番外編SS 十八年前、僕はここで兄上と出会った
地下闘技場の一件から三週間後。
宗王マルクとその護衛官である近衛部隊副団長の「彼」は、地下闘技場の上にある表の闘技場にいた。
青空には雲が点々と浮かんでいる。暦上では夏なのだが、この日の日差しはきつくなく、ほどよく風も吹いていた。過ごしやすい気候だ。
「懐かしいなぁ!」
燃えるように赤い髪をなびかせて、円形の闘技場内をマルクは軽やかに歩く。観客席から砂地のリングを見つめるその目は、嬉しそうに細められている。
(十八年前、僕はここで兄上と出会った)
十八年前、マルクはその当時五歳だった。生物学上の父と、時の王の側女であった母と三人。王族のために用意された席で剣闘技大会を観戦していた。
剣闘技大会には、王立騎士団が誇る屈強な騎士達が出場しており、互いの剣技の腕を競い合っていた。
その剣闘技大会の目玉となる騎士が、現近衛部隊の副団長である「彼」だった。
王立騎士団の騎士の多くは、宗国貴族の父と属国である南方地域の戦闘部族出身の母を持つ。
国は強靭な軍を作るため、強い騎士を欲していた。貴族達に戦闘部族との間に子を設けるよう、命じたのだ。
四十年以上も前、大陸の中でも小国であった宗国は、王族や貴族の血統を尊ぶ傾向にあった。近親婚を繰り返した結果、身体が弱く成人まで生きられない子どもが増えた。このままでは多くの家が没落すると考え、他民族の血を、特に南方地域の戦闘部族の血を取り入れることを国は望んだのだ。
戦闘部族の血を半分引いた子は純血の子に比べて死ににくく、やがて騎士となった子らは王立騎士団の主戦力となっていった。
近衛部隊の副団長も、宗国貴族の父と南方地域の戦闘部族出身の母との間に生まれた婚外子だった。
そして、戦闘部族の血が取り入れられたのは貴族や軍だけではなかった。近親婚が進み、遺伝病が蔓延した王族にも積極的に他民族の血が入れられたのだ。
遺伝病が原因で脚が萎え、世継ぎを作れなかった先王は、王家の縁戚の女達と自身が選び抜いた南方地域出身の男達を後宮内で交わらせ、七人の王女と一人の王子を得た。
マルクの生物学上の父は、先王ではない。
史上最年少で王立騎士団軍部団長にのぼり詰めていた、ラインハルトという南方地域出身の男が父だった。
ラインハルトは副団長の元上官でもあった。
「ラインハルトにさぁ、『面白い男がいるのでぜひ会ってください』って言われたんだよね」
「ラインハルト補佐長にそんなことを言われていたのですか?」
十八年前、この場にマルクを連れてきたのは、軍部から特務部隊へ移り、特務部隊団長補佐官をやっていたラインハルトだった。副団長はその同時、特務部隊で伍長をしていた。
「てっきり子どものお守りに困った補佐長が、俺に押し付けに来たのかと」
「そんなワケないでしょう? 兄上は試合に出なきゃいけないのに」
昔話に、二人の間には自然と笑みが溢れる。
「兄上は凄かった。それまで剣闘技大会なんて馬上の槍試合に比べたら地味だと思っていたけど、兄上の剣技はめちゃくちゃ凄くて面白かったよ」
「お褒めにあずかり、光栄にございます」
「いや、ほんとだって」
「剣技は地味で悪うございましたね」
二人が出会った時、マルクは五歳、副団長は十八歳だった。歳の差はあれど、二人はすぐに仲良くなった。
人には言いづらい複雑な出自を持つ二人の間には、独特な絆があった。他の人間には話しづらい内容でも互いにだけは話せた。それは、王とその王を護る護衛官となった今も変わらない。二人きりでいると、自然と軽口がぽんぽん飛び出す。
「ラインハルトは今、どうしているだろうね?」
マルクの父ラインハルトは、四十になると同時に退役した。王立騎士団は副団長以上の地位にいないと、四十歳で強制的に退役させられる仕組みになっている。
ラインハルトの最終的な地位は、特務部隊団長補佐長。特務部隊内では副団長の次に高い地位となる。本人が強く望めば退役までの期間を数年延ばすことが可能であったが、ラインハルトは騎士団に残ろうとはしなかった。
「俺宛の手紙には、南方地域へ戻ってのんびりスローライフを送るとありましたが……」
「でも、未だに行方知れずなんだよね?」
「そうですね……」
ラインハルトがマルクの実父だと知る人間はそれなりにいた。現宗王の生物学上の父親に利用価値を見出そうとする者達から逃げ出すように、ラインハルトは行方をくらませている。
「補佐長の行方が分かりましたら、お伝え致します」
「いいよ。無理して探さなくても」
「……お父上の知恵が欲しいですか?」
副団長の言葉に、マルクはハッとする。
ラインハルトはかつて、軍部一の鬼才だと謳われていた。マルクは鬼才の頭脳を受け継ぐ子として、今は亡き先王から期待されていたのだ。
「……僕には兄上がいるから大丈夫だよ」
半分嘘だった。政争相手の暗殺など副団長に頼っている部分は確かにあるが、知恵の面では物足りないものを感じている。
未だ実父ラインハルトほど、頼りになる男には出会えていない。
「さっ、そろそろ戻ろうか。あんまり長い時間、城から離れるわけにはいかないからね」
マルクはひらりと絹の外套を翻す。王である彼の仕事は山積みだった。日々考えなければならないことは山ほどある。大きな決断を下さなくてはいけない時は、ラインハルトと亡き先王の顔を必ず思い出していた。
「陛下」
「何?」
「どうしても、耐えられなくなった時は仰ってください。補佐長が地の果てにいたとしても、必ず引きずってきます」
冗談とも本気とも取れる副団長の言葉に、マルクはぱちぱちと瞬きする。
「……うん、その時はよろしくね」
マルクは眉尻を下げながら笑うと、闘技場の出口へ脚を向けた。
<完>
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