第7話 父の住処が気になる娘

「パパが淹れたお茶、美味しくなーい」

「お母様が淹れたお茶と手作りクッキーが恋しいですわ……」


 エリとターニャはぶつぶつ文句を言いながらも、彼が淹れた紅茶を飲み、事務室の戸棚にあったクッキーを口へ運ぶ。


「もうすぐママもこっちへ来るぞ」


 カップの持ち手を取りながら、彼が言う。

 父親の言葉に、娘二人の深緑色と空色の瞳がそれぞれキランッと輝いた。


「パパが王城勤務になったから?」

「ああ、エミリオも連れて王城の近くに住むらしい」

「嬉しいですわっ! お母様が作るお料理の味が恋しかったのです!」


 ターニャは母親の王都移住がよっぽど嬉しいのか、顔の前で手を組み、身体をくねらせている。

 エリはにやにや笑いながら、肘で彼を小突く。


「いししっ、パパも嬉しいでしょ!」

「ああ、めちゃくちゃ嬉しい」

「めっちゃ無表情なんだけど」


 彼が無表情なのは、妻と息子の王都移住が嬉しくない……というわけではなく、逆に嬉しすぎて感情がオーバーフローしているからだ。

 彼は感情を表に出すのが苦手で、常に無表情で口調も淡々としているが、妻子を深く愛していた。


「クッキー、お姉ちゃんにも持っていってやれ」


 籠の中のクッキーを二、三枚取ると、彼は油紙でそれを包んだ。彼はここにいない長女テレジアのことも考えていた。


「お姉様も、お母様がこちらへいらっしゃると聞いたら喜ぶと思いますわ」

「三人で、ママのところへごはん食べに行ってもいい?」

「多分、いいんじゃないか?」


 おやつを食べた後は、二人の宿題を見てやる。宿題と言っても、まだ二年生と一年生なのでそんなにない。安価な再生紙に、二人は単語の書き取りをする。

 その間に、彼は連絡帳をチェックした。

 明日は特に持っていく物は無いようだ。


「パパ、終わったー!」

「私も終わりましたわ」

「早いな」


 過去の分まで遡って連絡帳を読んでいた彼は、ぱたんとそれを閉じる。娘達が書き取った単語をチェックし、問題がないと判断した彼は確認者欄にサインを入れた。


「まだ時間あるし、パパのお部屋行きたいな」

「そうですわね〜。騎士団の寮部屋に興味ありますわ」

「別に面白いものは何もないぞ?」


 彼は王城敷地内にある、将校用の部屋に住んでいた。三ヶ月前に完成したばかりの寮は、ある程度地位のある男が一人で暮らすことを想定しており、堅牢で無骨な印象の空間だった。

 それでもいいから見に行きたいと娘らが言うので、仕方なく連れていく。


「静かにするんだぞ?」

「はーい」

「楽しみですわねえ」


 エリとターニャは手を繋ぎ、父親の隣を嬉しそうに歩いている。仲の良い姉妹の姿に彼は目を細めた。どこか男の子っぽいエリと、ザ・お嬢様なターニャは外見は正反対だがウマが合うらしく、何かと一緒にいた。


 ふいに柔らかな風が頬を撫でる。王城敷地内はどこも美しく整備されていて、乳白色の石畳の道が続く。街路樹は青々としており、夏が近いことを知らせてくれる。


 この宗国は年中気温は低めで、夏場であっても長袖を着ていても苦にならない。だからと言って冬場に雪が降るということもあまりなく、暮らしやすい土地だ。結果的に家族皆で王都で暮らすことになったが、これで良かったかもしれないと思う。


 あっという間に彼が暮らす寮にたどり着く。

 四角い建物の壁は黒一色で塗られており、重厚感がある。階段には黒鉄の手すりがついていた。

 エリは手すりを掴むと駆け上がる。


「いかにもイケおじが住んでそうな寮ですわね」

「かっこいい!」

「おいこら、走るなよ」


 騎士団の寮と言っても、上級将校専用なので入居者は少ない。それでも子どもがぶつかったらマズいと、彼は娘らに注意する。


 長い廊下を進み、一番奥から一つ手前の部屋の前に立ち、鍵を懐から出す。錠を外した彼は、扉を開いた。

 部屋は当然閉め切られており、空気が篭っている。

 エリとターニャを狭い玄関土間に招き入れると、彼は再び扉を施錠した。


「パパの部屋だ! なんもない!」

「殺風景ですわね〜」


 リビングへ入った二人は「やっぱり」と言わんばかりに父親の部屋を批評する。

 炊事場と食事スペース、それにリビングが一つの空間になった部屋は、今、大国で流行している居住スタイルだ。リビングの天井は四角くく折り上げられていて、その中央では小ぶりなシャンデリアが明かり窓の光を受けてきらきらと輝いている。


 彼はいつも王城敷地内にある食事処で食べている。炊事場の加熱機器の上にはヤカンが一つ置いてあるだけで、あとは調理道具一つ見当たらない。当然、調味料もなかった。

 あまりにも生活感のない部屋に、娘達は口端を下げる。


「お父様、ちゃんとここで生活されています?」

「寝起きしているぞ?」

「生活感なさすぎる。ママとエミリオが来たら、ここでごはん会とかしたかったのに」

「ママ達が来たら、色々買うよ」


 若い頃、妻と王都で二人暮らしをしていた時のことを思い出す。

 あの時も、妻に自分の部屋の殺風景さに、驚かれてしまったなと思い出し笑いをする。妻はその当時も、愉快な人だった。いつも自分に新鮮な驚きと笑いを提供してくれる、掛け替えの無い人だった。


 結婚してから二年近くの間、妻とは別居していた。新婚当時は西の大国との戦争が終わったばかりで、彼は戦後処理に駆り出されていたのである。無論、新婚生活どころではなかった。

 結婚式を挙げてから二年近くが経った頃、初めて同居した時はどうなることかと思ったが、思い出されるのは楽しい記憶ばかりだ。


「パパ笑ってる……どうしたの?」

「何でもない。さぁ、お前達、そろそろ帰ろうか」


 兵学校の寮の門限は早い。親の自分が破らせるわけにはいかないだろう。


「送って貰わなくても大丈夫ですわよ?」

「王城敷地内でも、変なやつはいるからな」

「過保護〜〜!」

「過保護で上等だ」


 我が子が悪漢に攫われでもしたら、後悔してもしきれない。彼は兵学校の寮まで二人を送り届けたのだった。

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