第15話 妻の手紙

(……テレジアには悪いが、うまくブランドンをおとしいれることが出来た。やはり、ついてきて正解だったな)


 元特務部隊の伍長だったムスカリ(※第11話参照)を手に入れた近衛部隊だったが、「ムスカリ伍長が抜けた穴は大きすぎる。近衛部隊からも誰か寄越して欲しい」との要望が特務部隊から届いており、どうしたものかと彼は悩んでいた。


 ちなみに、近衛部隊から特務部隊へ異動することを「堕天だてん」と呼ぶ。王や貴族の護衛を務める近衛部隊は王立騎士団の花形だからだ。逆に特務部隊は暗殺や諜報など裏仕事が多い。天から地へ堕ちるイメージを持たれやすいのだ。


 (特務部隊からは「外見さえ良ければ武術の腕は問わない」とは言われたが……)


 特務部隊の有名な業務は暗殺だが、四六時中暗殺ばかりしているわけではない。敵の懐に入り込み、情報収集を行うのも大事な仕事だ。むしろ諜報の方が特務部隊のメイン業務だと言えるかもしれない。


 諜報に向いている人間は、武人に見えない者だ。いかにも戦いが得意そうな見た目だと、敵に疑われる恐れがある。

 その点、ブランドンは戦経験が乏しい。ちょっと鍛えている貴族のボンボンか商家の道楽息子にしか見えないだろう。


 なお、敵の幹部や要人に男色家が多いとブランドンに言ったのは、ただの脅しだ。ブランドンはとにかく素行が悪く、女性関係がだらしなかった。『仕込み』の話も、キツくお灸を据えるつもりで言った。

 だが、敵に男色家がまったく居ない……とは言い切れない。

 

 (……まあ、ブランドンもああ見えて騎士だ。無理やり迫られても何とかするだろう)


 ◆


「お疲れ様、副団長。手紙が届いていたようだよ」

「ありがとうございます」


 近衛部隊の詰所へ戻ると、近衛部隊団長のクリスティアンがにこやかに出迎えてくれた。

 ふと見ると、自分の机の上に封筒があった。差出人の名は、妻になっている。

 彼が王城勤務になってから、約三週間になる。


 (とうとうこちらへ来る日取りが決まったのか)


 逸る気持ちを抑え、ペーパーナイフを手に取る。中の手紙を切らないよう、気をつけながら小さな刃を当てる。


 封が開き、中の手紙を抜き取る。ぱらりと開くと、そこには妻の書き文字がずらりと並んでいた。

 一度彼は手紙をぱたんと閉じると、胸に当てて瞼を閉じた。


「どうかしたのかい? 奥様の実家で何かあったのか?」


 彼の反応を見たクリスティアンは困り顔で問いかけてきた。どうも、不幸があったのだと勘違いされたようだ。


「いいえ。久しぶりに妻の書き文字を目にしたので、あまりの尊さに胸が潰れそうになりました。そこで、一度インターバルを取ることにしました」

「ああ……そうなの」


 いつもは言葉少なな彼がいきなりペラペラと話し出したのを見、何かを感じ取ったらしいクリスティアンは視線を逸らした。


 (屋敷から出る時は、少しぐらい離れていても平気だと思っていたが……)


 妻は今まで月に二回ほど王都に出向いていた。娘達の衣替えの手伝いや、その他もろもろの世話をするためだ。

 娘達の世話をしに来た時に、自分も妻に会いに行けばいい。

 ……そう考えていたのだが、王城勤めは想像以上にストレスフルな環境だった。


 時短勤務を申し出たものの、夕方娘達の相手をしたら、何だかんだで詰所や王城へ戻らねばならず、仕事に忙殺されていた。使える部下と使えない部下の落差が激しすぎて、勤務予定を作っているだけで頭が痛くなる。


 やっと取れた休みやスキマ時間も、娘の用事で溶けていく。いや、別にそれはいいのだ。娘達の世話は好んでやっている。親なのだから、やって当然だと分かっている。だが……。


 彼は額を手で押さえる。全力で甘えてくる次女と三女、難しいお年頃の長女、無能な部下、人柄当たりは良いが規律感覚がいまいち緩い上官、負担をかけている有能な部下。上と下、そして家族との板挟みで、彼は疲労しきっていた。


 (奥さんが王都に来たら、午前授業の日は三人の相手をお願い出来そうだな……)


 次女のエリが、「午前授業の後は、ママが作ったランチが食べたい!」としょっちゅう言っている。妻も断らないだろう。週に一度でも、娘の相手をお願い出来るなら、それに越したことはない。


 気分が落ち着いたところで、改めて妻の手紙を開く。

 そこには彼の期待通りのことが書かれていた。


『旦那様、お元気ですか? お食事はちゃんとされていますか? 眠れていますか? 旦那様は環境が変わると何も召し上がらなくなるので心配です』


 まるで引越しした飼い猫を心配するかのような書き出しだった。だが、事実である。彼は環境が変わると食欲を無くすタイプだ。


『私とエミリオはとても元気……と言いたいところですが、エミリオは先週まで軽い風邪を引いていました。すぐにでもそちらへ行きたい気持ちはありましたが、エミリオの回復を待っていたら日にちが経ってしまいました。申し訳ありません。母子寮の部屋の手配も済み、来週の頭にでも王都へ行けそうです。旦那様やテレジア、エリやターニャに会えることを楽しみにしています』


 手紙の内容は短かったが、なんとかこちらへ移住出来ることになったようだ。

 風邪を引いてしまった息子のことは気掛かりだが、文章を見るに今は回復したらしい。


「団長殿、妻と息子が来週からこちらへ来ることになりました」

「それは良かった。奥様の屋敷を借りるのは大変だったろう」


 クリスティアンは彼の妻が何者なのか知っている。現王の父親違いの姉で、この国の南半分を治める侯爵家の一人娘。紛うことなき、やんごとない人物。


 クリスティアンはおそらく、使用人や護衛を大勢連れた彼の妻の姿を想像しているのだろう。


「いや、母子寮に住むそうです」


 彼はクリスティアンの想像を打ち砕く。

 にこやかだったクリスティアンの顔が、固まった。


「ぼ、母子寮……?」

「王城の目の前に平屋の建物があるでしょう? あそこです」

「そんな……。あんなに狭いところじゃ使用人や護衛と一緒に暮らすなんて無理だろう?」

「まぁ、母子寮ですから。妻と息子の二人で暮らすそうです」


 なんてことのない、と言わんばかりに彼は淡々と事実を口にする。

 一方で、クリスティアンは額に汗を浮かべていた。


「私が口を挟むことではないと重々承知だが……、だ、大丈夫なのかい?」

「はい、妻は私よりよっぽど生活力がありますし、なんならその辺の近衛騎士より戦えますよ」


 クリスティアンは胸の前で腕を組むと、「ううむ」と唸る。


「テレジア様のお母上だと思えば、納得……いや、でも」


 クリスティアンの脳裏には、にこにこと微笑むぽっちゃり女性の姿があるのだろう。

 確かに妻は、武術とは一見、無縁そうに見える。


「私が責任を持って妻と息子を護りますから、ご安心を」

「あ、ああ、君がそう言うのなら大丈夫なのだろう。出過ぎたことを言って申し訳なかった」


 (クリスティアン団長は良い方だな)


 一部隊の団長としては頼りないが、相手を尊重出来るのは美点だ。事実、クリスティアンを慕う部下は多い。それに有能すぎても問題があるので、これぐらいでちょうどいいのかもしれないと彼は解釈する。


 (まぁ、団長の足りないところは副団長の俺が補うか)


 汚い仕事・嫌われ役は慣れている。

 彼はフンと息を吐くと、妻の手紙を四つ折りにして胸ポケットへ仕舞った。

 こうしていると、妻が側にいるようで少し元気が出た。

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