番外編SS エリ&ターニャと川遊び

 避暑地へやってきた副団長一行。

 滞在二日目となる今日は、川で釣りをすることになった。

 空には雲一つない。そよそよと気持ちの良い風が吹いている。絶好の外遊び日和だ。


 (たまには娘達に良いところを見せたいな……)


 川からぴょんと跳ねる魚を見た副団長は、深緑色の瞳に陰鬱な光を宿す。その横顔は、獲物の狙うハンターの様相をしていた。

 副団長は口端だけ吊り上げると、瞼を閉じる。

 この川にはハヤウオと呼ばれる体長20センチほどの魚が多く生息しており、ハヤウオは飛び跳ねることで有名だった。


 (この川では一度に複数のハヤウオが飛び跳ねることも珍しくない。それに暗器を投げつけ、対岸の木々にハヤウオごと暗器を突き刺す……)


 副団長は、獲物を一度に数匹捕えるイメージを頭に浮かべる。

 長細い銀の暗器が突き刺さったハヤウオを見た娘達は、きっと大喜びするに違いない。

 キャッキャと笑い声を出し、自分に抱きつく娘達の姿を想像した彼は含み笑いをする。


 そんな副団長の背に、次女のエリが声を掛けた。


「パパ、暗器を使って魚捕まえちゃダメだからね」


 少し呆れぎみなエリの声に、副団長はカッと目を開くと、くるりと振り向いた。エリの隣りにはターニャもいた。彼女もやれやれと言わんばかりの顔をしている。


「暗器を使ってはダメだと? なぜだ?」

「……お父様、今日は皆で川遊びに来たのです。暗殺術は禁止ですわ」

「たまには仕事を忘れて遊ぼうよ!」


 副団長は娘達が言っていることの意味が分からない。彼は娘達から釣りに誘われていた。釣りは魚を捕まえるための行為。それならば、暗器を使って魚を捕らえても問題ないと思う。どうせ最後には串を刺して焼くのだ。


「釣り針にこうやってエサをつけて、川に釣り糸を投げ入れるんだよ」

「わざわざそんな面倒なことをするのか? 最後には魚を串に刺して焼くのだろう? 捕える時も串を使えばいいじゃないか」

「パパ、遊びに効率は求めないモンなんだよ」

「……そうなのか?」


 副団長は娘達の言う「遊び」が理解出来ない。何故なら、彼は遊んだ経験が極端に少ないからだ。


 (俺は兵学校の長期休暇の間、ずっと南方地域の道場に預けられていたからな……)


 外から聞こえてくる子ども達の笑い声を聞きながら、ずっと道場の中で一人修行をしていた。

 銀の細長い暗器を握りしめ、どうして自分だけがと思ったことは何度もある。

 その度に戦の道具として生み出された己を呪った。

 しかし修行を辛く感じるたびに、妻の笑顔を思い出して耐えたのだ。


「パパ、子どもの頃に釣りして遊んだことってある?」

「無いな……。兵学校が休みの期間は、ずっと南方地域の道場で修行していた」

「私達が遊び方を教えて差し上げますわ、お父様」


 三人で岩場の上に並んで立つ。岩場と言ってもさして高さはなく、せいぜい子どもの背丈ぐらいだ。

 この川は人工的に作られたもので、観光地用に危険なところはとことん取り除かれている。


 副団長はターニャから釣竿を一本受け取る。

 エサはミミズらしく、小鉢の中で蠢いていた。


「エリ、ターニャ、お姉ちゃんは?」

「姉者はミミズ触るのが嫌なんだって」

「天幕でお母様の手伝いをされていますわ」


 思えばテレジアは虫が苦手だったなと、副団長は苦笑いする。

 エリとターニャは気にならないのか、器用にミミズを掴んで釣り針に引っ掛けていた。

 副団長も、娘二人のやり方を真似してみる。


「お父様、川に自分の影が入らないように注意して、釣竿の糸をなるべく遠くへ投げ入れてくださいませ」

「こうか?」


 釣竿をしならせ、ひゅんと音を立てて釣り糸を投げ入れる。ミミズがついた釣り針がぽちゃんと川へ沈んでいく。


「さすがパパ! 上手いね」

「そうか?」

「慣れていないと、釣り針を遠くへ飛ばすのはなかなか難しいのですよ」


 ちょっとしたことでも、娘達に褒められると嬉しくなる。

 しばらく釣り糸を垂らす。

 せせらぎの中、佇むのは存外気持ちが良いことに気がつく。

 張り詰めたままだった、自分の中の何かが緩むのを感じる。


「……あっ!」


 最初に反応があったのはエリの竿だった。糸が大きく引っ張られ、竿がしなる。


「よいっ、しょ!」


 エリは身を軽く屈めて踏ん張ると、一気に竿を上げた。糸を波打たせながら、自分達がいる岩場へ何かが飛んでくる。

 糸の先には銀に輝く魚があった。岩場の上でびちびちと力強く跳ねている。


「やったあ!」

「やりましたわね、エリ。しかも結構大きいお魚さんですわ!」


 エリは跳ね回る魚を水が張られた魚籠へ入れる。魚の口から針を外す。妙に手慣れていた。


「慣れてるな」

「おじいちゃんに教えてもらったんだ」


 義父は実の娘や娘婿には辛辣だが、孫のことは目に入れても痛くないほど可愛がっている。

 自分がいない時に、どうも娘達は義父から釣りを教わったらしい。


 ◆


 エリが五匹、ターニャが三匹、副団長が二匹ハヤウオを釣ったところで、引き上げることにした。


「魚の下処理をしていこう」


 川辺の近くには備え付けの調理場があった。

 ハヤウオを釣った客が、その場で調理が出来るようにという配慮だろう。


「エリ、フライが食べたいな」

「三枚に下ろすか」


 調理場に置いてあったまな板を軽く洗い、その上にハヤウオを置く。

 腰に下げたベルトから小型ナイフを取り出す。

 騎士剣は邪魔になるので持って来てないが、ちょっとした調理に便利な装備品はいくつか持参している。


 副団長はハヤウオにナイフの刃を翳すと、迷うことなく捌いていく。あっという間に骨と身を外していった。


「手際がいいですわね」


 ターニャが感心したように言う。


「昔、南方地域の道場へ行った時に習ったんだ。魚の捌き方を」


 南方地域には大きく分けて十二の部族がある。川が近くに流れているような集落だと魚を食べる文化があり、暗殺術の修行の一環として魚を捌くこともあった。


「エリもやりたい!」

「私も!」

「いいぞ。エリの後はターニャな」


 副団長はエリの後ろに回り込むと、彼女にナイフを握らせる。


「まずはぜいごと呼ばれているところをそぎ落とすんだ」


 ナイフが握られたエリの小さな手を包むと、尾の付け根から寝かした刃を小刻みに入れていく。


「へーっ」


 ハヤウオの頭を取り、身を開くと、エリは嬉しそうに三枚に下ろされたそれの一つを摘み上げる。


「結構簡単そうだね」

「慣れれば難しくない。次はターニャだ」

「はーい」


 突如始まった青空料理教室。

 娘達の楽しそうな声が河原に響いた。

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