番外編SS 副団長とムスカリの◯◯◯支援①

 この日、近衛部隊副団長の彼は、部下のムスカリを連れて王城敷地内に程近いところにある商店街を歩いていた。


「よっ、と……」

「騎士様、ありがとうございます」

「礼には及ばない」


 彼は上部に覆いがついた大きな箱のような物の端を掴む。車輪が四つついたそれはかなりの重さがあったが、なんとか持ち上げることが出来た。


「車輪は無事のようですね」


 身を屈め、箱の底についた車輪が動くかムスカリは確認する。

 副団長は赤子を抱えた婦人に声をかけた。


「ご婦人、これからどこかへ行くのか?」

「ええ、役所へ行くつもりです。この子の定期検診がありまして……」

「そうか。ここは道が悪い。そこの通りを入って、右へ行くと広い歩道がある道へ出る。向かって左手側、貸し本屋がある方をまっすぐに行くと役所へ着くはずだ。ちょうど今の時間帯は建物の日陰になっているから、赤子連れでも歩きやすいだろう」


 副団長が持ち上げた、車輪付きの大きな箱は乳母車であった。ここの道は整備が行き届いておらず、割れた床タイルの隙間に車輪が挟まってしまい、婦人は困っていた。

 そこに彼ら二人が通りがかり、助ける展開になったのだ。


 婦人は赤子を乳母車へ乗せると、二人に頭を下げて去っていった。


「……早速問題が発覚したな」

「はい。とりあえず、この割れた床タイルの周辺に人が立ち入らないようにしましょう」


 ムスカリは近所の詰所から借りてきた注意板を立て掛ける。王立騎士団近衛部隊の印が押された注意書きも貼りつけた。


「……まったく、見回りの人間は何を見ているんだ」

「人ばかり見て、地面は見ていなかったのでしょうか」

「後で鋪装工事の手配をしよう」


 副団長はフンと息を吐く。

 王城勤めの二人が今日、城下にいるのには理由があった。


「城下を見てまわり、的確な子育て支援策を考える。……陛下は民のための政治をされていますね」

「……言うは易し、だ。何せ、子育ての大変さは数字では測れんところがある。ただ闇雲に福祉を充実させれば良いというものではない」


 マルクは急増している王都の人口問題に頭を悩ませていた。人口が増えるということは、子育て世帯も多くなる。王立騎士団でも何か子育て支援が出来ないかと考えた。


 そこで城下の調査役として選ばれたのが、近衛部隊の副団長とムスカリだ。副団長は五年間育児休業を取り、三人の娘達を手づから育てた経験を買われたのだ。


 ムスカリには現在妊娠中の妻がいる。妻のためになるかもしれないと、愛妻家のムスカリは自らこの役目に立候補した。


 なお、ムスカリは近衛部隊所属の王城勤務者だが、城下に妻と一緒に暮らしている。彼のポジションは斥候。本来なら、あまり王城にいることのないポジションなのだが、近衛部隊は実戦経験が乏しい騎士が多く、ムスカリは即戦力として最近特務部隊から異動してきた。ムスカリは主に副団長の補佐をしている。


「……今日は役所で満一歳児以下を対象とした無料検診がある。任意だがな」

「なるほど。役所を張っておけば子育てに悩みを持つ親と接触できるというわけですね」

「違うぞ」


 ぽんと手のひらを打つムスカリに、副団長は首をふるふると横に振る。


「真に支援が必要な親は、検診へ行く心身の余裕すらない」

「えっ、ですが……。検診は子育ての相談のために行くものでは? 悩んでいる者こそ、検診へ行くものかと」

「甘いぞ、ムスカリ。……子育ては上手くいかないことの連続だ。それに加え、慢性的な寝不足に陥る。人は寝不足になると、自己肯定感が著しく低下する。検診で子育てのアドバイスを受けると、逆に心が傷ついてしまう人間がいるんだ。人間はな、いくら子どものためとはいえ、ショックを受けたくないと思うものなんだ。しかも、子連れの外出準備は大変だしな」

「詳しいですね……」

「まあ今まで色々あったからな。……そういうわけで、今日は真に支援が必要な人間を救いにいく」


 そう言うと、副団長は役所へ向かって歩き出した。


 ◆


 副団長は歩きながら精神を研ぎ澄ませる。

 支援が必要な親像ペルソナを想像する。


 (あまり身体が丈夫ではなく、社交的ではない親……。伴侶はいないか、いても子育てには積極的に関わろうとしないだろう。近くに頼れる人間もいないかもしれない)


 副団長の妻も暮らす母子寮は、女性同士の付き合いを苦にしない程度の社交性は必要だ。

 女性は助け合いするイメージがあるが、それはあくまで己と価値観の合う人間とだけで、女性はひとたび相手を異質だと思うと集団で排除しようとする。

 冷酷なようだが、それが本能なのだ。

 子育て期間中は特に、本能が優位にある。


 (母子寮に住めない母親のなかに、真に支援が必要な者がいる)


 考えながら歩いていると、ふと泣き声が耳についた。

 副団長は窓がいくつも並んだ古い建物を見上げた。


「……赤子の泣き声がするな」

「えっ、そうですか……?」


 ムスカリには聞こえないようだ。必死に首を巡らせている。

 男は赤子の泣き声に鈍感な者が多い。


「今から聴力を鍛えておけ。赤子が夜泣きした時、奥方より先に起きて対処出来るようにな」

「はっ」


 (このアパートの四階の、角から二つ目の部屋から泣き声が聞こえる……)


 街の喧騒に紛れてしまっているが、微かに泣き声が聞こえる。泣き方から判別できる月齢は、だいたい生後六ヶ月から八ヶ月ぐらいだろうか。

 アパートから役所までは徒歩五分。

 無料検診が始まる時間まで後五分。

 この時間帯に家にいるのは検診に行く気がないか、行けない人間だけだろう。


 (任意の無料検診が受けられる時間帯はわずか二時間だ。遅くに行けば受けられない可能性が高い)


「ムスカリ、様子を見に行くぞ」

「はっ」


 ◆◆◆


 続きます。

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