番外編SS 義理の兄が姉のことが大好き過ぎて色々拗らせてる件


 地下闘技場の一件から一月が経った頃。

 この日、マルクと近衛部隊副団長は謁見の間にいた。

 マルクは書類の束を手に持ったまま、隣りに立っている副団長を見上げる。


「もう三人娘は夏休みに入ってるんだっけ? 侯爵領にはいつ帰るの?」


 宗国はすでに本格的な夏の時期を迎えていた。


「来週の頭を予定しております。娘達も部活動で忙しくて」

「夏場は部活動の大会が重なるから大変だよねえ」


 夏と冬の時期、王城務めの騎士達は順番に休みを取る。普段は王城から遠く離れることを許されていない近衛部隊の騎士達が、唯一里帰り出来る機会でもあった。


「……まあ妻とエミリオは王都におりますし、侯爵領へ無理に帰る必要はないのですがね」


 家を継げない婿の立場である副団長の表情はいつも以上に硬い。その横顔には義実家へ帰りたくないとはっきり書いてある。


「帰ってあげなよ。ルシウスおじさんも一人で寂しがっていると思うよ?」

義父上ちちうえはそんなタマではありませんよ。それに何かあれば単騎で王都までやってくるかと」


 副団長の義父であるルシウスは六十をすでに過ぎているが、今でも一人で馬を御して王都までやってくるほど健脚であった。いずれはテレジアへ継がせるにせよ、娘婿である副団長に一時的にでも侯爵家を継がせなかったのも、己の健康状態に相当自信があるからだろう。


「ルシウスおじさんは跡継ぎにテレジアを選んだけど、それでも兄上のことを気に入ってると思うなぁ。円卓会議にも必ず兄上を連れていってたんでしょ?」

「……あれは他家への脅しのためかと。いざとなれば、『宗国の猟犬』が根絶やしに行くぞという」

「いや、そんなことないよ……たぶん」


 義父ルシウスの話をする副団長の目は冷たい。マルクは割と本気でルシウスが副団長のことを気に入っていると思い、話を振ったのだが、彼ははっきり否定する。

 謁見の間に重い空気が流れた。


 次の来客予定まであと一時間はある。重い空気が流れ続けるのもなぁと思ったマルクは話を変えることにした。

 マルクの方が一応主君なのだが、臣下に気を使っていた。


 (しょうがない、姉上の話題でも振るか)


 副団長の妻は、マルクの父親違いの姉でもある。マルクの母は王家の縁戚に当たるシェーン子爵家出身で、ルシウスの元妻だった。マルクの姉が五歳の時に後宮に入り、そこで産んだ男児がマルクだった。なお、すでにマルクの母は十二年前に亡くなっている。

 副団長の妻とマルクは複雑な関係にある姉弟だが、表向きは普通の姉弟のように接していた。


「兄上、姉上と仲良くしてる? 姉上はもう退院したんでしょ?」


 マルクの姉は、一月前に肩を脱臼していた。脱臼は軽いものだと副団長から聞いていたが、入院期間が三週間と長いのが気がかりだった。

 姉の病状だけを聞くと、また重い雰囲気になりそうだったので、敢えて「姉と仲良くしているか」と軽い調子で尋ねてみた。


「……退院した妻は子ども達にかかりきりですよ」


 しかしマルクの気遣いもむなしく、副団長は暗い調子でそうつぶやいた。


「三週間も子ども達と離れていましたからね。肩もよくなりましたし、毎日せっせと子ども達の世話を焼いています」

「そう、それは良かったね……」

「そう、それは良かったんです……。ここだけの話ですが、……すごく寂しいです」


 副団長のかなり本気マジなトーンに、マルクは玉座に座ったままのけぞった。


「ウチは子沢山な上、まだまだ手のかかる子がいます。夫婦の時間が限られているのは仕方がないと頭では分かっているのですが、寂しい気持ちを止められません」

「ウン……大変だね……」

「でもここで妻に甘えようものなら、妻の心は俺から離れていってしまう……!」

「た、多少はいいんじゃない?」

「駄目です。俺は頼りになる亭主でいたいんです」


 マルクは思った。ああ、この義理の兄は愚痴が言いたいのだなと。


「ここで妻に甘えたりなんかしたら、デカい長男だと思われてしまいますからね」

「いやー、そんなことないよ。兄上は超頑張ってるよ。多少甘えたって姉上は許してくれるって」

「本当ですか? じゃあ勅令を出してください」

「ちょっ、ちょくれい?」


 副団長がいきなり発した仰々しい単語に、マルクはぎょっとする。

 副団長はマルクの方に身体ごと向き直ると、勲章がジャラジャラぶら下がった制服の胸元に手を当てた。

 普段、騎士達は胸に略式の勲章のみを付けるが、謁見の間にて王の隣りに並び立つ時は今まで得た勲章をすべて胸に下げる慣わしになっている。副団長の胸は勲章で埋めつくされていた。

 その副団長が、勅令を出せとは。


「俺と妻に命じてください。『二人が仲良くしているところが見たいな』と」

「嫌だよっ! それに仲良くってなんだよ、なんか響きが生々しいんだけど!」


 二人がワーワーキャーキャー騒いでいると、謁見の間の前にある鐘が鳴った。来客の合図だ。


「えっ、うそ。早くない?」


 戸惑う二人の元に、侍女長が小走りでやってきた。


「申し訳ございません。北国のディリンガル特務長様ですが、予定よりも一時間早く到着されまして……」

「そうなの。じゃあ通してよ」


 (助かった……)


 なんか話が妙な展開に転んだが、来客予定が早まったおかげでうやむやに出来そうだ……とマルクがほっとしたのも束の間。


「陛下、勅令の話はのちほど」


 副団長はマルクにだけ聞こえる声で囁いた。


「いやもう、本気なのか冗談なのか分からないよ、兄上ぇ……」


 マルクはげんなりするものの、謁見の間の扉が開かれ、北国の将校の姿が見えると、一瞬で表情を変えた。


「どうぞ、おもてを上げてください。ようこそ、宗国へ」


 <完>

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