番外編ショートストーリー集
番外編SS ターニャのストレス発散法
※第一部完結から二ヶ月後ぐらいの話です。
「陛下、午後からお休みを頂いてもよろしいでしょうか?」
「うん、いいけど。また三人娘とエミリオ絡み?」
「今回はターニャ一人ですね」
謁見の間にて、午前の来客対応をすべて終えた彼は主君マルクに声を掛ける。
突然休みが欲しいと言っても、マルクは嫌な顔一つしない。
「ターニャが『話がある』とのことで……。時間を作って欲しいと言われました」
「えっ、それは心配だね」
「まあ、そんな重大な話ではないと思いますが……」
子煩悩な彼は常に娘達の動向に気を配っている。三女のターニャが学校で虐めを受けているだとか、友達から無視されているような事実はない。
むしろ、ターニャは順調すぎるほど順調な学校生活を送っていた。教師からの評判もいい。
(逆に上手く行きすぎていることが心配だな……)
ターニャは相当無理をしているのではないか? と彼は踏んでいる。おそらくだが、学校でいい子にしすぎてストレスを溜め込んでいる可能性がある。
彼はターニャの姿を思い浮かべる。
腰まで伸ばした栗毛色のさらさらなロングヘア、少し垂れ目がちな空色の瞳、丈が長めのキュロットスカートの制服を着ているターニャは、少し
(この間、奥さんがターニャに会って、四時間もターニャを抱きしめていたというからな……。ターニャは俺にも甘えるつもりなのかもしれない。我が家は子沢山で、どうしても一人当たりの親を独占出来る時間が限られてしまうからな)
今日はたくさん話を聞いてあげよう、そう彼は考えていた。
◆
「た、ターニャ……」
今、彼は自室にてターニャと二人きりでいる。彼が戸惑った声を漏らしているのには理由があった。
部屋に入ったと同時に、手洗いもそこそこに、ターニャは彼にリビングのソファへ座るよう命じたのだ。
彼はターニャの指示通り、ソファへ腰掛ける。
ソファに座った彼を見たターニャは満足そうな顔をすると、自身もソファへ上がり、腰掛ける父親の上に向かい合わせになるように跨った。
この時点で彼は「ああ、ターニャは抱っこされたいんだな」と悟ったが、ターニャが望んでいたのはそれだけでは無かった。
彼の上に向かい合わせになるように座ったターニャは、彼の胸に顔を擦り付け出したのだ。なお部屋に入った段階で、彼は詰襟服を脱いでシャツ姿になっている。
頬をむぎゅむぎゅっと音がしそうなほど押し付けてくるターニャに、彼は戸惑った。
「ターニャ……、話ってなんだ?」
「話はございません」
子どもらしい丸みのあるほっぺをすりすり父親の胸板に擦り付けながら、ターニャはきっぱりと言った。
(話はないだと?)
ではターニャの目的は何なのか? 何故顔を人の胸に埋めているのか?
娘の行動が理解出来ず、彼は固まる。いや、ターニャが甘えたいというのは、分かるのだが……。
戸惑う父親に、ターニャは瞼を閉じてこう言い放った。
「あ〜〜……生き返ります。こうしていると、学校生活で擦り切れたものが癒されていくような……そんな気が致します」
「ターニャ……」
やはり、ターニャは疲れていた。
子どもとはいえ、ターニャも国の南半分を治める侯爵家の一員。周囲からプレッシャーの掛かる視線を向けられている。
「お父様に抱っこされていると、お屋敷で暮らしていた日々を思い出して安らぐんですの」
そうつぶやくターニャの頭を撫でてやる。栗毛の髪は滑らかで、子どもらしい淡い匂いがする。
「お父様……」
「何だ?」
「もっと慈しみの籠った手で撫でてくださいまし」
「……」
早速指摘が入った。
彼は心の中で苦笑いしながら、先ほどよりも優しく娘の頭を撫でる。
しばらく黙ってターニャの頭を撫でていると、今度は要望が飛んできた。
「『お前が一番可愛いよ』って言ってください、お父様」
「……お前が一番可愛いよ」
「まぁっ、やっぱりお父様は私のことが一番のお気に入りでしたのねっ!」
お前が一番可愛いと言うと、ターニャはパッと顔を上げる。その顔はものすごく嬉しそうで、とてもではないが「今、お前が言わせたんじゃないか」とは言えない。
「嬉しい、お父様……。もっともっと撫でて、私のことが好きだと、愛してると言って下さいまし」
「ああ、愛しているよ、ターニャ」
(相当溜まっているな……)
他人にはなかなかここまで甘えられないだろう。
彼はターニャの頭を撫で続ける。ターニャは兵学校の一年生と言っても、一年生の中で一番背が高いのでずっと膝の上に乗せ続けているのは結構大変なのだが、我慢する。
「ふふっ、この間はお母様に抱っこして貰ったのですが、ふわふわで幸せでしたわ」
「そうか、良かったな」
「でもお父様でないと得られない栄養があるなと思いました」
(どんな栄養だよ……)
またもつっこみたくなったが、耐える。
ターニャは女の子だし、ここまで甘えて貰えるのも今が最後かもしれない。ここは大人しくターニャの要求をのむべきだろう。
「お父様は口下手で、こういう時気の利いたことが言えない方ですけど、私はそんなお父様が嫌いではありませんよ」
「……ありがとう」
ターニャの吐息をシャツ越しに感じる。生意気なことを言っているが、赤ん坊のように彼女は父親に身を任せていた。
「……お父様がご多忙だということは分かっています。だから、今日はわがままを言ってもいいでしょうか?」
すでにターニャはわがまま放題言ってるような気がするが、彼は娘の申し出を受け入れた。
「いいぞ」
「わぁっ、ありがとうございます! では、遠慮なく吸わせて頂きますわ!」
「えっ? 吸う?」
ターニャの発言にぎょっとするも、遅かった。ターニャは彼の胸に顔を埋めると、「すんすすんんっ! すごーーすごーーふごっっ、ふごごっっ!!」と、鼻を盛大に鳴らしながら吸い始めたのだ。
吸われている時間は実際には僅かだったのかもしれない。だが、彼には永遠にも感じられた。
「ぷはっ!」
ターニャは息を吐き出しながら、顔をあげる。
その顔は恍惚としていた。
なお、目を見開いた彼の背景には宇宙が広がっている。
「ありがとうございます、お父様っ! とっても元気になれましたわ!」
「あ、ああ……それは良かった」
(い、今のは何だったんだ……?)
世の中には猫吸いという、猫の腹に顔を埋めて思いっきり吸い込み、英気を得る者がいると聞くが、それに近いものだろうか。
いや、でも……。
(三十代半ばの父親相手に……?)
考えたくないが、そろそろ加齢臭が出てきてもおかしくない年齢だ。そんな父親の体臭を吸ってターニャは不愉快ではないのだろうか?
「ターニャ、俺の匂いが嫌じゃないのか?」
「えっ? お父様はいつも良い香りがしますよ。オレンジのような爽やかで甘い香りです」
彼は密かに人を殺している。マルクの政権を脅かす輩を始末しているのだ。まとわりつく死臭を誤魔化すため、いつも柑橘系の香水を使っていた。それをターニャは良い匂いだと評した。
「……そうか」
「お父様、もっともっと抱っこしてくださいませ」
また胸元に頬を寄せる娘の頭を、彼は何とも言えない思いで撫でる。
なお、この抱っこは後二時間続いた。
<完>
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