第34話 副団長、現場へ戻る

「えっ、今から地下闘技場へ向かわれるのですか?」

「ああ、しっかり休憩したしな」


 騎士服に着替えた彼に、妻は驚く。

 彼は姿見の前で髪を整えながら、妻の方を振り返る。


「そろそろムスカリとリーリエも一仕事を終えた頃合いだろう。責任者が行かないとな」

「はああ……騎士様のお仕事は大変ですね。お気をつけて」


 彼の妻と息子のエミリオは、今夜は彼の部屋で泊まることになっている。妻子と水入らずで過ごしたいのはやまやまだが、地下闘技場のことを放っては置けない。


 玄関口で手を振る妻に背を向け、扉を閉めて施錠する。


 (砂だらけになったシャワールームはちゃんと掃除したが、奥さん一人でエミリオを風呂に入れるのは大変だろうな。本当はエミリオに食事をさせて風呂に入れてから部屋を出たかったが、すやすや寝ていたし……)


 妻は一人で約十人前のパンドミ包みやおかずを準備していたようだ。「大変だったろう」と声を掛けると、「パンを切って具を挟むだけですから、簡単ですよ」と笑っていた。今朝も早くから起きて仕込みを……もしかしたら、前日の夜から今日のために頑張っていたのかもしれない。

 せめて今夜ぐらいはゆっくりさせてやりたいと思ったが、なかなかままならない。


 (俺が騎士業にかまけていたら、奥さんから三行半を突きつけられそうだな……)


 フンと小さなため息が落ちた。


 ◆


「閣下!」

「副団長殿」


 地下闘技場へ行く前に、団長のクリスティアンに現状を報告しようと詰所へ足を向けたその時だった。

 部下のリーリエとムスカリがそこにいた。


「リーリエ、今日はもう帰っていいぞ。遅くまで悪かったな。報告は明日でいい」

「はっ」


 リーリエはきびきびとした同作で腰を折ると、サッサッと音がしそうな足取りで帰っていった。


「代わりに私がご報告させていただきます」

「悪いな、ムスカリ」


 彼とムスカリは地下闘技場へ向かう。報告は歩きながらとなった。


「地下闘技場の支配人、ウラジミルは現在監査部の取調べを受けています」

「監査部を呼んだのか? さすが仕事が早いな」


 王立騎士団の監査部は王城内にあり、主に騎士団の風紀を取り締まっているが、王城敷地内の施設に関しても不正が行われていないか見張っている。


「ええ、ブルーノ団長が私を呼びに来た時に、ちょうど隣にクリスティアン団長もいらっしゃったので……」

「……それはブルーノ絡みで監査部を呼んだのか?」

「ブルーノ団長も、込みですね。クリスティアン団長自ら監査部へ向かわれました」


 (クリスティアン団長は甘そうに見えて、〆るところはキッチリ〆るからな……)


 ブルーノはおそらく、戦化粧を落とすことなく王城へ向かったのだろう。

 あの羽の広げたコウモリのような化粧を見られたら、現行犯逮捕待ったなしだ。

 ブルーノが属する特務部隊は、業務の都合上副業は認められているが、団長が副業をするのはまずい。団長は指揮官の立場にあり、特務部隊のメイン業務である諜報はまずしないからだ。


「ブルーノ団長はおそらく降格になるかと思われます。本人もそれを強く望んでいましたし」


 ブルーノは団長だと出撃できる任務が減り、副業もやりにくくなって困っていると嘆いていた。


 (何せ、降格したくて俺に突っかかってくるぐらいだからな……。まあ、あの分だともう俺に襲いかかってくることはないと思うが)


 ブルーノはアスタクレスを圧倒する彼を見て、やっと彼の凄さを認めた。


 (あんなに闇討ちで気絶させられていたのに……。あいつは特務部隊の団長なのに、闇討ちの難しさを知らないのか?)


「なぁ、ムスカリ」

「何でしょうか、副団長殿」

「手刀で人を気絶させるのって難しいよな?」

「……はい。私も南方地域の戦闘部族出身ですが、集落で闇討ちが出来たのは道場の師範と私ぐらいでした」


 ムスカリはこの宗国の南に位置する属国、南方地域出身。南方地域には十二の部族があり、その殆どがいくさを生業としている戦闘部族だ。

 ムスカリの実家は葡萄農園を営む豪農だが、ムスカリは幼少期から道場に預けられ、暗殺技術の高さを買われて十一歳の時に王立騎士団にスカウトされてこの宗国に来たらしい。


「俺は何回かブルーノに襲われかけて、そのたびに手刀を振り下ろしてヤツを気絶させてきた。だが、ブルーノはアスタクレスを倒した俺を見て、初めて俺を認めた」

「南方出身者が多い特務部隊じゃ、闇討ちが出来る者は珍しくないですからね。私も特務部隊にいた頃はブルーノ団長の前で闇討ちをやったことが何回かあります。それにブルーノ団長は生粋の宗国人ですから、南方地域の暗殺術に馴染みがないのでは?」

「なるほどな」


 ムスカリはかつて、ブルーノの部下だった。

 ブルーノも、部下が普通に闇討ちをやっていたら、闇討ちは「南方人なら普通に出来ること」だと捉えていても不思議ではないのかもしれない。


 (俺は母親が南方人だった。南方人に多い黒髪だし、ブルーノは南方人なら簡単に闇討ちが出来ると勘違いしてそうだな)


 そう思いながらも、彼はムスカリに確認する。


「闇討ち、簡単じゃないよな?」

「すごく高度な技術が求められますよね。でも、上手い人ほど簡単にやってしまうので、凄さが伝わりにくいんですよね」


 ムスカリは困ったように笑う。

 相手の意見を受け止めつつも、現状はどうなのか嫌味なく説明が出来るムスカリは、かなり会話技術が高いなと彼は感心する。


 (ムスカリの人望が高いのも頷けるな)


 睡蓮の宴の警護でも、ムスカリのおかげで特務部隊の力を借りることが出来た。

 言い方は悪いが、これは使えると思った。


「これからもよろしくな、ムスカリ」

「はい、よろしくお願い致します。副団長殿」

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