第4話 求められるのは嬉しい
ペーパーバックと焼き菓子が入った手提げ袋を手にした副団長は、近衛部隊の詰所へ向かう。そろそろ彼の娘達が学校から帰ってくる時間帯だ。
「パパっ!」
詰所に近づくと、次女のエリが走ってくるのが見えた。短い黒髪をたなびかせている。
「ただいま!」
エリは副団長の腹にぼんっと勢いよく抱きついた。
「おかえり、エリ。ママはもう来てるか?」
「うん!」
副団長が短い黒髪をわしゃわしゃと撫でると、エリは嬉しそうに頷いた。
妻は最近、毎日のように詰所に来ている。
副団長の仕事が忙しくなり、学校帰りの娘を出迎えるのが難しくなってきたからだ。
それでも時間を作っては、副団長はなるべく娘の顔を見るようにしている。
会えない時期が続くと、エリとターニャが怒るからだ。この間も一週間ほど夕方に詰所へ向かえない日が続き、二人は「パパに会えなくて寂しくて死ぬかと思った」「学校で頑張っている娘を労わらないだなんて何事ですか」とぷんすこ腹を立てていた。
怒る娘達に副団長は、「ママが来るからいいじゃないか」と言ったのだが、娘達は父親でないと得られない心の栄養があると言い、これからも夕刻には詰所に来ることを強く要求した。
副団長は娘達の要求に「わがまま娘め……」と思いながらも、我が子可愛さに日々時間を調整している。
何だかんだ言いながらも求められるのは嬉しいからだ。
妻には『会いたい』と求められたことが一切無かったので、余計にだ。
(奥さんに、こんなに求められたことは無かったな……)
切ない過去を思い出す。
結婚後すぐに別居になり、副団長は非番の日に侯爵領まで妻へ会いに行っていたのだが、遠征が入って数週間会いに行けないことがあった。それでも妻は恨みごと一つ漏らすことはなかった。
結婚してから二年近くしてようやく同居が叶ったが、副団長は変わらず多忙だった。妻との時間がろくに取れなかったが、それでも妻は「もっと夫婦の時間を作って欲しい」とは言わなかった。
妻は持ち前のコミュニケーション能力の高さを駆使して近所の人々と仲良くなり、夫不在でも楽しく過ごしていたのである。
自分で自分の機嫌を取れる妻で助かると思う一方、たまには甘えてほしいと思う副団長であった。
なお、副団長から妻に言ったことがある。
もっと自分に甘えて欲しいと。
すると妻はにこやかにこう言ったのだ。
「旦那様は息さえしていれば私は満足なので、これ以上何も望みません」と。
正直愛されているのか不安になったが、それでも夫婦として仲良くやれているのでこれで良いことにした。……深く考えてはいけない。
「エリ、いきなり走ったら危ないでしょう?」
詰所の扉が開くと、妻が出てきた。
紺色のシンプルなドレスを着ている。
「お父様はお疲れなのだから、いきなり抱きついてはだめよ?」
「はーい」
どこかで父娘の様子を見ていたのか、妻はエリの頬を撫でながら
「おかえりなさいませ、旦那様」
「ああ、ただいま」
「私もいますわよ、お父様!」
妻の後ろに隠れていたらしい、三女のターニャがひょっこり顔を出す。
「ターニャ、いたのか」
「お父様、遅いですわよ〜〜! 待ちくたびれました」
「ごめんな」
副団長はターニャの頭も撫でる。ターニャはエリとは違い、さらさらの長い栗毛髪を整えているので、撫でる時は髪型を崩さないよう気をつけている。
エリとターニャは副団長の手にあるものに気がついた。前屈みになると、中を覗こうとする。
「お父様、その紙袋は何ですの?」
「お土産?」
「ああ、これか?」
売店のカウンターで買った焼き菓子を取り出すと、二人に渡す。おやつの時間はまだだったらしく、二人とも歓声をあげた。
「やった! おやつだ!」
「お茶を淹れましょう!」
「良かったわね、今からお茶にしましょうか」
喜ぶ娘達の姿に、妻はたおやかに微笑んでいる。
そんな妻に、副団長は紙袋ごと手渡した。
「君へのお土産だ」
「まあ何かしら? ……ペーパーバック?」
紙袋の中を覗いた妻は、目を丸くする。
「ありがとうございます。さっそく今夜から読ませて頂きますわ」
そう言って、中身を確認している妻は嬉しそうだ。妻はペーパーバックの小説に目が無いのである。
楽しげな妻を見て、副団長は思った。
(……ふむ。何か一つぐらい、奥さんが喜びそうなことをやってやるか)
売店で侍女達に会った際、彼女達から騎士物の恋愛小説のなかで好きだと思うシチュエーションが何か尋ねていたのである。
妻は日々、家事に育児に、仕事に追われている。
ほんの一瞬でも、楽しく思って貰いたいと思った副団長は、騎士物の恋愛小説でよくあるワンシーンを再現することにした。
「手を貸して貰えるだろうか?」
「はい?」
副団長は慣れた動作でその場に片膝をつくと、妻の手を取り、そのかさついた手の甲に口づけを落とす。
そして、妻の顔を見上げた。
「いつもありがとう。君は完璧だ」
妻は目を見開くと一瞬固まった。
(まずい、はずしてしまっただろうか……?)
侍女達が夢見ているシチュエーションでも、妻が喜ぶとは限らない。
副団長が焦った、その時だった。
「ひでぶっ!」
妻は謎の悲鳴をあげ、苦しみ出した。
「ママ!」
「お母様!」
胸をおさえて苦しむ母親の姿に、エリとターニャは慌てて駆け寄った。
妻はぜえはあと息をたえだえさせている。
「だ、大丈夫よ……。胸の奥が裂けるような痛みが走っただけだから」
「大丈夫か?」
「ええ……。あまりにもときめきが強すぎて、私の胸が耐えきれなかっただけですから」
(ときめきすぎて三下のような悲鳴をあげるのか……)
思いもよらない妻の反応に、副団長も額に汗を浮かべる。うっかり妻に暗殺技をかけてしまったのかと焦った。
「そんなにときめくの? 今の技」
「技じゃないぞ、萌シチュだぞ」
「私もやって欲しいですわ、お父様!」
「エリも!」
何故かその後、娘二人相手に跪くことになった。
よく分からない展開になったが、エリとターニャが喜んでいたのでこれで良かったことにする。
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