を想うのは止められそうにない。


 (……正直なところ、脈はあると思う)


 物語を読んで泣くのはいつぐらいぶりかとリモーゼに伝えると、彼女は「楽しんでいただけたようで、よかったです」と言い、笑ってくれたのだ。きっと彼女も、心から作品を楽しんでくれている自分に好感を抱いているはずだ。


 リモーゼの笑顔を思い出すと、クリスティアンの胸は跳ねた。

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