番外編SS 三人娘、温泉に浸かりながら語り合う

 三女ターニャが兵学校に入学してから、初めての夏休みがやってきた。

 副団長一家は侯爵領へ里帰りし、現侯爵ルシウスへの挨拶もそこそこに、避暑地へと足を運んだ。


 今回副団長一家が選んだ避暑地は温泉が出るという観光地で、湯煙があちこちで上る土地には、宿泊用の天幕が建ち並ぶ。場所は宗国の属国、南方地域にあった。

 かつては戦闘部族の戦士達の傷を癒すために使われていた湯治場を、集落の収益のために温泉街に作り変えたのだ。


「温泉さいっこう!」


 ざばばーっと音を立て、エリは湯から頭を出す。

 

「ちょっとエリ! 泳がないで下さいまし!」

「いくら私達だけだと言っても、はしゃぎ過ぎは良くないわ」


 湯がはられただだっ広い池の中で、エリは得意の泳ぎを見せる。

 竹を組んで作られた壁で覆われた大浴場には、他に客の姿はない。一家の貸し切りであった。

 この観光地は侯爵家も出資しており、管理責任者である村長が親子水入らずで利用できるよう取り計らってくれたのだ。


 妹と姉から注意を受けたエリは、キョトン顔で首を傾げる。今この場にいるのは三人娘だけだ。母親と弟は天幕に残っており、父親は大浴場と天幕の周囲を見回っている。

 温泉の中で泳いだところで、誰からも怒られないのだ。


「なんでえ? 温泉の中で泳ぐ機会なんか滅多にないよ?」

「温泉の中で激しい運動なんかしたら、すぐにのぼせてしまいますわよ? これ以上泳いだらお父様に言いつけますわ」

「うへっ、勘弁してよターニャ! 次やったらパパから雷落とされちゃう!」

「嫌なら大人しく湯に浸かりなさいな、エリ」


 この一家のルールでは、一回目のイタズラではお咎めなしとなるが、二回目やった場合は父親からキツいお仕置きを受けることとなっている。三回目、四回目も同様だ。なお、半年間イタズラをしなかった場合は、カウントはゼロとなる。半年に一回のイタズラなら大目に見ようという考えらしい。

 なお、お仕置きと言っても暴力を受けるわけではなく、ただ単に父親の話を聞くだけである。


「叱られるだけならまだマシなんだけどなー」


 エリは岩に細い腕を回して抱きつく。


「ターニャがこの間パパから叱られた時はどうだった?」

「お父様からお叱りを受けたあと、たっぷり聞かされましたわ……! お母様とのエピソードの数々を!」


 ターニャは湯の中で立ち上がると、つるぺたな胸の前で腕を組み、身をぶるっと震わせる。

 ターニャは、長い栗毛髪を頭の高い位置で丸く括っていた。


「マジか! パパの話ってただでさえ退屈なのに、ママの話か……」

「ノロケ話も少しだけなら微笑ましいのですけど、お父様が話されるお母様絡みのエピソードは長いのですよね……。しかもときめくような要素ゼロです」


 彼女達の父親は妻のことを愛しており、娘達に妻とのエピソードを話して聞かせようとするのだが、不評であった。

 女の子はたとえ親の話であっても所謂恋バナを聞くのが好きなものなのだが、それも程度による。

 子どもは長話を嫌うのだ。


「……ときめくような要素ゼロって言われると逆に気になるわね?」


 だが、洗い場で泡立てた石鹸を手足に滑らせていたテレジアは、食いつく。テレジアは至極真面目な娘で、親の手を煩わせるようなことは一切しない。もちろん、イタズラもだ。父親の長話を聞いたことはなかった。


「お姉様がそう仰るなら話して差し上げますわ」


 ターニャは口をへの字に曲げ、気が進まないと言わんばかりの顔をしたが、テレジアが興味を示したので話すことにしたようだ。


「お二人とも、お父様とお母様が新婚当時別居なさってたことは知っていますわよね?」


 彼女達の両親は、宗西戦争が集結した約半年後に結婚した。約十六年前の話だ。

 戦争は集結すればそれで終わりというわけではなく、戦後処理が必要だ。彼女達の父親は王立騎士団の将校で、当然、残党狩りなどの後始末にも駆り出されていた。その戦後処理は約一年半ほど続いたという。


「パパは宗西戦争の戦後処理が忙しくて、あんまり王都にいなかったんでしょ?」

「そう、お父様は一年のうち三分の二は西の帝国へ行っていて、とてもではないですが、お母様と一緒に暮らせる状態ではなかったのです。それでも、お父様はわずかな時間を作り、お母様へ会いに王都から侯爵領まで単騎で駆け抜けたそうですわ」

「ここまで聞くとイイハナシダナーで終わるんだけどねえ……。パパはいちいち狂気を挟むからなァ」


 エリは岩の上に顎を置くと、フーッと息を吐く。

 娘達は皆、父親のことは大好きなのだが、その独特な思考については疑問を持っている。


「お父様はお母様へ会いに行く際、必ずお菓子を持参していましたの」

「何だっけ。王都でも有名な菓子屋のケーキとかクッキーを持っていったんでしょ? 特にケーキが美味しかったってママが言ってた」

「手土産を持っていくぐらい普通じゃない?」


 身体についた泡を桶で掬った湯で流しながら、テレジアは言う。

 姉二人の言葉に、ターニャは目を細めた。


「クッキーならまだ日持ちします。ですが、ケーキを手土産に持っていくのは難しいと思いませんか? しかも王都でも有名店のケーキです。店頭で並ぶ必要がありますし、整理券が手に入らないことだってある。戦後処理で多忙だったお父様は、どうやって有名店のケーキを手に入れていたと思いますか?」


 ターニャの質問に、テレジアとエリは顔を見合わせた。二人は後ろ暗い想像をしたのだろう。ハッとした顔をする。


「もしかして、菓子屋へ忍び込んでケーキを盗んだの?」

「……父上なら、菓子屋の店主の弱みを握ることぐらい造作のないこと。店主を脅してケーキを作らせたんじゃない?」


 テレジアとエリは、ああではないかこうではないかと、父親がやりそうな悪事を次々に言い合う。

 それを見たターニャは両手のひらを上げ、肩を竦める。


「あらあら……。お二人とも私よりお父様との付き合いが長い割には、お父様の思考が読めないようですね?」

「八年やそこら生きたぐらいで、パパのことが理解出来るとは思わないよ」

「父上は国一番の殺し屋、宗王の剣よ。子どもに考えを読まれるようでは務まらないわ」


 ターニャの挑発に、二人は首を横に振って渋い顔をする。挑発に乗ってこない姉二人に、ターニャはつまらなさそうな顔をした。


「しょうがありませんわね、では答えを言いますわ。お父様はケーキを盗んでいませんし、店主を脅してケーキを作らせてもいませんわ」

「えっ? じゃあ普通に買ったの?」

「……ティツァーノ商会のドグラ様を使いにやったのでは?」

「普通に買ってもいないですし、部下の方に買いに走らせてもいません」


 テレジアとエリの頭上には、何個もハテナマークが浮かび上がる。


「答えは……お父様がご自分でケーキを作ったのです。それも、王都と侯爵領の途中にある宿場街でね」

「あっ、なるほど」

「宿場街から侯爵家の屋敷までは単騎で四時間ほど。作りたてのケーキを持っていけるわけね。……でも、どうやってケーキの作り方を習得したの?」

「菓子屋の店主に、お金を積んでレシピを教わったとお父様は仰っていましたけど、おそらく菓子屋の店主は脅しだと思ったでしょうね」


 三人は、宿場の調理場を借りて、せっせとケーキを焼く若き日の父親の姿を思い浮かべる。

 やっと取れたであろう休暇。結婚してもずっと実家の屋敷で暮らす妻のために、有名店の味を再現する。

 不眠不休で馬を飛ばし、侯爵領へ行くだけでも大変なのに、差し入れまで自分で作るとは……。

 感動すべきエピソードなのだろうが、三人とも微妙な顔をした。


「……パパ、自分でケーキを作ってたことをママに言ってないよね?」

「言ってないみたいですわね。お父様はその当時殺人的な忙しさだったみたいですから、自分で作ったと言うとお母様に心配されると思ったのでは?」

「父上は変なところで健気なんだから」


 三人とも、父親がプロ並みのケーキが作れるようになったことについては疑問視しない。

 暗殺は手先の器用さや、慎重さが求められる。

 ケーキづくりも、ほんの少し材料の配分が変わっただけで、出来が激変する。

 暗殺もケーキづくりも、求められる能力は似ているところがあった。


「ターニャ、その話聞いた時にパパに何て言った?」

「お父様は、話を聞いた私がどう思おうが気にしてはいませんでしたよ。頑張って作ったケーキをお母様に褒めて貰えたと、それはそれは嬉しそうに語っていましたわ」

「父上……」


 テレジアは妹達がいる湯に足を入れる。

 三人は肩まで湯に浸かった状態で、輪になった。

 テレジアは俯くと、二人に小声で囁く。


「エリ、ターニャ、もっと他にないの? 父上が語った母上絡みのエピソード」

「山ほどありますわよ」

「なに? 姉者、ハマったの? パパの、どう反応したらいいのか分からないママ絡みのエピソードに」

「次期侯爵家当主として、知らなくてはならないと思ったわ」


 侯爵家当主がどうしても知らなくてはならないエピソードはないなぁと思いながらも、姉の好奇心に火をつけてしまった二人は、父親から聞いたエピソードの数々を披露するのであった。


 <完>

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