第13話 事件のにおい

 主君マルクからペーパーバックを渡された副団長。彼はしぶしぶ、ぱらりと薄いページを捲る。

 そして三十分後──。


「ああ、これは……確かに」


 副団長の切れ長の目から、一筋の涙がこぼれ落ちる。彼はすべらかな頬を濡らすそれを指先で拭うと、瞼を閉じ、ほうっと息をはいた。

 侍女長リモーゼが書いた小説本は、ある国で暮らす傷痍軍人の男とその妻の日常を描いたものだった。

 派手で目立つ展開は特になく、悲しい出来事も起こらない。ただただ、年若い夫婦が支え合って生きている。その様が丁寧に綴られていた。


 (……自分も、こんな時期があったな)


 結婚から二年近くが経った頃、はじめて妻と王都で同居した。喧嘩をしたこともあったが、協力しあって暮らす日々は楽しかった。

 そんなことを思い出していると、マルクからツッコミが飛んできた。


「……なんでだよ」

「えっ、なにがですか?」

「なに綺麗に泣いてんのさァ! 美形は泣き顔も綺麗なんですかそうですか」


 マルクはむうっと唇を尖らせている。

 

 (なにか気に入らないことでもあったのだろうか?)


 副団長が首をかしげた、その時だった。

 謁見の間にあるベルが、がらんごろんと鳴った。

 副団長とマルクは顔を見合わせる。


 謁見の間の壁にはベルがいくつか吊り下げられており、それぞれに赤色や青色などの色とりどりのリボンが取り付けられている。

 揺れたリボンやベルの音で、ある程度呼び出しの要件が何なのか分かるようにしてあるのだ。

 なお、今揺れたリボンの色は青。

 王ではなく王の護衛官に要件がある際、このベルが鳴らされる。


「いいよ。出て、兄上」

「はっ」


 マルクの許しを得た副団長は、玉座がある上段から降りると、侍女達が給仕の際に使っている通用口へ近づいた。

 副団長は扉を開けることなく、その向こう側へと声をかけた。


「……なにごとだ?」

「副団長殿、ムスカリでございます。お伝えしたいことがありまして」


 扉の向こうにいるのは元特務部隊所属の、現近衛部隊の斥候を務めるムスカリだった。

 ムスカリは顔を見なくとも、その声の主が副団長だと分かったらしい。

 扉の小窓を開けると、確かにそこにはムスカリがいた。


「ムスカリなら通してあげてよ、兄上」


 玉座からマルクの声が飛んでくる。

 副団長は短く息をはきだすと、その扉を開けた。

 長く艶やかな黒髪を首の後ろで一本にまとめた、長身の男がそこにいた。


「なにかあったのか?」

「はい。特務から気になる報告がありまして。副団長殿のお耳に入れた方がよいと思い、こちらまで参じました。……副団長殿、その手にあるのは?」


 副団長の手にはペーパーバックがあった。

 ムスカリはそれをまじまじと見ている。


「侍女長が書いた小説本だ」

「……! さすが副団長殿。ご存知でしたか」


 ムスカリの顔がパッと輝くのを見て、副団長は即否定した。


「いや、俺はなにも知らない。このペーパーバックはクリスティアン団長からお借りしたものだ」

「クリスティアン団長の私物……では、偶然ですか」


 ムスカリの声のトーンがあからさまに落ちる。

 クリスティアンは近衛部隊の団長になってから一年以上になるが、月日が経つほど部下からの内心を下げている。理由はひとつ、人当たりだけはいいが、騎士としては無能だからだ。


「……実は特務から、新興の出版社テリオール・ノベルズが不正を行っているのではないかという報告がありまして」


 特務部隊は王都でも街中に詰所がある関係で、平民からも相談ごとや不正の報告を受けることが多い。


「どんな不正だ?」

「はい。販売数を偽っているのではないかという疑惑が出ています。たとえば……今、副団長殿が手にしている侍女長が書いた小説『雪鈴草の約束シリーズ』ですが、すでに同一シリーズが六冊もでていて、新刊も五刷されています。それなのに、新聞に掲載されているペーパーバックの売り上げランキングに作品シリーズ名が今まで一度も載ったことがないのです」

「……それは、他のペーパーバックがもっと売れているだけではないのか?」


 副団長はペーパーバックがどれほど売れるものなのかを知らない。侍女長リモーゼの小説が同一シリーズで六冊出ていると言われても「ああそうなのか」としか思わない。


「……調べたところ、女性向けの恋愛小説が大半を占めるペーパーバックは、単巻がほとんど。増刷もほぼかからないようです」

「すごーい! リモーゼの小説、めっちゃ売れてるじゃん」


 ムスカリの報告に、マルクはぱちぱちと拍手する。


「……はい。なので、テリオール・ノベルズ社でペーパーバックを出している侍女長が、騙されている可能性があるのです。テリオール・ノベルズは、売り上げを過小報告して、印税をねこばばしているのかも」

「それは放ってはおけないな。脱税をしている可能性も高そうだ」

「兄上、なんとかしてあげてよ」


 マルクの命に、副団長とムスカリは頷いた。

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