第6話 父に甘えたい二人

 彼は近衛部隊の詰所内に入る。

 詰所は王城と地続きになったところにあり、近衛部隊の家族なら通行証があれば自由に出入りが可能だった。

 娘達はもちろん、出入り出来る。


「閣下。お嬢さん達、もう帰ってきていますよ」

「そうか。ありがとう」


 階段を上がろうとすると、受付に立つ女性騎士に声を掛けられる。学校が終わった娘達は、もうここに来ているらしい。


 (お菓子を買ってくるのを忘れてしまったな)


 変な男ブルーノに絡まれてしまい、つい娘達のおやつを買ってくるのを忘れてしまった。

 事務室の戸棚に、差し入れの類が残っているかもしれない。それか、娘達と一緒に買いにいこう。そんなことを考えながら、彼は詰所内にあるフリースペースの引き戸を開けた。

 いやに静かだなと、思いながら。


 彼の予感は的中した。引き戸を開けた彼の目に飛び込んできたのは、床に倒れ込み、長い栗毛の髪を扇子状に広げた三女ターニャの姿だった。


 彼の目が見開き、胸がどくんと跳ねる。一瞬、頭の中が真っ白になった。

 足が止まり、その場に立ち尽くしていると、彼の肩に何かがどかっと落ちてきた。


「──いっ!?」

「『宗国の猟犬』、その首取ったりぃ〜〜!!」


 首の後ろが急激に重たくなり、彼は前屈みになる。何とかその場に踏みとどまりながら前を見ると、そこにはぶらぶらと揺れる白い足があった。

 声は次女エカテリーナこと、エリのものだった。エリは父親の首を取ったつもりなのだろう。細くて短い腕を彼の首に回していた。


「上手くいきましたわね!」


 床にうつ伏せで倒れこんでいたターニャが、起き上がる。髪を掻き上げながら浮かべるその得意どや顔に、彼はほっと息を吐く。


「まったく、驚いたぞ」

「へへっ、パパも人の子だね!」

「お父様でも油断なさる時があるのですね」


 肩車状態になっているエリを下ろし、制服についた埃を払ってやる。

 彼は苦笑いを浮かべた。


「ああ、修行が足らなかったな。ついお前達のこととなると弱くなる」

「なかなか良い奇襲だったでしょ?」

「そうだな。でも、もうやるなよ?」

「同じ作戦はやりませんわよ」


 イタズラが成功してキャッキャと喜ぶ二人を見つめながら、彼は思う。


 (七、八歳の子どもですら、奇襲をしかけるのに……)


 新しい特務部隊団長であるブルーノは、一度負けた相手に二度目も真正面からやってきた。特務部隊は諜報と暗殺を生業とする部隊だ。特務部隊は一応王立騎士団所属になるが、一般的な騎士とは大きく役割が違う。

 騎士は騎士道という言葉があるぐらい、清廉さが求められるが、特務部隊は違う。闇討ち上等の世界で、勝つためならどんなに卑怯なことだって平気で行う。


 (あのブルーノとかいう男、特務に向いていないな)


 彼は顎に手をあてて、フンと鼻を鳴らす。

 そのしぐさを目にしたエリとターニャは、顔を見合わせる。


「パパ、怒った?」

「ごめんなさい」


 別に娘達に怒ったわけではない。新しい特務部隊団長の適正のなさに疑問を感じただけだ。

 彼は眉尻を下げる二人の、黒と栗毛の頭をわしゃわしゃと撫でる。


「……今日は怒らない。だが、次やったら雷を落とすぞ」

「はーい」

「ごめんね、パパ」


 少々甘いかと思いながらも、彼は初回は怒らないようにしている。もちろん、命の危険があることに関してはキツく注意するが。


 (むち打ちにならなくて良かった……)


 額にじわりと汗が浮かぶ。

 彼は、灰色の詰襟に包まれた自分の首に手をやる。頭上への警戒がまったくなっていなかった。かつて特務部隊にいた頃には考えられなかったことだ。

 彼は準騎士時代を含め、十六歳から二十三歳まで特務部隊にいた。天井裏に潜み、暗殺対象を見張ることもよくあった。当然彼自身も、天井裏に曲者がいるかもしれないと常に警戒していたのだ……あの頃は。


 (ブルーノのことを言えないな……)


 頭上への警戒を疎かにして、まんまとエリの奇襲を受けてしまった。エリがもしも暗殺者だったら、今頃自分の命はない。

 彼はエリが落ちてきた場所を見上げる。


「しかし……。どうやって潜んでいたんだ?」

「あそこからよじ上ったんだよ」


 エリは壁を指さす。


「もう一回やってみてくれ」

「うん!」


 エリは自分がやったことが認められたと嬉しく思ったのか、満面の笑みを浮かべて奇襲の再現をする。

 エリは壁につけられた武具掛けに手を伸ばす。その武具掛けは、槍を横にして置くために付けられたものだった。


「なるほど、武具掛けに足を掛けたのか」


 このフリースペースは元は武具倉庫だった。今は別の場所に武具置き場が作られたので、簡素な机と椅子以外は何も置かれていない。

 ただ、昔の名残で壁の武具掛けだけはそのままになっていた。


「見て!」


 エリは武具掛けを使い、引き戸の上部へ見事上ってみせた。下にいる彼が腕を広げると、エリはその場からぴょんと飛び、彼の胸へ落ちる。

 彼は危なげなく、エリを抱き止めた。


「……お前達と同じことを考える者がいるかもしれない。武具掛けは外すぞ」

「ええ〜〜!」

「ボルタリングがしたいのなら、演習場へ行くんだな」


 彼の言葉に、エリは不満げな声を出す。このフリースペースは近衛部隊所属者の子どもも使う。武具掛けを遊び道具にして、怪我でもしたら大変だ。


「ボルタリング場は好きだけどぉ、エリは野良の壁に上りたいんだよ」

「はいはい、また別の場所を見つけるんだな」


 そう言って彼がエリを床へ下ろそうとすると、エリは彼の首にひしっと、しがみついた。


「おっ」

「やだ、おりたくない!」

「エリばっかりずるいですわ! お父様、私も抱き上げてくださいまし!」


 姉の抱っこに羨ましくなったターニャが、彼の白い外套を引っ張った。

 娘二人のおねだりに、彼の眉間に皺が寄る。


「えええ……」

「二人一緒に抱っこしてよ! パパ!」


 いくら現役の騎士とはいえ、筋骨隆々というタイプではない彼の腕力は普通だ。さすがに八歳と七歳の女児をまとめて抱き上げるのはキツいと、渋い顔をする。


「二人同時はキツいぞ」

「私達が学校に入る前は、よく二人まとめて抱っこしてくれたではありませんか」

「そーだよ!」


 二人の言う通り、娘達が全寮制の兵学校へ入るまでは、二匹も三匹もその腕に抱えて屋敷の中をうろうろしていた。年子の娘達をまとめて世話していたからだ。

 ただあの頃と比べ、二人はずっと大きくなった。手足が伸び、身体も重くなっている。

 本音を言えば、二人同時に抱き上げるのはしんどい。

 だが、娘達は親元を離れて頑張っていた。父親に甘えたいのかもしれないと思うと、無碍には出来なかった。

 彼は俯き、心の中でため息をつく。


「……おいで、ターニャ」

「きゃっ、さすがお父様ですわ!」


 彼は片腕にエリを抱き抱えたまま、身を屈める。ターニャは慣れたように父親に腕を伸ばす。彼はターニャのスカートが捲れないよう、膝裏に腕を回した。スカートといっても、巻きスカートの中はズボンになっており、中は見えないようになっている。


 娘二人を抱え、彼はすくっと立ち上がった。一見文官に間違えられるぐらい細くても、それなりに鍛えてはいるので、抱え上げることぐらいなら出来る。だが、その顔には苦渋の色がありありと浮かんでいた。

 なお、エリとターニャは恵体の子どもが集う兵学校の児童達の中でも、一際成長が早い。特にターニャは一つ上のエリよりも背が高く、クラスでも一、二位を争うほど高身長だ。


「すごい、力持ち!」

「高いですわ!」


 腕の中できゃあきゃあと騒ぐ娘達を抱え、彼はフリースペースから出る。事務室にあるであろう、差し入れのお菓子を取りに。

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