第10話 スパダリ副団長にお持ち帰りされたモブ領民は夢から覚める

「リット、おはよう。気分はどう?」


 朝、目覚めるとリットは見知らぬ部屋にいた。

 高い天井にふかふかの広いベッド、目の前には困ったような笑顔で微笑む女性がいた。


「テレジア様……?」


 リットがかすれた声でそう呼ぶと、長いまつげに縁取られた青空色の瞳が瞬いた。


 (ちがう……)


 リットはすぐに間違いに気がついた。目元は呼んだ相手にそっくりだったが、髪の色や体型が違う。自分と同年代の女性がそこにはいた。


「お嬢……」

「ふふっ、そんなに長女テレジアに似ていた?」


 自分の顔を覗き込む、その人はテレジアの母親──副団長の妻だった。リットは額をおさえながら上体を起こす。


「……目元とか声とかテレジア様にそっくりですね、さすが親子だ」

「あらあら、嬉しいわ。ねえ、お水飲む?」

「いただきます」


 水が入ったグラスを渡されると、リットはそれを一気に飲み干した。

 グラスの水を、勢いよく煽るリットの姿を見ていた副団長の妻は、また眉尻を下げる。


「ごめんなさいね、昨夜は遅くまで主人に付き合わせちゃったみたいで」

「昨夜……ああ」


 (そういや、旦那に誘われて高そうなバーに行ったな)


 酒もつまみもびっくりするぐらい旨かった。

 副団長やバーのマスターからチヤホヤされたのもあり、どんどん酒がすすんでしまったことを思い出す。

 部分的にはっきり思い出せないこともあるが、夢のような時間だったのは確かだ。


 (旦那はかっこよかったなぁ)


 副団長は、自分がその昔、思い描いていたような大人の男そのものだった。余裕があってスマートでかっこいい。あまりにもかっこいいのでリットが誉めると、「騎士は人に見られるのが仕事だから」と彼は言っていた。騎士が女性達から人気があるのも頷けた。


「すっごい、夢みたいな時間でした。旦那が色々話を聞いてくれて……酒もつまみも旨かったですし。めっちゃ楽しかったです」

「本当? そう言ってもらえてありがたいわ。主人は気にしていたのよ『呑ませすぎてしまった』って」


 副団長の妻は、副団長に頼まれてリットの介抱に来ていた。リットはベッドサイドに置かれた四角いメモの存在に気がつく。

 小さなメモには緻密な文字で、リットの住まいの場所が分からず、しかたなく近場の宿に連れてきたこと、着ていた服は皺になってしまうのでハンガーに掛けてクローゼットに入れたこと、文章の最後には、遅くまで付き合わせてしまい申し訳なかったと書かれていた。

 リットは薄いバスローブのような合わせの寝巻きを着させられていた。

 前がはだけないように気をつけながらベッドから出ると、クローゼットを開ける。

 そこには着古したシャツとズボンが、まるで売り物のようにハンガーに掛けられていた。


「旦那……」


 酔ってつぶれてしまった自分を運び、部屋を取ってもらっただけでも申し訳ないのに、ここまでしてもらえるとは。


「いや、なんかすみません……」

「あらあら、いいのよ。主人と呑んでくれてありがとう。うちの旦那様、お友達がいないからあなたと呑めて嬉しかったと思うわ」

「そうなんですか?」

「今はハラスメントとかもうるさいらしくて……。部下の方は誘えないんですって」


 副団長の妻は持っていた鞄から封筒を取り出すと、リットに「はい」と手渡した。


「なんすか? これ」

「少ないけど、お礼よ」

「いや、そんなん貰えないですよ!」


 昨夜の酒代や宿代だけでも、もしかしたらリットの月給が吹き飛んでしまうかもしれない。平民では滅多に味わえないような贅沢な時間を過ごさせてもらったのに、お礼なんて受け取れなかった。


「いいのよ。口止め料も入ってるから」

「口止め料……?」

「クリスティアン様のこと、聞いているでしょう?」


 (そういえば、旦那はクリスティアン団長のお見合い相手探しに奔走していると言っていたな……)


 あの王子様みたいな団長に見合い相手すら見つからないなんて信じられない。あのおやっさんですら美人女優と結婚しているのに。

 だが、世の中、嘘みたいな本当の話は案外ありふれているのかもしれない。

 しかし、それでも自分にはおやっさんのような奇跡は起こらないだろうとリットは思っている。


 リットは副団長の妻から差し出された金を受け取ることにした。元々副団長から聞いた話を他所に流すつもりはなかったが、ここで口止め料を受け取った方が副団長の妻が安心すると考えた。


「黙ってます」

「ありがとう、リット。良かったら、また主人と遊んであげてね」


 副団長の妻はそう言うと、リットに一礼して去っていった。


 ◆


 (お嬢は良い奥さんだな)


 大貴族家の一人娘なのに、いくら旦那から頼まれたからと言って、普通は酔いつぶれた人間の様子を見に行くなんて考えられないだろう。


 (良い夫婦だな……)


 リットは、副団長の妻の言葉の一つ一つを反芻はんすうする。

 きっと副団長は、仕事や人間関係の悩みなんかも妻に相談しているのだろう。腹の中にあるモヤモヤを、打ち明けられる相手がいるのは素直に羨ましい。

 また、リットの胸の中で孤独感が渦巻く。


 (旦那は「侯爵家を追い出されてしまうのも時間の問題かもしれない」って言ってたけど、お嬢の様子じゃ、安泰そうだな……)


 副団長は侯爵家の跡継ぎになれなかったことを負い目に感じているようだが、夫婦仲が良ければ問題ないのではないかとリットは思う。


「はぁ……」


 リットは、今まで足を踏み入れたことすらない高級宿を出る。

 すでに日は上がりきっていて、ブランチの時間帯だった。街には多くの人が行き交っている。

 今日は幸いなことに仕事は休みだ。家に帰る前にどこかで軽く食べていこうと、リットが飲食店を物色していた、その時だった。


「あれは……?」


 向かいの通りから、見覚えのある女性がやってくるのが見えた。

 くすんだ金色の長い髪の女性だった。俯き加減で、腕にはたくさんの本を抱えている。その表情はどこか暗く見えた。


「リモーゼさん?」


 リットが名を呼ぶと、女性はパッと顔をあげた。


「リットさん……?」

「やっぱり、侍女長のリモーゼさんですよね? 髪の毛を下ろしているとイメージ変わりますね!」


 リットが笑いかけると、リモーゼは唇をまっすぐに引き結んだ。彼はしまったと思った。


 (やばい。今の発言はキモかったかな!?)


 かっこいい騎士ならば、髪型の変化に気がついても好印象だろうが、この歳になってもニキビ面でいる自分が、髪型の変化を指摘しても気持ちが悪いだけかもしれない。

 リットは後頭部に手をやると、頭を下げた。


「すみません、気持ち悪いこと言っちゃって……」

「そんなことありませんよ。男性からそんなことを言われたのは久しぶりだなって思って……。ねえ、リットさん」

「はい?」

「良かったら、今からお茶しませんか?」


 思いがけないリモーゼからの提案に、リットはぱちぱちと瞬きした。

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