第8話 近衛部隊団長クリスティアン

「テレジアの護衛?」

「はい、ぜひお任せしたいと」


 この日、彼は近衛部隊団長のクリスティアンに呼び出されていた。

 近衛部隊団長クリスティアンは現在三十四歳。彼よりも少しだけ若い。裕福な子爵家の嫡男で、家を継ぐため、後二年で退役することが決まっている。


 金髪碧眼の美丈夫で、物腰が柔らかい。弧を描く口元からは、美しく生え揃った歯列が見える。まさに物語に出てくるような騎士だった。とにかく品が良い

 だが、まだ結婚はしていない。貴族家の跡取りだが、婚約者すらいない。

 理由は複雑で、クリスティアンは完璧主義者だった。他人には甘いが自分を含め身内には厳しいタイプで、恋人が出来てもすぐに逃げられてしまう。いわゆる「結婚出来ない男」だった。王城で働く侍女達からは影で地雷男呼ばわりされていた。


 そんなクリスティアンは、彼に任務の説明をする。


「今度、東國の要人を招く行事があるのですが、あちらの公爵様が『南方の剣舞をどうしても見たい』と仰っていて……」

「なるほど。その席にテレジアが呼ばれたと」

「ええ、テレジア様は南方人の踊り子以上に素晴らしい舞を踊られますから」

「そうですね」

「それに、テレジア様もお父上が側にいた方が安心でしょう」


 クリスティアンは額に汗を浮かべ、先ほどからしきりにハンカチで拭っている。

 直属の部下相手に話しているとは思えないほど、クリスティアンは緊張していた。


「分かりました。お引き受けしましょう」

「ほ、本当ですか? ありがとうございます!」


 彼の言葉に、クリスティアンはほっとしたような表情を一瞬浮かべる。だがその表情に、彼は切れ長の目をきりりと吊り上げた。


「……クリスティアン団長」

「は、はい! 何でしょうか?」

「その言葉使い、やめませんか? 部下相手ですよ」


 ふうと彼は息を吐く。


 (なめられるのも問題だが、敬われるのも問題だな……)


 特務部隊団長ブルーノの姿を思い浮かべ、彼は顔を顰める。ブルーノは彼が十二年も妻の実家警護の任に就いていたことに対し、馬鹿にする発言をしていた。王城勤務に比べれば、貴族家の警護は格が下だと考える者は少なくない。


 クリスティアンはその点人間が出来ていて、妻の実家を護っていた彼を馬鹿にはしなかった。むしろ、讃えていた。彼が護っていた間、領内には賊に襲われる村が一つも出なかったのだ。クリスティアンはその事実を大いに賞賛した。


 (クリスティアン団長は良い方なんだが……)


 良い人間ではあるが、クリスティアンは一部隊の長なのである。それが副団長である彼に敬語を使い、緊張しながら仕事を任すとは。


 彼が「敬語、やめません?」と言うと、クリスティアンは狼狽えた。


「えっ、で、でも、あなたの方が私よりも遥かに実績は上ですし。騎士団の在籍年数も上ではありませんか」

「それはそうですが、今はクリスティアン団長、あなたが近衛部隊の長です。上下関係をはっきりさせないと、下の者達が混乱します」

「はい……」


 しおしおと背を丸めるクリスティアンに、彼は眉尻を上げる。クリスティアンは典型的な貴族採用枠で入った騎士で、出征したことが一度もない。だからだろうか、良くも悪くも上下関係に緩いのだ。

 王城では仲良しこよしでいても問題ないかもしれないが、戦場は上下関係が大事になってくる。上の者が下の者を従えなければ、勝てる戦も勝てなくなる。


「この王城だって、いつ戦火に巻き込まれるか分かりません。有事の際、指揮を取るのはクリスティアン団長、あなたです。意識は変えて頂かないと」

「仰る……いや、君の言うとおりだ」


 新任の上官にいきなり物申すのはどうかと思ったが、彼は最初が肝心だと判断した。

 ひとまず、クリスティアンは敬語を止めてくれたらしい。



「私からテレジア様へ言っておくよ。睡蓮の宴の護衛にはお父上が付くと」


 テレジアはすでに次期侯爵として正式に指名されていて、周囲も彼女を貴族家当主と同等の存在として扱っている。


「よろしくお願い致します」


 自分からテレジアへ護衛の件について言うべきかと彼は思ったが、ここはクリスティアンにお願いすることにした。

 テレジアと話そうと思っても、彼女は自分を避けているのか何なのか、中々会えないからだ。


 ◆


「では、クリスティアン団長、失礼致します」

「あ、ああ……」


 恭しく腰を折る歳上の部下に、クリスティアンは戸惑いながらも返事をする。

 そして、クリスティアンは白い外套を翻した部下の背を、見えなくなるまで目で追った。


 (すごい威圧感だった……!)


 クリスティアンはばくばくと高鳴る胸を押さえる。彼とクリスティアンは元々面識はあったが、彼は妻の実家警護、クリスティアンは王城から一歩も出ないごりごりの王城勤務者だったので、今まで一緒に任務をこなしたことは殆ど無い。


 (見た目は騎士にしてはむしろ細いぐらいなのに、隙らしい隙が無いからか、強者のオーラがすごかった……! あれが戦さ場に身を置く者の風格なのか)


 クリスティアンは胸を手で押さえたまま、瞼を閉じる。彼から告げられた言葉の一つ一つを思い出し、反芻した。


 (言い方は淡々としていたが、私のことを真に思いやった言葉ばかりだった。なんと強く、優しい方なのだろうか……)


 端的に言えば、クリスティアンは彼のファンだった。それも二十年来の筋金入りのファンだ。西国との大戦を報じる新聞記事を今でも後生大事に取っておく程度には、彼に心酔している。なお、西国戦で彼は敵将の首を百体以上、狩った。


 定期開催されている城内剣技大会も、クリスティアンは王族の警護に就きながらも、毎回彼の鋭い剣捌きに見入っていた。


 突如推しが直属の部下になってしまったクリスティアンは混乱している。彼が部下だということは頭では分かっていても、心がまったくついていかないのだ。


 (……いけない。テレジア様に護衛のことを説明しに行かないと)


 それでも何とか頭を切り替えようと、クリスティアンは歩き出す。向かう先はテレジアがいる場所、兵学校だ。


 (テレジア様が侯爵家を継がれるのは、あの方が国防に身を捧げるからだろう……。私は国防よりも家を選んでしまった。私は軟弱者だ)


 歩きながら、クリスティアンは彼とその娘であるテレジアとの関係性に思考を巡らせる。


 なお、テレジアが侯爵家を継ぐのは現侯爵(妻の父)の判断である。彼自身は国防に身を捧げようとまでは考えていない。ただ、子ども達のことを考えると無職になるのはまずいと思い、騎士団にしがみついているだけであった。

 

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