第38話 昨日の敵は今日の……

「──なるほど、アスタクレスが軍病院内を歩いているのを見て、復讐しに来たと思ったと」

「はい……」

「うっかり家庭での出来事を話してしまい、独り者であろうアスタクレスを刺激してしまうと思い、俺とは不仲だと咄嗟に言ったと」

「はい……」


 彼はアスタクレスと妻との間にどかっと座り、無駄に長い脚をベンチの上で組んでいる。

 その隣で、アスタクレスは申し訳なさそうに手を挙げた。


「あのう、ご婦人、私は既婚ですが……」

「えっ?」


 アスタクレスが口にした真実に、彼の妻は瞬きする。


「鉱山で働かされていた時に、鉱山街の食堂に勤めていた五歳歳上の妻と出会いまして……。確かに実子はおりませんが、妻の連れ子を我が子と思って育てておりますよ」

「で、でも、確かパンフレットには……」

「ああ、支配人様から既婚とバレるとファンが減るから、孤独な男を演じろと言われていました。あなたのご主人を仇だと思っているような試合中の発言も、あくまで演出です。私はあなたのご主人を恨んでなどおりませんよ。私も、帝国の騎士だった頃は他国を滅ぼしています。戦で負けた方が滅ぶのは当たり前の話で、それを恨むのは違うと思います。……話が長くなってしまいましたね。ああ、今のはここだけの話にして頂けると助かります。私の家族の存在を知る者はごく一部です」

「あ、そ、そうだったんですね……」


 タコのようにカカーーッと首まで顔を赤く染めた妻は、そのまま小さく縮こまってしまった。

 そんな妻を見て、彼はフーッと息を吐き出す。


「だからいつも言っているだろう。先走るなと」

「はい……。まったくその通りです……。ごめんなさい、アスタクレスさん」

「まあ私は警戒されて当然の存在ですから。でも、間男は心外でした」

「……。も、申し訳なかった……。先走ったのは俺もだな」


 夫婦は二人でアスタクレスに頭を下げる。

 アスタクレスは困った顔をしながらも許してくれた。



「支配人様は拘置所へ連れて行かれたと聞きました。これから私はどうしたら良いかと考えてしまうのです。地下闘技場へは戻れません……支配人様が私に使った薬について、きっと大きく報道されることでしょう」


 アスタクレスは背を丸める。


「結婚しているということは、宗国の戸籍を手にしているのだろう? 自由に生きれば良いのでは? 地下闘技場で百勝もしていたなら、相当稼いだだろう?」

「……私は帝国の、代々騎士の家に生まれました。その影響か、誰かのためでないと生きられない性分なのです。出来れば、これからも誰かにお仕えしたい」


 (理解できなくもないが……)


 生きづらい性分だな、と彼は思う。だが、気持ちは分からないでもない。先王が崩御した時、心に隙間が生じたのだ。だが、自分にはマルクがいた。

 国さえ残っていれば、常に仕える相手はいる。

 だが、アスタクレスにはすでに祖国はない。


「あなたに、お願いがあります」


 アスタクレスの一つだけ残った瞳が彼へ向けられる。


「私を、あなたの従者にして貰えないでしょうか?」

「……はい?」


 アスタクレスの突然の申し出に、彼はぱちぱちと瞬きした。


 (いきなり何を言い出すんだ?)


 祖国を滅ぼした相手に向かって、従者にしてくれとは。

 まったく意味が分からない。


「突然申し訳ありません」

「いや……」

「一晩、考えたのです。きっと支配人……いや、ウラジミル様は捕まってしまう。私は地下闘技場へ戻れない。では、どう生きるべきかと。私は……もっと強くなりたいと思いました」

「アスタクレス……」

「あなたはとても強い。私の人生であなたほど強い者は見たことがない。私はあなたの側で働き、あなたの強さの理由を見極めたい」


 (……少年向けの冒険譚で、このような展開を見たことがあるな)


 エリは少年向けの冒険譚が好きで、よく読んでいる。

 昨日の敵は今日の味方、いや友だったか。

 相手の強さに感銘を受け、寝返る展開は読者の心を打つものらしい。


「旦那様、いいではありませんか。アスタクレスさんはきちんとしている方だと思いますわ」

「だがなぁ。近衛部隊の騎士に従者制度はないからな……」


 妻の言葉に、彼はうーんと唸る。

 近衛部隊は近衛部隊所属の騎士そのものが、王や王家、貴族の従者という考え方だ。

 ちなみにブルーノがいる特務部隊には『骨拾い』と呼ばれる従者がいる。任務のアシスト役が必要な部隊には従者制度はある。


 近衛部隊所属の自分が従者を持つのは難しいと思ったが、アスタクレスに同情を覚えた。それに仕事とはいえ、アスタクレスの主君を奪ったのは自分だ。


「主君や上官の許可が下りれば……」

「ありがとうございます」


 アスタクレスは立ち上がり、ほっとしたような顔をするとそのまま一礼して去っていった。



 ◆



 おかしな展開はまだ続く。

 一週間後、鼻歌をふんふん口ずさみながら、詰所までブルーノがやってきた。


「よう、近衛の副団長! 俺は晴れて降格になったぜ!」


 常人ならば落ち込みそうな展開に対し、ブルーノの表情は実に晴れやかだ。念願叶ったブルーノの顔はテカテカ光っている。


「そうか、良かったな」

「おう! 俺は特務部隊の伍長になった!」


 (伍長とは……ずいぶん落ちたな)


 てっきり団長補佐官ぐらいに収まるかと思いきや、下士官まで落ちてしまうとは。

 伍長は小隊の隊長でしかない。

 だが、現場主義者のブルーノ曰く、一番任務が多く、役職手当も出る伍長がコストパフォーマンス最強なのだそうだ。

 確かに上にあがればあがるほど、付き合いや何かで出ていく金は多いが、任務に出られないので結果的には収入は落ちてしまう。


「別れたカミさんから養育費もっと払えって言われてたからな。助かった!」

「そうか」

「これからも、よろしくな! 近衛の副団長!」


 (これからもよろしくとは……?)


 ただの挨拶だろうか? 何か引っ掛かるものがあると彼が感じていると、ブルーノは言った。


「陛下から、直々にあんたを助けてやってくれって頼まれたんだ! あんたには恩があるからな。地下闘技場の借金も払ってくれてよう、助かったぜ! どんどん俺に依頼してくれよ! 潜入は得意じゃねえが、鉄砲玉なら得意だぜ!」


 なんとブルーノも、昨日の敵は今日の友枠だった。

 ……まあ、予兆はあったが。


 (面倒なことになったな……)


 ブルーノとアスタクレス、使い所が難しそうな男が二人も増えてしまった。

 彼は心の中でため息をつく。


 彼の王城勤務はまだ始まったばかりだ。



 <第一部 完>


 ◆◆◆


 最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 これにて第一部は完結となります。最後に星の評価を頂けると嬉しいです!(レビューは無理して書かなくても大丈夫です! ここのレビューはアマゾ◯レビューではないので、後ろ向きなことを書くとアカウント停止になる恐れがあります。充分お気をつけください)


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