番外編SS アスタクレスのその後
その日、元西の帝国の将軍アスタクレスはとある人物に呼び出されていた。
地下闘技場の一件から早一ヶ月が経つ。
軍病院退院の目処はついているが、処遇はまだ決まっていない。
(あの方に従者にしてほしいと頼んだが、やはり難しいか……)
元敵国の将を従者に据えるなど、そんな危険な真似は出来ないと考えるのは普通だ。いつ裏切るか分からぬ者を側には置けないだろう。しかも「彼は」王の護衛官だ。
だが、アスタクレスはどうしても見極めたかったのだ。
自分を負かした男が、どのような人物なのかを。
その男の強さがどこから来るのかを。
軍病院の中庭のベンチに座るアスタクレスに、近寄る影があった。
「お待たせして申し訳ありませんでした。アスタクレス殿」
アスタクレスは咄嗟に立ち上がる。
そこには一人の少女がいた。
「ティンエルジュ侯爵が孫娘、テレジアと申します。……あなたを打ち負かした男の長女です」
礼儀正しく腰を折るテレジアに、アスタクレスも同様に腰を折る。彼女が
打ち負かした、との言葉に引っ掛かりを覚えるも、事実なのでアスタクレスは何も言わなかった。
(この方が、次期ティンエルジュ侯爵家の当主テレジア様……)
両耳の上で艶やかな黒髪を結えた美しい少女だった。顔は驚くほど小さく、兵学校の制服らしき白いシャツと灰色のタックハーフパンツから覗く手足はすらりと長い。顔立ちは非常に整っているが、夏の青空を思わせる大きな瞳にはどこか愛嬌がある。
少女の両親を知るアスタクレスは、良いとこどりをしたのだなと思う。
「いきなりお呼び立てして申し訳ありません」
「……いいえ」
「今日はあなたから話を聞きたいと思い、参りました」
「どのような話でしょう?」
テレジアは空色の瞳を左右に揺らす。どこか迷うようなそぶりを見せた彼女だったが、アスタクレスの顔を真っ直ぐに見つめると、こう口にした。
「……宗西戦争での、父の話を聞かせてください」
テレジアの言葉に、アスタクレスは息を詰める。
敵国の将の武勇など、普通ならば話したくないものだが、相手はまだ十歳にもならない子どもだ。余計に話しづらいと思う。戦争にまつわる話は悲惨なものも多い。
「立ち話もあれです。座りましょうか」
アスタクレスはベンチに座るよう、テレジアを促す。彼女がちょこんとベンチに腰掛けると、アスタクレスもその隣りに座る。
少女と人一倍大きな中年男が、共にベンチに座る。人の目が気になったが、外来の受付時間が終わった今、中庭に自分達の他に他人気はない。
「私は祖父から宗西戦争での父の話を聞きました。父も私が尋ねれば答えてくれました。でも……私は西の帝国側の人間の話が聞きたいのです。私は将来、侯爵家の当主となる……歴史の真実を知っておく必要があります」
テレジアは太ももを隙間なく閉じて座ると、俯く。
その横顔には緊張の色が見えた。
(真実、と言っても)
アスタクレスは宗西戦争時、ずっと自国の
「私が知っていることで良ければ。……ただ、私は宮城警護の任にずっと就いておりました。他の将達に比べれば知っていることは限られる。予め、ご了承願います」
「ええ、かまいません」
それから、アスタクレスは自分が知る限りの話をした。
「宗西戦争と呼ばれる戦争は、我々西の帝国側から仕掛けました。宗国は今から約四十六年前に南方地域を属国として手中に収めてからというもの、着実に軍事力をつけていた。我々は宗国の力を削ぐため、大兵営を築き、約十六年前に宗国侵攻を開始したのです」
約十六年前に滅びるまで、大陸最大の領土を持つ西の帝国は栄華を誇っていた。帝国軍は大陸最強と謳われ、幾多の国や地域を滅ぼし、その手中に収めてきた。
だが、宗国侵攻だけは一筋縄ではいかなかった。戦争の準備を始めようとすると、軍の中心人物が必ずと言っていいほど殺された。何度も宗国侵攻の計画は頓挫し、業を煮やした時の王は無理にでも宗国を攻めろと軍に命を出した。
帝国軍は大急ぎで大兵営を築いたが、将校らが大兵営に到着したその晩に、宗国の王立騎士団特務部隊の一小隊に攻め込まれ、たった一晩で壊滅した。
その小隊の先頭に立っていたのが、まだ若干二十歳だったテレジアの父親だ。
「……宗国侵攻を企てた中心人物を暗殺してきたのは、あなたのお父上だという噂があります」
宗西戦争開戦前から、宗国には凄腕の殺し屋がいると話題になっていた。殺し屋は宗国人ではあるが、南方地域の戦闘部族の血を引いており、南方人に多い黒髪をしているとの注意書きが西の帝国の要人を中心に出回っていた。
殺し屋は遊女や男娼に扮して要人に近づくことも多い。黒髪の人間を買わないようにと国は注意を促してはいたが、要人達は次々に暗殺者の餌食となってしまった。
「……父は士官学校に在籍していた十四の時から、学徒として王立騎士団特務部隊に出入りしていたようです。南方地域の剣舞の舞手に扮して、西の帝国の要人を次々に殺して回っていたと、祖父が言っていました。父はたいそう美しい少年だったそうで、要人達も誘惑には抗えなかったのではないか? と。今のくたびれてしまった父の姿からは想像も出来ませんが……」
(いや、想像出来るだろう……)
テレジアの言葉にアスタクレスはそう突っ込みたかったが、黙っていた。テレジアの父親である彼は今でも三十代半ばの騎士とは思えぬほど美しい男であった。少年だった頃は、きっと神の使いかと紛うほどに麗しかったのではないかと容易に想像出来る。
騎士や兵は戦場で命を懸けることも多いからか、老け込む者も少なくない。二十代前半までは輝かんばかりの美貌を誇っていた者も、三十をいくつか過ぎる頃には髪と肌が傷み、かつての面影すら失ってしまう者も多い。
だが、テレジアの父親は違う。途中、育児に専念していた時期もあったと本人から聞いたが、それを差し引いたとしても別格だった。
髪や肌には艶があり、左右対称の完璧な相貌には傷一つ見られない。彼がくたびれてしまっているのなら、世の中くたびれた男しかいないことになってしまう。
アスタクレスが何と返答しようか迷っていると、テレジアを呼ぶ声が聞こえた。
「おーい、テレジアー!」
振り向くと、そこには件のテレジアの父親がいた。灰色の詰襟服の上に生成りの外套を纏った騎士服姿だ。
黒革のブーツで砂利を踏み締めながり、こちらへ歩いてきている。
「今、お母さんと皆が売店にいる。テレジアもお菓子買いに行ってきな」
彼はテレジアの前で身を屈めると、後方を指さした。
優しげに声を掛ける父親に、テレジアは眉を吊り上げる。
「子ども扱いはやめてくださいといつも言っていますよね? 私は今、アスタクレス殿と大切な話をしているのです。申し訳ありませんが、席を外して貰えますか? 父上」
テレジアの口調は厳しい。
だが、彼は柔和な表情を崩さない。
「子ども扱いしているつもりはないぞ? エミリオが大好きなテレジアお姉ちゃんがいないから、ぐずっててな……」
「……それなら仕方ありませんね」
テレジアはふうと一つ息を吐くと、アスタクレスの方を振り返る。
「アスタクレス殿、申し訳ありませんが……」
「ああ、大丈夫ですよ。どうぞ弟さんの元へ行ってあげてください」
アスタクレスは内心ほっとしながら、テレジアの背を見送る。
テレジアの姿が見えなくなったところで、テレジアの父親は口を開いた。
「……うちの娘が申し訳ない。何か失礼なことを言っていなかったか?」
「いいえ。ただ……宗西戦争の話が聞きたいと言われまして。私なりに知っていることをお話している最中でした」
「そうか」
余計なことを言っていないかと咎められると思ったが、彼が怒る様子はない。
「うちの子達は、やたらと俺の過去を知りたがるんだ。自分の所業を隠すつもりはないから逐一説明してやってるんだが、それでも物足りないらしい」
やれやれと、彼は軽く後ろに流した黒髪を掻く。
その横顔は父親の顔をしていた。
「大変ですね。お子様相手ですと、お話しづらいことも多いでしょう」
「ああ、出来れば戦争の話はしたくないな……あぁ、そうだ」
彼は何かを思い出したのか、ぽんと手のひらを打った。
「あなたの処遇が正式に決まった」
「はい……」
彼の言葉に心臓が跳ねる。彼の従者になれるのかそれとも別の道が待っているのか。胸を高鳴らせながら、次の言葉を待つ。
「王立騎士団特務部隊で客員として働いてほしい。……ブルーノの元でな」
「ぶ、ブルーノの元で、ですか?」
「不服か?」
「いえ……」
まさかの処遇に、つい疑問系で返してしまった。
ブルーノは特務部隊の団長の身で、副業をしていた。職務違反を犯したブルーノは、団長から伍長へ降格したと聞いている。そんな男の元で働くのか。
「ブルーノには俺から仕事を振る。ブルーノを支えてやってほしい」
「は、はい……」
(「彼の」元で働ければと思っていたが……世の中そう甘くはないか)
だが、ブルーノ経由で仕事は振って貰えるらしい。それだけでも
彼の元で働けないのは残念だが、仕方がない。自分は敵国の元将軍なのだから。
「これからもよろしくお願い致します。……閣下」
アスタクレスは彼に恭しく腰を折った。
<完>
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