第11話 近衛と特務の人事事情
どうやら、調理場にいた敵の仲間も取り押さえることが出来たようだ。
首の後ろで黒髪を一本にまとめた部下が、彼の元へとやってきた。その後ろで、他の騎士や兵達が、先ほど彼が倒した者達を搬送している。
「副団長殿、第一調理場を制圧しました」
「ご苦労。第二調理場はどうだ?」
「宴の準備は着々と進んでいるようです」
料理に毒を入れられることは無いと踏んでいたが、念の為、別の料理屋も第二調理場に呼んでいた。
元々、他国の要人を王城敷地内でもてなす場合は複数料理屋を呼ぶ。何が起こるか分からないし、トラブルがあったところで料理が用意出来ないのは絶対に許されないからだ。
それに料理が余ることはない。王城には食べ盛りの騎士や一般兵、従者がわんさといるのだ。宴が終わった後、残り物を囲んで打ち上げを行うのはよくあることだ。
(……うちの奥さんが魚料理を好む人で良かった)
彼は自分の妻の顔を思い浮かべる。彼の妻はエビやカニ、それに丸のまま焼いた魚が大好物で、王都へ来るたびに魚介が食べたいと彼におねだりした。
その影響で、彼は王都の魚料理屋事情に詳しい。ただ、妻はお上品な高級店は好まなかったので、いつも行く店は庶民も通うような店だったが。
今回は第二調理場に、高級店に負けないほど美味しい魚料理を出す店を呼んでおいた。
彼の妻、お墨付きの。
ちなみにだが、彼は自分の妻のことを、心の中ではこっそり奥さんと呼んでいる。
恥ずかしいので絶対に口には出さない。
「第一調理場の料理はどうされますか?」
「一応毒物検査をして、問題無いようなら特務部隊も誘って皆で食え」
今回は近衛部隊だけでなく特務部隊にも応援を頼んだ。近衛部隊には元特務部隊の騎士がいる。
「心配なら別にいいが……」
「いえ、皆喜ぶと思います」
首の後ろで黒髪を括ったこの長身の男は、元特務部隊の騎士だった。今回の大編成で近衛部隊へ異動となった。ポジションは斥候で、近衛部隊の騎士ながら王城敷地外に住むことを特別に許されている。
元の部隊では伍長をしていたらしく、上官や部下、同僚からたいへん慕われていたようだ。今回の任務の際、彼が古巣へ協力を呼びかけると、なんと騎士と一般兵を合わせて二十名も集まった。
「皆、毒の耐性はありますし、旨いものに目がないですから」
そう部下の男は苦笑いする。顔立ちは
(ムスカリ、だったか。なかなか仕事の出来るやつだな)
特務部隊から近衛部隊へ異動する人間はそこそこいる。近衛部隊は貴族家出身の
一方特務部隊は南方地域の戦闘部族出身者が半分を占める。武術に長け、戦果も申し分なく、人柄の良い者は近衛部隊からスカウトされることもある。
人を引き抜かれる側である特務部隊は、近衛部隊をよく思っていないのでは……と考えられがちだが、当然逆もある。近衛部隊から特務部隊へ異動になることもあるのだ。
近衛部隊はよくも悪くも出会いの宝庫で、男女関係で足を踏み外し、清廉潔白さが求められる近衛部隊にいられなくなった人間はそれなりにいる。
ちなみに近衛部隊から特務部隊へ異動することを、皆「堕天」と呼んでいた。
このムスカリは、武術の腕と人柄を見込まれ、近衛部隊へと移ってきた。今回、異動後はじめて本格的な任務を行ったが、彼が期待していた以上に動いてくれた。機転がきくのはありがたい。
「ムスカリ、これからも頼りにしているぞ」
彼は敢えて「デキる上官」ぶった顔を作り、ムスカリの肩をぽんぽんと叩く。ムスカリの紫ブドウ色の瞳に光がさす。
「副団長殿の期待にお応え出来るよう、これからも精進して参ります」
「ああ。……呼ばれているぞ、行ってやれ」
ムスカリは恭しく腰を折ると、背後から呼ばれた声へ向かって走っていく。
その背の上で跳ねる一本に束ねた黒髪を見て、彼は思った。
(なんという艶やかな黒髪だろう。特務部隊は激務で髪の手入れなんかろくに出来なかっただろうに……。どうやってあの髪を維持したんだ?)
彼は羨望と少しの嫉妬が混じる目で、ムスカリの髪を見つめる。
彼は三十代半ばの騎士には見えないほどの美貌の持ち主だが、これは彼の努力の賜物であった。
定期的に髪結を呼び、黒髪を短く保っているのも、痛んだ毛先を残したくないからだ。
妻の実家に居た頃は、彼は馬に乗って領の村々を回っていた。一応外套を頭から被るなど日焼け対策をしていたが、それでも賊の類と交戦する時はそんなことを言っていられなかった。
戦いの日々を送っていても、美しい髪でいられる秘訣をぜひ知りたい。
「おっと……」
考えごとに耽っていると、遠くから楽器の音が聞こえてきた。今から行けば、テレジアの舞を目にすることが出来るかもしれない。
彼は近くにいた騎士に声をかけると、足早にその場を後にした。
◆
すでに宴は始まっていた。
彼は扉の隙間から、会場を覗き込む。
招待客は外での騒動に何も気がついていないらしく、前菜で一杯やりながら隣り合う客人達と談笑している。
その姿に、彼はホッと息をつく。
物語では、騒動が起き、騎士が主人を護りながら戦う様がかっこよく描かれているものだが、彼は護衛対象に、何事もない日々を過ごしてもらう事こそが至高だと思っている。
ふいに音楽の曲調が変わる。
彼の視線は、客人達から舞台へと移る。
舞台上には、長剣を持ったテレジアがいた。
口覆いをつけたテレジアは、ゆったりとした音楽に合わせ、長剣を振るう。
この剣舞は、南方の稲作地域でよく踊られていたもので、出征する男達の無事を祈るために始められたものらしい。
(懐かしいな……)
彼は兵学校時代、長期休暇の度に南方の戦闘部族の元へ預けられ、暗殺修行を重ねていた。
剣舞にも馴染みがあった。
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