第9話 長女は父に甘えたい
「えっ、父上が私の護衛に……!?」
近衛騎士団長クリスティアンの報告に、テレジアの黒々としたツインテールの毛先がびょんと飛び上がる。
「で、でも、父上は叔父上の護衛官でしょう?」
「ご安心ください。陛下の了承は得ておりますから」
品良く微笑むクリスティアンに、テレジアの頬はみるみる内に赤く染まる。
彼女が照れているのは、正面にいる金髪碧眼の美形騎士の笑顔を目にしたからではない。
テレジアの脳裏には、彼女をカッコよく護る父親の姿があった。何人もの屈強な敵を前にたじろぐことなく立ち向かい、騎士剣を振るい、バッタバタと切り捨てていく父親を想像し、彼女はほうと甘い息を吐く。
そして、彼女はハッとする。
(父上が私の護衛になるということは、睡蓮の宴の間、父上を独り占め出来るってこと……!?)
テレジアは頬に両手を当てると、はわわわと口を
いつもは妹や弟の手前、甘えることの出来ない父親。その父親と二人きりになれるチャンスではと、テレジアは胸を高鳴らせる。
テレジアは普段、父親のことを避けている。妹達のように学校帰りに騎士団の詰所に寄ることもない。用事を作っては、会わないようにしている。
どうしても父親と言葉を交わさないといけない場面では、素っ気無い態度を取っている。だが、それは父親を嫌っているからではない。
むしろ逆だった。
父親のことが大好きすぎて奇行に走ってしまうので、テレジアは泣く泣く避けていたのだ。妹達に慌てる自分の姿を見せたくなかったのだ。
テレジアは自分が長子であるという意識がとても強い。祖父から次期侯爵にと指名を受けてからというもの、その意識はますます高まった。
父親を押し退けて侯爵家の跡継ぎになってしまったという負い目もあり、テレジアは素直に甘えられなくなってしまった。いつも父親に生意気な態度を取っては後で後悔する。そんな切ない日々を送っていた。
ほんの少しの間、喜びのあまり固まっていたテレジアは、目を丸くするクリスティアンの視線に気がつき、慌ててコホンと咳払いをする。
テレジアはいつものキリッとしたよそゆきの顔を作った。
「了解いたしました、クリスティアン殿。ご報告いただき、ありがとうございます」
「ふふ、こちらこそ。喜んで頂けてなによりです」
顔を取り繕うテレジアに、クリスティアンはうふふと笑い声を漏らす。そんなクリスティアンに、テレジアは真っ赤になって反論した。
「なっ……! 私は喜んでなどおりません! 護衛はクリスティアン殿が良かったです!」
「さようでございますか」
クリスティアンの目が優しげに細められる。
きっと彼は、自分が父親のことが大好きだという事実に気がついているのだろう。そう思うとテレジアは恥ずかしくて堪らなかった。
◆
彼らの背後には黒い影があった。
(テレジア……)
そうテレジアの父親である「彼」だ。彼はクリスティアンの後ろをこっそりつけていたのだ。
理由は一つ、テレジアの反応を見るためだ。
テレジアが自分の護衛をあまりにも嫌がるようなら辞退しようと考えたのだ。
彼はテレジアから嫌われていると思い込んでいる。
(テレジア、頬を赤くしているな……)
テレジアとクリスティアンは声量を落としているのか、ここからはあまり会話が聴こえて来ない。ただ、テレジアがクリスティアン相手に照れているのはなんとなく分かる。
いくら相手が美丈夫と言っても、見ていて気持ちのよい光景とは言えない。
彼は奥歯をぎりりと噛み締める。いつもの淡々とした涼しい顔はどこへやら、顔の中央にぎゅっと皺を寄せていた。人に見せてはいけない顔をしている。
(テレジアが、「クリスティアン団長がお父さんだったらいいのに」とか考えていたらどうしよう……)
彼の心臓がきゅっと縮む。大切に育ててきたのに、他の男が父親だったら〜なんて思われたら、悲しくて悔しくてどうにかなってしまう。
嫉妬のあまり、任務中の事故に見せかけてクリスティアンを始末してしまうかもしれない──彼はそんな危ない考えに陥りそうになる。
ちなみに、一流の殺し屋となるよう幼児の頃から暗殺の英才教育を受けてきた彼の倫理感はかなり普通でない。子煩悩だからと言って善人とは限らないのだ。妻子のことは心から愛しているし、幸せも願っているが、他の人類のことなど正直どうでもいいと思っている。
ただ、そんなことはわざわざ口に出して言わない。一応騎士である以上、ある一定の倫理観を持ち合わせていないとまずいからだ。
そんな嫉妬に狂いそうになっている彼の耳に、テレジアの叫ぶような大きな声が飛んできた。
「なっ……! 私は喜んでなどおりません! 護衛はクリスティアン殿が良かったです!」
(護衛はクリスティアン殿が……良い!?)
決定的なテレジアの言葉。
彼は全身を真っ白に染め、目を見開く。瞬時に塩の柱に変わってしまった彼の身体にぴしりと亀裂が入ると、さらさらと崩れ落ちていく。
彼は口元に弧を描くと、ぎりっと唇を噛み締めた。
一滴の血が、形の良い顎につつっと垂れ落ちる。
(クリスティアン団長、殺す……!)
なお、この後クリスティアンは彼に事細かく成り行きを説明したので、クリスティアンが事故に見せかけて冷たい地の下へ埋められることは無かった。
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