第16話 どれも今、聞きたくない言葉

「リモーゼ殿、読ませていただきましたよ! 『雪鈴草の約束シリーズ』!」

「クリスティアン団長」


 この日、リモーゼは浮かれた様子のクリスティアンに呼び止められていた。


「いやー、久しぶりに号泣しました。物語を読んで泣くなんて、いつぐらいぶりかな……」

「楽しんでいただけたようで、よかったです」


 リモーゼは貼り付けたような笑顔をクリスティアンへ向ける。


「リモーゼ殿、才能ありますよ! これだけ文才があればいつか売れるようになりますから、諦めないでこれからも頑張ってください!」


 両手に拳を作り、自分を励ましてくれるクリスティアン。彼のその言葉に、リモーゼは仮面のような笑顔を浮かべたまま、密かにこめかみをぴくりと動かしていた。


 (才能……諦めないで……頑張れ……。どれも今、聞きたくない言葉だわ)


 リモーゼは自分では、文章を書く才能などないと思っている。才能のなさを補うため、彼女は日々血の滲むような努力を重ねていた。

 世界観に違和感が出ないよう時代考証のために本を何冊も買い、登場人物に深みを出すために心理学の勉強をした。脇役の一人一人のバックボーンを考えるが、時には登場人物の性格を掴みきれず、悩みすぎて眠れないこともあった。


 (頑張ったのに……それでも売れなかった)


 世の中は非情だ。

 苦労して書いた人間戯曲ドラマよりも、平凡なヒロインがあり得ないぐらいハイスペックなヒーローにいきなり見初められる話の方が受け入れられてしまう。

 読んだ後にあれこれ考えさせられる話よりも、スカッとハッピーエンドになる話の方が人気なのだ。


「……ありがとうございます、クリスティアン団長」


 リモーゼは暗い気持ちになりながら、クリスティアンへ向かって頭を下げる。


 クリスティアンと別れたリモーゼは、一人で王城内の廊下を歩いていたが、向かいから人が歩いてきているのを見、顔を上げた。


「……閣下」


 癖のない黒髪を軽く後ろに流した男がそこにいた。近衛部隊の副団長である。


「リモーゼ侍女長、今お帰りですか? お疲れ様です」


 柔和な笑みを浮かべる傾国の美男に、リモーゼは苛立ちを覚える。


 (……思えば、一年と二ヶ月前、この人が王城へやってきてからおかしくなったわ)


 金髪碧眼のきらきらしい団長と、黒髪深緑目の酷薄そうな副団長。近衛部隊のトップ二人の顔面偏差値の高さに世の女性達は沸いた。

 特に副団長の人気はすごい。「見た目は冷徹そうなのに、話してみると普通の人」「意外と面倒見がいい」「子煩悩なお父さん」とのギャップがウケている。

 それは出版業界にも影響を与えていて、冷徹な騎士が平凡なヒロインに一目惚れして盲目的に愛する話の本がどっと増えた。

 ごくごく普通の男女が出会い、愛をゆっくり育む系の話を書くリモーゼにとって、副団長は邪魔な存在であった。

 


「……お疲れ様です、閣下」


 リモーゼは俯くと、副団長と目すら合わせず、挨拶だけ口にする。

 そして、つかつかと歩き去った。


 ◆


 侍女服から私服に着替えたリモーゼは、街へ降り立った。

 表通りを歩く彼女は、そわそわと周囲に首を巡らせる。


 (リットさん、まだ来ていないのかしら)


 今日はリットと会う約束をしていた。

 リットは、たまに王城に制服を納品しにやってくる青年で、リモーゼは彼に少なくない好感を抱いている。

 前回一緒にお茶をした際に、リットはまだ未婚で結婚を約束した相手もいないという話を聞き、彼女は思い切ってデートに誘ったのだ。


「リモーゼさん!」


 しばらく待っていると、慌てた様子のリットがやってきた。


「すみません、仕事が長引いてしまって」

「ううん、いいんですよ。私も今来たところですから」


 (ああ、リットさんの声を聞いて、彼の笑顔を見ているだけで、癒されるわ……)


 仕事の帰り際、近衛部隊の団長と副団長に出くわしてしまい、もやもやしていた胸の中が晴れていく。


「今からどうします? 俺、女の人と一緒に出かけたことってほぼ無くって。一応色々調べてきたんですけど、リモーゼさんが行きたいところがあれば合わせますよ」


 (リットさんって不思議だわ……)


 王城で騎士を見慣れているリモーゼでも、リットのコミュニケーション能力は高いと思う。ここまでコミュニケーション能力が高ければ、とっくの昔に結婚していてもおかしくはないと思うのだが。


 (よっぽど職人さんって出会いがないのね……)


 リットから四十三歳の同僚が結婚した話を聞いていたリモーゼは、そう脳内補完した。


「ではリットさん、少し街を歩きませんか?」

「そうですね、良さそうなお店があったら入りましょうか」

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