第7話 四十三歳のおやっさん、美人女優と電撃結婚する
「はぁっ!? おやっさんが結婚!?」
染め物工場で働く、染め物職人のリットは驚きの声をあげる。
同僚の一人が、個室のカフェでいきなり結婚報告をしたのだ。
「ずっと黙っててごめんな……。実は彼女とはもう半年以上付き合っていて……」
リットにおやっさんと呼ばれた同僚は、困った顔をしながら自身の薄くなった頭髪を撫でる。
おやっさんは現在四十三歳。背はあまり高くなく、腹はでっぷりと膨れている。そして今回の結婚が初婚だ。
そんな絵に描いたようにサエないおやっさんが、結婚。結婚である。しかも恋人とはもう半年以上付き合っているという。
「嘘だろ……」
リットは青い顔をしながら椅子に背持たれる。長年一緒にやってきた同僚が結婚し、祝福してやりたい気持ちは当然あったが、それよりもショックの方が大き過ぎて震えが止まらなかった。
リットはぶるぶる震える拳をぐっと握りしめると、くぅと歯を食いしばる。
(おやっさんだけは、おやっさんだけは俺と一緒に独身平民を貫いてくれると思っていたのに……!)
リットは三十五歳の独身男性。髪はふさふさしており、体型も普通。身長も平均程度はあったが、顔を覆いつくすほどのニキビが出来ている。
そんなリットは、今まで自分から女性に近づくことは無かった。彼は女性から「キモい」と思われることを過度に恐れているのだ。
女性がいなくても男の
三十代〜四十代の、恋人いない歴=年齢だった同僚達が次々に結婚し、子どもも生まれているのだ。
家庭が出来た彼らは、当然付き合いが悪くなる。
リットは孤独になりつつあった。
「ダーリン、おまたせ〜〜!」
おやっさんの背後から、何やら栗毛髪の華やかな女性がやってくる。
女性の顔を見たリットは、驚愕した。
「いっ……!? 女優の、ダリア・シェーン!?」
「あら、この方がダーリンのご友人?」
「そうだよ、ダリア」
おやっさんの結婚相手はまさかの女優だった。
王立歌劇団一の人気女優、ダリア・シェーン。
貴族家出身の彼女は現在三十二歳。喜劇から悲劇のヒロインまで何でもこなす多才な美人女優で、舞台に立たない日は無いと言われている。
そんな人気女優ならばさぞや私生活も派手なのではと思われがちだが、ダリアには今までスキャンダルらしいスキャンダルは一つも無かった。
だからリットも安心してダリアを
「おやっさん、ダリア・シェーンと付き合っていたのかよ……!? なんで!? どうやって出会ったの!?」
「ダーリンが私のところへ衣装を届けてくれたのよ。八ヶ月前だったかしら?」
おやっさんは八ヶ月前、たまたま劇場まで衣装を届けに行ったことでダリアと出会った。
王都にある侯爵家の染め物工場では、王立騎士団の騎士の制服以外にも、歌劇団の衣装も手がけていた。
「ダーリンはすごく低姿勢で良い方でね。私、すぐに好きになったわ」
ダリアはおやっさんに椅子を引かれると、すぐにそこに座った。確かにおやっさんはいつも低姿勢で優しい。八個歳下のリットと友人付き合いが問題なく出来るぐらいには、フランクなところもある。
だからと言って、まさか美人女優と電撃結婚するとは。
「たぶん、明日のタブロイド紙に結婚の記事が載ると思う……」
「なるほど、だから俺を個室のあるカフェに呼び出したんだな?」
「ああ……」
ダリアの隣に座ったおやっさんは頬を染め、恥ずかしそうに俯いた。その顔を見ていたリットは、自分の内にある気持ちが変わっていくのを感じていた。
(……おやっさんにはずっと世話になってきたんだ。ここは祝福してやらなきゃなぁ)
仲間内の人間達が結婚していくのは確かに寂しい。だが、幸せを掴んでくれて嬉しいと思うのも事実。
特におやっさんは良いひとで、リット自身ものすごく世話になってきた。ここで彼の幸せを喜んでやらないのは人でなしだ。
「おめでとう、おやっさん。すっげーびっくりしたけど、おやっさんが結婚するって知って嬉しいよ。わざわざ報告してくれてありがとうな」
◆
「はぁ……」
リットはため息をつきながらカフェの外へ出る。
皆が、自分の知らないところで幸せを掴んでいる。そう思うと、何も手にしていない自分がひどく情けなくて惨めな存在に思えて辛かった。
リットの瞳にわずかな涙の膜が出来た、その時だった。彼に近づく者の姿があった。
「リット」
「わっ! ……あ、だ、旦那ですか」
リットに話しかけたのは、王立騎士団近衛部隊の副団長だった。
副団長の妻はリットが属する侯爵領の領主の一人娘で、その縁で二人は知り合いだった。
通常、領主家と領民との間ではある程度距離があるものなのだが、リットは何故か領主家と関わる機会があった。
「時間はあるか? 少し二人で話せないだろうか?」
「へえ、いいですけど……?」
(何で旦那が俺なんかに声を掛けるんだ?)
確かに一緒に地下闘技場を観戦したりとやりとりはあったが、あれからもう一年以上経っている。
時の流れは早いなと思いながら、特に予定のないリットは副団長の誘いを受けることにした。
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