第15話 面の皮一枚の出来で、人の価値は決まらない
「……迎えに行くのが遅かったかな」
「ふふっ。託児所でたくさん遊んで、疲れてしまったのかもしれませんね」
副団長の腕の中では、末っ子長男のエミリオがすやすや寝息を立てていた。ふわふわ癖っ毛の、息子の栗毛髪を撫でてやる。
妻は困ったような笑顔を浮かべながら、幼い息子の寝顔を覗き込む。
「今日は騎士団の寮へ泊まっていくか?」
妻子が暮らす母子寮は、男子禁制で副団長は入ることができない。ぐっすり眠った息子を抱えて帰るのは大変だろうと、副団長は妻に提案した。
「あらっ、ありがとうございます。助かりますわ」
妻の表情がパッと明るくなる。
「エミリオ、良かったわね。今夜はお父さんのお家に泊まれるわよ」
妻は副団長の腕の中にいるエミリオに小声で話しかけるも、息子が起き出す気配はない。
副団長が息子の愛らしい寝顔に目を細めた、その時だった。彼は何かを思い出したのか、ハッと顔をあげる。
「あっ、そういえば……」
「はい?」
「リットはどうだった? 一昨日、様子を見に行ってくれた……」
「ああ!」
副団長は今更ながらリットのことを思い出す。
妻に、酔い潰してしまったリットの様子を見に行ってもらうように頼んでいたのに、肝心なことを聞いていなかった。
「旦那様と呑めて楽しかったと言ってましたよ。夢みたいな時間だったと。良かったですね」
「そうか、最後までリットに気を遣わせてしまったな……」
「そんなことありませんわ。リットはとても嬉しそうでしたし」
リットは気の良い青年で、裏表がない。
接していて気持ちいい人間だった。
それなのに、自分だけが独り者になってしまったと嘆いていた。
「リットは良い奴だ。裏表がなくて、誰とでも仲良くなれる。なんでリットみたいな男が三十も半ばになって独り者なんだろうな?」
「……リットは良い人ですけど、自分から積極的に女性に迫っていくタイプではないのでは? 男性は消極的だとどうしても縁遠くなりますから」
「そうか……」
「今まで良い縁談もあったみたいですけど、リットは断っていたみたいです。……相手が、可哀想だって」
リットには、顔面を覆うような吹き出物ができている。彼は、相手が自分の顔に嫌悪感を抱くのではないかと気を遣い、どれだけ良い縁談があってもその場で断ってきたのだと妻は言う。
「……面の皮一枚の出来で、人の価値は決まらないのだがな」
「国宝級の面の皮をしている旦那様に言われても、説得力がないですよ……」
副団長の言葉に、妻は苦笑いした。
「そうだろうか? 人間性が良いからって肌が綺麗になったり、目鼻立ちが良くなるわけではないぞ。事実、俺の内面はろくでもないからな」
副団長は抱き抱えたエミリオを起こさないよう、しっかりお尻の下を手で支えて時折軽く揺さぶる。
外套越しにも、子どもの体温が伝わってきてぽかぽか温かい。
「……内面がろくでもない人が、そんなに抱っこが上手なわけないですよ」
「? ろくでもない人間でも、子どもの世話ぐらいするだろう。野にいる獣だって、自分の子どもを育てているだろうが」
◆
副団長とその妻は、騎士団の寮の部屋へ辿り着く。
部屋の前まで来ても、エミリオはぐっすり寝入っている。
副団長は、リビングにあるヌック内にエミリオを寝かせた。彼は息子に布団をかけてやりながら、妻に問う。
「今から食事を取りに行くが、なにか食べたいものはあるか?」
「ありがとうございます。白身のお魚が食べたい気分ですね〜。エビでもいいですけど」
「分かった」
妻の要望を確認すると、副団長は外套を翻しながら部屋から出ていった。
そして三十分後──。
「これしかなかったぞ」
トレーに料理を乗せた、副団長が帰ってきた。
白い湯気がたつエビ入りの白い餡掛けに、白身魚が乗った蒸し野菜、息子が好むスティック状の根菜や、細長いパンもある。
「これしかなかった」と副団長は言ったが、妻子の好みをこれでもかと反映させた夕飯がそこにはあった。
「まぁ! 美味しそうですね!」
「食べ終わって余力があったら、シンクに食器を置いておいてくれ。戻ってきたら俺が洗う」
「旦那様は召し上がられないのですか?」
「俺は今から夜勤だ」
「今から夜勤……? 大変ですね」
「ああ、近衛は若い父親が多いからな……。なるべく夜は帰らせているんだ」
以前の王城勤めの騎士は、妻子と別居することが半ば義務づけられていたが、副団長が副団長になって以降、三歳児以下の子がいる家庭に限り、王城勤めの騎士達も妻子と暮らせるように就業規則が変わった。
だが、問題は夜勤である。
妻子と暮らせても、夜勤ばかりではあまり意味がない。
「家で寝てばかりいる父親では、妻子の印象はよくないだろう。だから俺がなるべく夜勤に入るようにしている」
「えっ、ええ……。だ、旦那様はいつ寝てるんですか……?」
「早朝勤務の騎士達が来たら寝てるぞ? 陛下のブランチの時間に合わせて起きるが」
動揺する妻に、あっけらかんと副団長は答える。
「お疲れ様です……。子ども達のこととか、なにかできることがあったら私を頼ってくださいね?」
「もう頼っているぞ? いつもありがとう」
玄関口でブーツを履き直しながら「戸締りはしっかりな」「エミリオが朝まで起きないようなら、俺が風呂に入れるから」と妻にあれやこれや指示を出すと、副団長は王城へと戻っていった。
◆
部屋にひとり、妻が残される。
冷めないうちに食べようと、テーブルの上にエビ入りの白い餡掛けの皿を置く。
「わぁっ、美味しそう!」
つやつやの餡掛けに、スプーンを差し入れる。
湯気がたつ餡掛けの下は白いご飯だ。
発展著しいこの宗国には、日々色々な国の料理が入ってくる。好奇心旺盛な妻は、あまり見たことがない料理に空色の瞳を煌めかせた。
「おいし……」
スプーンを口に入れたその瞬間、頬が落ちるかと思った。白い餡掛けにはエビの他にもカニのほぐし身がたっぷり入っていて、口のなかいっぱいに海産物の旨みが広がる。
(旦那様は「これしかなかったぞ」と仰っていたけれど、私が好きそうだと思ってこれを選んだのよ。絶対!)
メニューのチョイスにそこはかとない気遣いを感じる。
こんなことができる人が「内面はろくでもない」ワケがないと妻は思う。
(むしろ人が出来すぎている……。旦那様は自己評価が低すぎるのよねえ)
これからは、もっと夫の自己評価が上がるような声かけをしなければと心に決めながら、妻はスプーンをどんどん口へ運ぶのであった。
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