第12話 なにコレ、くっそ泣けるやん!!

「うぉぉんっっ、おんおんっっ! ひぐっっ、うぐうぅっっ!」

「…………」


 詰所内にある事務室の、その一番奥の席で金髪碧眼の美丈夫が片手で口をおさえている。おんおんと嗚咽を漏らす彼のもう片方の手には、ペーパーバックがあった。

 そんな咽び泣く彼を、冷ややかな目で見つめる男がいた。


 (……殴っていいだろうか?)


 副団長である。

 彼の手には分厚い書類の束があった。


「クリスティアン団長」

「ぐすっ……な、何だ?」

「休憩時間に小説をお読みになられるのは勝手ですが、泣くのはやめてもらえませんか? 事務室に訪ねてきた部下が見たら、うざ……不安に思いますので」


 ばりばりの管理職である彼らは、休憩時間でも事務室を出ない。火急の報告が入ることもあるので、事務室に残ることが多いのだ。

 今日も夕方に学校がえりの娘達の相手をするため、副団長は休憩時間もせっせと事務処理をしている。

 すぐ斜め向かいでおんおん泣かれては、迷惑この上ない。

 クリスティアンはぐすりと鼻を鳴らす。


「すまない……。あまりにも感動的な内容で、感情を抑えられなくなった」

「その本、たしかリモーゼ侍女長が書いたとか……」

「そう! リモーゼ殿が書いた小説だ。はっきり言おう。彼女は……天才だと思う」


 クリスティアンは、真っ赤に腫れた目をキラキラさせる。


「へえ、どんな話なんです?」


 副団長から見れば、侍女長のリモーゼは細かいことに気がつく一方、小言が多い厄介なお局様だ。正直なところ、苦手だった。

 そんなリモーゼが書く小説。なんとなく、小難しいものを想像していたのだが、クリスティアンが口にした小説の概要は少し意外なものだった。


傷痍しょうい軍人の男と、その妻の生活を描いたものでね。夫婦の何気ない日常の様子が描かれているんだが、これがもうものすごい表現力で、まるで自分が傷痍軍人の男になったような気がするんだ……」


 傷痍軍人とは、戦争において負傷し、障害を負った軍人や軍属者のことを言う。


「傷痍……なかなか重そうな内容ですね」

「いや、語り口がやわらかいからか、とても読みやすいよ。君にも貸そうか?」


 クリスティアンは引き出しを開けると、中からペーパーバックを一冊取り出した。表紙を見るに、今、彼の手元にあるペーパーバックと同じもののようだ。


 (……語り口がやわらかいと言ってもな)


 普段、クリスティアンは難解な兵法の本もさらりと読んで要約している。彼が読みやすいと言っても、すぐに信用はできない。

 副団長は士官学校時代、学徒動員をさせられていた影響であまり学がなく、今でも難しい本が少し苦手なのだ。

 しかし、上官が本を貸してやると言っているのに無下にすることなどできない。


「……お借りしても?」

「いいよ!」


 副団長は自分から借りたいと申し出た。もちろん、義理である。本意ではない。

 クリスティアンは後半年ほどで退役するとはいえ、裕福な子爵家の当主となる。心証を損ねることは避けたい。王立騎士団は、彼の実家から毎年多額の寄付金を受け取っている。代替わりしても寄付金を送り続けてほしい副団長は、貼り付けたような笑顔でペーパーバックを受け取ったのだった。



「あっ、そろそろ時間ですね」


 クリスティアンからペーパーバックを一冊受け取った副団長は、壁掛け時計を見上げる。

 謁見の間へ向かう時間が近づいてきていた。

 彼らは交代で宗王マルクの警護をしている。


「いってらっしゃい。今日は午後からの来客予定はないから楽だと思うよ」


 部下におすすめの本を貸せたクリスティアンは、ご満悦な様子で副団長を送り出した。


 ◆


 (……面倒なことになったな)


 クリスティアンから、リモーゼが書いた小説本を受け取った副団長は眉尻を下げる。

 借りたからには感想を言わねば、読んでなかったことがバレてしまう。

 しかし、読む気が起こらない。そもそも副団長は切ない・泣ける系の小説があまり好きではないのだ。


「兄上、いらっしゃい!」


 謁見の間に入ると、玉座から手を振る宗王マルクの姿が見えた。

 主君の顔を見た副団長はピンと閃く。


 (陛下は恋愛小説がお好きだったな)


 午後の来客予定はないが、宗王の務めとしてマルクは夕刻まで謁見の間に篭り続ける。

 きっと退屈するに違いない。


 (侍女長が書いた小説を差し入れれば、喜んで読んでくださるに違いない)


「陛下、今暇ですよね?」

「暇って……。主君に対してもっとなんかこう……別の言い方ないの?」


 直球すぎる副団長の質問に眉根を寄せつつも「……まぁ暇だけど」とマルクは言葉を続ける。


「クリスティアン団長から小説を勧められたのです」

「はーはー、なるほどなるほど。上官から本を勧められたけど、読む気になれないから僕に押し付けて感想だけ聞きたいと?」

「さすが陛下。仰るとおりです」

「はぁ……。まったく、兄上は主君を何だと思ってるの?」


 嘆息するマルクに、副団長はさらりと言ってのけた。


「そうですね……。厄介ごとを気軽に押し付けられる都合のいい実家のような存在だと思っております」


 副団長は非番の際、末っ子長男のエミリオを妻から預かっているのだが、体力的に丸一日四歳児の面倒を見るのがキツいこともある。そんな時は王城へ行き、マルクとエミリオを会わせる。

 エミリオは叔父であるマルクのことが好きなので、彼の顔を見れば「おじうえと遊ぶぅ!」と騒ぐ。マルクもマルクで甥姪を溺愛しているので、遊びたいと騒ぐ甥を放ってはおけず、預かる。

 副団長にとって、マルクは都合のいい祖父母宅のようなものだった。


「…………そう」

「いつもありがとうございます。エミリオと遊んでいただいて」

「エミリオは可愛いからね……」


 マルクは目の下を暗くすると、死んだ魚のような目をした。忖度の「そ」の字もない副団長の発言に、呆れすぎて何も反応できないのだろう。


「まあ、クリスティアンおすすめの小説を読むよ。どうせ暇だしぃ?」

「ありがとうございます。読んだら感想をお聞かせください」

「りょーかい!」




「ぶおおおんっっ!! ぶおっっ、ぶおおおおんんんっっっ!!」


 マルクが、リモーゼが書いた小説を読みはじめて三十分が経った頃、彼はいきなり大粒の涙を流し始めた。

 震える両手でペーパーバックを持ち、咽び泣くマルク。鼻の穴からも大量の水が流れ出ていた。

 副団長はサッとマルクにハンカチを差し出す。

 マルクの激しい泣きっぷりに、副団長は引いていた。


「陛下、どうされたのです? そんなブサイクな顔でいきなり泣き出すなんて……」

「ブサイクちゃうわ!! うっうぅっっ、なにこれぇ……もう超泣けるしぃ……!」

「そんなに泣けるんですか……。クリスティアン団長も泣いてましたけど」

「いや、泣けるっしょ! やばいってこれ!」


 (そんなに泣けるのか……)


 余計に読みたくないと副団長は思う。

 しかし、マルクは読まないことを許さなかった。

 彼は悪い顔をすると、副団長にペーパーバックを差し出した。


「兄上も読んでみ? ほんの数ページでいいからさぁ」

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