第10話 脅威はこっそり取り除く

 睡蓮の宴の日がやってきた。

 周辺の国々の諸侯らを呼び、もてなすこの行事は、ただの接待ではない。

 睡蓮の宴の歴史は約四十年ほどになる。この大陸の宗主国である宗国と、属国の南方十二部族の和平が続いていることを他国へアピールするためのものだ。


 彼は石造りの壁に背をつけると、腕を組む。日はすでに沈んでいて、遠くの通りでは等間隔に設置されている街灯の橙のあかりが辺りをぼんやり照らしていた。


 ふいにぬるい風が吹く。何かが焼けるような香ばしい匂いが鼻についた。睡蓮の宴では魚を振る舞うのが慣わしだった。今日も港の有名店の料理人らが呼ばれたらしい。


 街頭の灯りも魚が焼ける匂いも、どちらも有事の際には感じられないものだ。


 (……陛下は平和を望んでおられる)


 先王は下々には柔和に接していたが、好戦な為政者だった。

 西の大国を含め、あらゆる国や地域を滅ぼし、宗国の領土へと変えて行った。戦争に勝利し続けている宗国は好景気が続き、異国からの技術も次々に導入され、二十年前とは比べ物にならないほど発展しているが、民は疲弊しているとマルクは言う。


 マルクは自分の代では戦争を起こしたくないと、戴冠式で強く宣言した。

 だが、戦争が起こることで甘い汁を啜れる連中は、マルクの宣言を面白くないと思ったようだ。

 隙あらば他国といざこざを起こし、戦争の火種にしようと考える人間はいくらでもいた。

 この睡蓮の宴にも、おそらく間者が送り込まれている。


「匂うな」


 彼はつぶやく。彼はまだ士官学校の生徒であった頃から、特務部隊の間者として色々な場所へ潜り込んできた。その経験から、敵の動向を察知するのに長けていた。自分が間者ならどうするか、彼は常に考えている。


 宴席の場で、他国の要人を殺したことだってある。自分が行った暗殺がきっかけで、戦争が起こったことは幾度もあった。

 彼はこの国きっての死神だった。

 自らの手で戦争の火種を作り、燃やし、大勢の人間を殺してきた。彼は人を殺すための道具として生み出された。だから殺した。生きるために。そして、自分の家族を得るために。



「父上、こんなところにいらしていたのですか」


 彼が考え事に耽っていると、舞い手の衣装に身を包んだテレジアがやってきた。色鮮やかな朱色の合わせの着物を纏ったテレジアは、顔にも戦化粧と呼ばれる化粧を施している。艶やかな黒髪を頭の高い位置で結いあげ、目尻に紅い目張りを入れた彼女は、大人っぽく見える。


「もうすぐ、宴が始まりますよ」

「そうか」

「あっ……! どちらへ行かれるのです。もう、宴は始まります!」


 テレジアの言葉に彼は壁から背を浮かせると、彼女がやってきた方角とは別のところへ向かって歩を進め出した。

 それをテレジアは制止する。


「お前の警護へ行く」

「お前のって……。では、私と一緒に来てください」


 護衛対象の側にいることばかりが警護ではない。護るべき相手に脅威の存在を知られぬよう排除することこそが、警護だと彼は考えている。


「先に行っていろ」

「父上!」


 自分を呼び止める、娘の声。

 娘の舞を見たい気持ちは当然あるが、今は敵が迫っていた。テレジアに呼ばれ、後ろ髪を引かれる思いがする。側にいてやりたいが仕方ない。


 石の階段を足早に降り、突き当たりを右に曲がる。一旦脚を止め、自分が来た道の様子を窺う。

 脚音は無い。テレジアは追って来なかったようだ。

 彼はふんと短く息を吐く。


 (またテレジアに嫌われてしまうな)


 なかなか世の中上手くはいかない。今夜の宴も、間者が潜んでいなければテレジアの舞を目に出来たのに。

 残念ながら、敵はいた。


 ◆


 自分ならばどう潜むか。相手ならば、どう行動するか。頭の中で何度もシミュレーションする。

 そして彼は解を出した。


「──動くな」


 彼は間者の背後に立つと、その首に銀の細い暗器を突き付ける。


「ひ、ひぃぃっ!」


 悲鳴をあげたのは、宴のために呼んだ魚料理屋の料理長だった。宗国内では高級店と名高い。

 好景気が続く宗国には色々な国の人間がやってくる。この間者も、市井の料理人になりすまして入り込んでいたのだ。いや、料理人であることは間違いない。間者のほとんどは市井の仕事を持っている。一般の民に紛れ込み、諜報を行うからだ。

 そして、時には暗殺も。


「き、騎士様、何ですかぁ? 私はただ、手洗いへ行こうと……」

「料理の仕込みが大詰めになっている、今にか?」

「ええ、汚い話で申し訳ないですが……」


 とっさに両手をあげた料理長。焦っているようだが、柱の影へ向かって目配せした。どうも仲間がいるようだ。


 (まぁ、こっちも部下に見張らせているがな)


 全員ではないだろうが、他の料理人も間者である可能性は高いと踏んだ彼は、最初から部下の数人を調理場周辺へ送り込んでいる。

 彼は料理長の身体を見る。


 (……この料理長、手練れだな)


 一見、体型はどこにでもいそうなポッチャリ中年だが、いつでも戦闘体勢を取れるようにしている。

 料理人が間者なら、ターゲットを毒殺すると考えるのは素人考えだ。毒殺は確実ではないし、ターゲット以外を殺してしまう可能性だってある。

 おそらくターゲットは今夜の招待客、東國の公爵だろう。


 (この男は、自らターゲットを殺しに行こうとした)

 

 料理長は北国の漁村出身だと調べがついている。年中雪に覆われた北国はどこも貧しいが、体格や身体能力に恵まれる者が多い。

 この料理長は背自体はそんなに高くない。運動神経の高さを裏組織に見込まれ、暗殺者の道へ入ったのかもしれない。


「こっちへ来てもらおうか」

「了解いたしました。……すみませんが、先に手洗いへ行かせて貰えないでしょうか?」

「許そう」

「ありがとうございます」


 二人で手洗いへ続く細い道へ入る。


 (なるべくひと気の無いところへ移動して、俺を一人で始末しようという魂胆か)


 なめられたものだと彼は思う。だが、自分の戦歴を知らない人間なら、なめて掛かるのも致し方がないとも思う。

 見た目は騎士にしては細いし、背だって一般人から見れば高い方だが、騎士団の平均身長ぐらいである。

 顔には傷らしい傷はなく、口元も歪んでいない。一見すれば戦さに不慣れな名ばかり騎士に見えるだろう。


 手洗いの入り口が見えてきたところで、彼の想像どおり、料理長は襲いかかってきた。

 懐からナイフを取り出すと、小太りな体型に似つかわしくない機敏な動きで、彼の喉をかっ切ろうとする。

 それを彼はあと一歩のところで交わすと、料理長の手首に手刀を振り落とした。


「あっ……!」


 ナイフが石畳の上へ落ち、カラランと乾いた音を立てた後、くるくると回った。料理長の視線がナイフに向かっている隙を見て、彼は肉付きの良い腹部を膝で思い切り蹴り上げた。


「うぐぅ……」


 料理長は半目を向くと、そのまま床の上へどさりと崩れ落ちた。

 彼はナイフを黙って回収すると、腰に下げた道具入れから手錠を取り出す。

 料理長の搬送は部下に頼むが、途中で目を覚ました料理長に害されてしまうかもしれない。

 後ろ手に手錠をはめ、脚にも逃走防止用の脚錠を掛ける。


 (この人はなかなかの手練れだ)


 ナイフ捌きはなかなかの物だ。おそらく高級店の料理長を務めながら、何人も殺している。

 自分が王都に常駐していない間に、ずいぶんと物騒になったものだ。


 彼が元来た道を引き返すと、そこには先ほど料理長が目配せしていた仲間らしき者達がいた。服装は料理人のものだったが、手にした得物は殺傷能力の高そうな小剣だ。四人いる。


「一人ずつ相手にするのは面倒だ。まとめて掛かって来い」


 彼は口元に笑みを湛えながら宣う。一対一よりも、複数相手の方が得意なのでそう言ったのだが、敵は挑発だと捉えたらしい。


「くそっ、なめやがって!」

「よくもカシラを!」


 料理長は裏ではカシラと呼ばれていたらしい。若い衆が威勢良く飛びかかってくる。


 (遅いな)


 動きがトロい上に、一斉攻撃に慣れていないらしく、ぶつかり合っている。互いにドンとぶつかり、「わぁっ!」と驚いている隙を突き、彼はこの四人の中で一番序列が上であろう男へ向かって、細長い暗器を投げつけた。


「うあっ!」


 一人の男の顎に、銀色の暗器がぶすりと刺さる。


 (まあ、話は料理長に聞けばいいだろう)


 それよりも、叫ばれては面倒だ。顎を不能にすれば、人は話せなくなる。無理に叫ぼうとすれば激痛が走るはずだ。

 顎に暗器を刺した男の、太ももにも同じ物を刺してやった。そいつは床の上に倒れ込んでしまった。


 おそらくは実力主義の暗殺組織で、上二人が倒された。能力的に劣っている他三人は恐ろしくなり、逃走を試みようとする。

 しかし、そんなことは彼が許さない。


 尻尾を巻いて逃げる敵に、彼はそれぞれ足元へ向かって暗器を投げつける。膝裏やふくらはぎに暗器が刺さってしまった彼らは、床の上を転げ回る。


「悲鳴をあげてみろ。お前らの首が吹っ飛ぶぞ」


 彼は剣帯から騎士剣を引き抜くと、なんとか暗器を抜こうと必死になっている者達へ刃を向ける。

 そうこうしている内に、騎士団の若手がこちらへ向かってくるのが見えた。


 (若手が来る前に決着がついて良かったな)


 近衛部隊の騎士は名家の出身者ばかり。危険なめに遭わせれば面倒なことになる。

 彼は念の為、敵の若い衆四人にも手錠をかける。多少荷物になっても、手錠を多めに持ってきて良かったと思った。

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