番外編SS 副団長とムスカリの◯◯◯支援②

「ムスカリ、このアパートの四階の、角から二つ目の部屋を訪ねて来てくれないか?」

「了解致しました。住人に、役所の検診へ赤子を連れて行くように伝えます」

「……いや、とりあえずは事情を聞いてくれ。くれぐれも相手の言うことは否定するなよ?」


 頭ごなしに検診へ赤子を連れて行けと言うのはよくない。親も何らかの事情があり、行きたくても行けないかもしれないからだ。


「副団長殿は……」

「俺はお前が親を引きつけている間に、赤子の様子をこっそり見てくる」


 アパートの四階を見上げる。何とか足場がなくとも登れそうだ。

 赤子の様子を見てくると言うと、ムスカリはあからさまにぎょっとした。

 ムスカリは諜報と暗殺を生業とする特務部隊出身。

 不法侵入を白昼堂々としようとしている上官を咎めはしないものの、思うことはあるらしい。


「……赤子の泣き声がしたのはアパートの四階なんですよね?」

「ああ、お前が親を引きつけてる間に、壁をよじ登って赤子の様子を見る」

「いや、しかし」

「無駄口を叩いてないでさっさと行け」


 副団長はシッシッと犬を追い払うように手を動かした。

 ムスカリの姿が見えなくなったことを確認すると、副団長はアパートの隣にある細道へ入る。潜入は彼がもっとも得意とする仕事で、幾多の城や屋敷に忍びこんできた。四階とはいえ、一般住居に入ることなど造作もない。

 古いアパートだったが、音もなくバルコニーや庇を伝い、あっという間に四階の部屋へ到達する。


 部屋の様子を窺うと、ムスカリがちょうど呼び鈴を鳴らしたところだった。返事をする若い女性の声がする。


 (部屋にいるのは母親だと思ったが、やはりか……)


 女性が玄関口まで行った隙に、窓の鍵を開ける。ブーツの底を持っていた布で拭い、そっと部屋の中へ入る。

 部屋の隅にベビーベッドがあった。すでに赤子は泣きやみ、寝入っていた。


 (……部屋の様子は普通だな。多少散らかってはいるが、赤子がいる家庭なら通常だ)


 赤子を起こさないよう、慎重に服を脱がせる。肩のボタンを外し、柔らかな布地を下げた。

 赤子は男児だった。

 腹や尻、手足もくまなく見たが痣など虐待の痕跡は見られない。今、役所でやっている無料検診の検診項目の一つであるフキゲン病の発疹もない。


 今王都では、生後半年から三歳までの子どもの間でフキゲン病と呼ばれる高熱と発疹を伴う病が流行している。死に至るような病ではないのだが、高熱が数日続く。下熱後に赤子が異常なほど不機嫌になるのでこの名前がついた。激しく夜泣きするので親の方が死にそうになる恐ろしい病だ。

 なお、副団長の子らも、全員満一歳までにフキゲン病を発症した。あの時の惨劇は、思い出すだけで震えが止まらなくなる。


 服を脱がされても赤子は目覚めなかった。すうすうと健やかな寝息を立てている。


 副団長は三人の年子の娘をまとめて育てあげた。寝た子どもを極力起こさない技術を自然と身につけている。


 (それでも、起きてしまう子はいたが……)


 音を立てないようにするのはもちろん、呼吸の仕方さえも気をつけていたが、それでも感の鋭い子はいて、目覚めてしまっていた。

 我が子が赤子だった時期を思い出し、ほんの少しほっこりした副団長は脱がせた服を元通りにしてその場を後にした。



 ◆



「どうだった?」


 しばらくして、ムスカリが戻ってきた。


「はい。母親が出てきたので役所の検診のことを聞くと、どうも昨夜は赤子が泣き通しだったようで、検診の時間に起きられなかったそうです」

「なるほどな。俺の方も赤子の様子を見てきた。特に問題はなかったぞ」


 赤子はおしめなど清潔に保たれており、世話はきちんとされていた。純粋に母親が疲れ切っていて検診へ行く気力が無かったのだろう。母親はあまり体力のない人間なのかもしれない。


「昼夜逆転している赤子は少なくない。衛兵部隊の人間に小児医療の知識を身につけさせ、赤子がいる家庭を巡回したほうが良さそうだ」


 平時の際、衛兵部隊の騎士や兵は民間施設に派遣され、医療技術を学んだり病院で患者の治療や看護を行う。

 小児医療は幅広い知識が必要だが、乳幼児を診られる衛兵部隊の人間が増えれば、それだけ王都の子どもや親を救うことが出来るだろう。



「……それよりも、驚きましたよ」


 ムスカリは声量を下げる。


「何がだ?」

「道具もないのにアパートの四階へ忍び込むだなんて、無茶です。それに今回訪ねた母親も、王立騎士団の人間が来たのなら、部屋に上げてくださったと思いますよ?」


 咎めるようなムスカリの声に、副団長は口をへの字に曲げる。

 ムスカリは元特務部隊所属の騎士の割に、常識人だった。特務部隊の人間はブルーノような荒くれ者や、論理感が抜け落ちた者が少なくない。


「今回、赤子に問題が無かったから良かったが、これで虐待の形跡があれば無理にでも攫う必要があった」

「副団長殿……」

「俺は六歳まで実母と二人で王都に暮らしていたが、虐待紛いなめに遭っていた。誰かが助け出してくれないかと願っていたせいか、どうしても過敏になってしまう」


 副団長の生い立ちは決して幸せなものではなかった。

 宗国貴族の父と南方地域の戦闘部族出身の母との間に生まれた彼は、この世に生を受けたその時から役目が決まっていた。

 父は戦闘部族の長だった母に、困窮している集落を支援する代わりに、自分のために息子を産んでほしいと交渉したのだ。

 集落の窮地を救うため、父の申し出を受け入れた母は一人南方地域を出、宗国にて男児を産んだ。

 それが副団長だった。

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