第6話 ギャップが足りない
(さあっ、旦那様のためにもクリスティアン様のお見合い相手を探さなきゃ!)
ふんすと副団長の妻は胸を張り、気合いを入れるが、すぐにその表情は真顔になる。
(……出戻りの方なら何人か浮かぶと言ってしまったけれど、実際には難しいでしょうね)
結婚経験がある人間は、前の結婚で苦労した分、あらゆる面で判断材料を手にしている。冷静なのだ。
クリスティアンは条件の良い男だ。それゆえに「なにか裏があるのではないか?」と勘繰られ、警戒される恐れがある。
普通ならば、クリスティアンのような男は早々に売り切れてしまうはずなのに、何故か売れ残っている。
副団長の妻は王家の傍流に当たる侯爵家の出身で、現宗王の異父姉でもある。力のある彼女が頼み込めばどんな家の令嬢でも見合いに応じてくれるだろうが、無理やりさせるのは良心が咎める。
(……いっそ、うちの旦那様のように堂々と覇道を貫いているような方なら、「私だけが味方になる」「共に地獄に落ちる」とか言って、ついてきてくれる女性もいるでしょうけれど)
副団長が差し入れてくれたペーパーバックの恋愛小説の、いくつかを思い浮かべる。
ああいった小説本の裏側にはあらすじがあり、女性読者の購買意欲をくすぐるような文句が羅列されている。
タイトルに「氷」「狼」「黒」など、ヒロインの相手役であるヒーローの冷酷さ、冷淡さが伝わる単語が入っている場合、裏面のあらすじにはいかにヒーローが極悪人であるか説明されている。そしてあらすじの締めくくりには、「悪魔のように冷酷なはずの騎士様に、甘く言い寄られて困っています!」……みたいなことが書いてあるのだ。
ちなみにヒロインが美形のエリートに迫られて困っている風なのは、すぐにヒロインがヒーローに堕ちてしまうと、話がすぐに終わってしまうからである。
(冷酷ヒーローが人気なのは、良い意味でのギャップがあるからでしょうね……)
クリスティアンにはギャップらしいギャップは見当たらない。金髪碧眼のきらきらしい見た目どおり、物腰は柔らかで口調も穏やかだ。子どもにも優しい。
裏らしい裏を感じられない分、余計に「何かあるのでは?」と女性達から勘繰られてしまう。
(うぬぅ……!)
クリスティアンのお見合い相手探しは難航するだろう。副団長の妻は顔の中央にぎゅっと皺を寄せた。
そんな彼女の元に近寄る影があった。
「おーい、エミリオを連れてきたぞ」
「おかあさん!」
副団長は、末っ子長男のエミリオを腕に抱き抱えてながらこちらへやってくる。
今日は詰所内にある託児室にエミリオを預けていた。上の子達の様子を見に来ただけなので別に預ける必要などなかったのだが、エミリオ本人が「託児室に行きたい!」と駄々をこね、それを見た女性騎士が「良かったらお預かりしますよ」と申し出てくれたのだ。
世話をかけて申し訳ないなと思ったが、託児室でたくさん遊べたらしいエミリオはご機嫌だ。
「いっぱい遊んだ!」
「良かったわねえ」
「また遊びにおいで、エミリオ」
「うん!」
四歳になる息子の頭をわしゃわしゃと撫でる、副団長の眼差しは優しい。仕事では敵に対して容赦はなく、覇道を貫いている副団長だが、家族には甘々だ。
(旦那様は良い意味でギャップがあるのよね)
前人未到の戦歴に、どこか翳りのある美形という、近寄り難くなるスペックを持ち合わせているが、子ども達と対峙している時はその辺にいる子煩悩なお父さんと変わらない。
副団長の周囲の人間達は、子ども達に全力で甘え掛かられている彼の姿をよく目にしている。だから副団長への恐れの気持ちはだいぶ和らいでいるはずだ。
(クリスティアン様にも、良い意味でのギャップがあれば、きっと……)
◆
一方その頃。クリスティアンは侍女長リモーゼの悩みを聞いていた。
場所を移し、二人は売店近くにある談話室に入る。
談話室は簡易的なソファとローテーブルがあるだけの小部屋で、ちょっとした打ち合わせに使うような場所だ。
「お時間を取らせてしまい、申し訳ありません。クリスティアン団長……」
「いいのですよ。いつもリモーゼ殿には世話になっているのです。売店の本売り場で何やら難しい顔をしていたようですが……」
クリスティアンの言葉に、リモーゼは複雑そうな顔をすると視線を逸らす。
「お恥ずかしいところを見られてしまいましたね。私は……実は本を出していまして」
「ほう! 本を。それはすごいですね」
王城で働く侍女には基本的には副業が認められていないが、例外的に執筆活動のみ許されていた。
リモーゼは元は由緒ある家の令嬢で、学がある。彼女が執筆活動をするのは意外ではない。
「……すごくはありません。私が書いた本はまったく売れていないのです」
リモーゼは悲しげな顔をして首を横に振る。
(内容が難しい本なのだろうか……?)
一般的に売れる本というのは、その内容が理解できる人が多いものだ。平易な表現や言葉が使われた、誰でも楽しく読めるものに需要がある。
(……リモーゼ殿には学がある。ある程度の知識がある者が読まないと楽しめない内容の可能性があるな)
「リモーゼ殿、良かったらあなたが書いた本を教えてもらえないだろうか?」
「えっ……。まさか、お読みになるおつもりですか?」
「はい、興味が湧きました」
クリスティアンはよく本を読んでいた。一般人には理解が難しい兵法の本から流行りの冒険譚まで幅広いジャンルを嗜んでいる。きっとリモーゼが書いた本も楽しめるはずだ、と考えた。
(私がリモーゼ殿が書いた本を読み、感想を伝えれば、彼女は元気を出してくれるかもしれない)
しかしこの些細な好奇心と親切心が、クリスティアンを今後決して抜け出すことができない底なし沼に沈めてしまうのだが、彼はまだ知る由もない。
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