第30話 軟弱者のブルーノ
ウラジミルの部下が慌てて持ってきた剣は、淡い黄金色に輝く刃が美しかった。
(あれが、オリハルコン……)
彼は、異国の王族が御守り代わりにオリハルコンの短剣を持っているのを見たことがあるが、オリハルコンの長剣を目にするのは初めてだった。
「さあ、アスタクレス! そのオリハルコンの剣で宗国の猟犬の剣をへし折ってやるのだ!」
ウラジミルは観客席の最前列に陣取り、拳を振り上げてアスタクレスを鼓舞する。
剣闘技戦のルールは、剣そのものを地面に落としてしまうか、刀身が三分の二以上折れてしまった方が負けだ。
そのルールに則れば彼はすでにアスタクレスに二度も勝利しているのだが、速攻で試合を終わらせるわけにはいかないと思った彼が再戦を要求し、すでに試合は三度目となっている。
『試合、開始!!』
実況の宣言と共に、今試合三度目の鐘が鳴らされる。
(オリハルコンの強度がどれほどのものか、試してみよう)
彼は剣の柄を両手で握ると、大きく飛び上がった。
「うっ、うわぁっ!?」
アスタクレスは悲鳴をあげながらも、ガードするようにオリハルコンの剣を構える。
彼は淡い黄金色に輝く刃へ向かって、ブルーノの剣を思いっきり振り下ろす。
ガキンッと金属同士が打ちつけあう音が響くが、オリハルコンの剣は折れることもヒビが入ることも無かった。
(折れない……!)
思わず、彼は口元に笑みを浮かべる。
(これなら、剣の打ち合いが出来る……!)
子ども達を含めた、観客みんなが満足するような試合がこれで出来る。
嬉しくなった彼は、アスタクレスを挑発した。
「今度の剣は強度充分のようだな……! 来い! アスタクレス!」
「くっ……! 支配人様のためにも、負けてたまるものですか!」
それまでへっぴり腰だったアスタクレスは、ハッとしたように剣を構え直す。
本当の最終戦が、今始まろうとしていた。
◆
(すっ、すげえ……!)
入場口の影から、試合を見つめる男がいた。
くすんだオールバックの茶髪に細い口髭、ブルーノである。
(近衛の副団長……。あいつ、あんなに強かったのかよ)
ブルーノの目の前では、近衛部隊の副団長──黒髪の細身の男が、自分よりも頭一つ分大きな男を圧倒していた。
アスタクレスは、黒髪の男から繰り出される激しい剣撃の嵐に手も足も出ない。懸命に足を踏ん張ってはいるが、砂地の地面がずずずっと削れていく。
ブルーノの脳裏には、アスタクレスの以前の姿が映し出される。
(アスタクレスは手練れの傭兵四人を同時に吹っ飛ばしてたんだぞ……! それが近衛の副団長相手に何も出来ねえなんてよ、信じられないぜ……!)
この地下闘技場には各国の猛者が集められていた。一応王城敷地内ではあるので、入城許可が降りている身元がしっかりした猛者だ。戦いの基礎を幼少期から叩き込まれてきたような、技術と力を併せ持った戦士達がアスタクレスに次々吹っ飛ばされていく──そんな光景をブルーノは何度も目にしていた。
(俺もアスタクレスと模擬試合をしたことがあるが……)
ブルーノは自分の右手のひらを見つめる。
アスタクレスの剣撃をたった一発受け止めただけで、腕の痺れがしばらく引かなかったのだ。
(それを、あいつは……)
「ぐはぁっ!!」
強力な一発が入ったアスタクレスは仰け反ったが、かろうじて剣の柄は握っていた。
「来い、アスタクレス……!」
黒髪の男に再度「来い」と言われたアスタクレスは、顔を思いっきり引き攣らせている。
観客席の最前列でわーわー騒いでいる支配人のウラジミル。予想外の展開にどよめく観客達。押し黙る実況。信じられないと言わんばかりに立ち尽くす地下闘技場の職員達。
地下闘技場の雰囲気は一変していた。
ウラジミル以外は、黒髪の男を凝視している。
(近衛の副団長は、元は特務部隊にいた。十六年前の西の帝国との戦争で敵軍の大兵営を一晩で壊滅させたと聞いているが……。これは本当かもな)
十六年前の西の帝国との戦争時、ブルーノはすでに騎士になっていたが、彼は国内警護に当たっていた。ブルーノは騎士になった当初、近衛部隊にいたのだ。
新聞では毎日のように王立騎士団特務部隊による快進撃が報じられており、近衛部隊でも大いに話題になっていた。
宗国はかつて、百五十年以上も西の帝国の侵略に怯えていた。西の帝国さえ滅べばすべての物事が好転すると、皆信じていたのだ。
(俺もあいつに……特務部隊に憧れて異動したが……)
ブルーノは約十年前に特務部隊に移ってきた。西の帝国戦での特務部隊の活躍に憧れたのだ。
ただ、現実は厳しかった。
特務部隊は歩合割合が高く、危険な仕事をいくつもこなさないと新しい剣すら新調出来なかった。
(俺の生活は苦しくなったってのに、あいつは近衛部隊に異動して、裕福な嫁さんの実家で悠々自適な生活を送ってるって聞いて……腹が立ったんだった)
ブルーノは完全なる八つ当たりで、黒髪の男──彼のことをたびたび襲っていたのだ。もちろん、揉め事を起こして降格したいとも思っていたが。
(嫁さんの実家の警護に就いたあいつは弱くなったと思っていた。だが、あいつは今も強いままだった。軟弱者は俺の方だ……)
『フンッ! 五年も騎士業を休み、十二年も田舎に引き篭もっていた軟弱者に今更何が出来る。さっさと嫁さんの実家へ帰るんだなァ!』──そう宣った男はもう居なかった。
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