第5話 クーデターと連絡帳



「クーデターを企てられている?」

「僕が王様になったのを、よく思わない人がいるみたい……」


 マルクははぁぁっと腹の底からため息をつく。


 この日、彼はマルクの自室にいた。

 妻の実家の警護をしていた自分が、何故急にマルクの元へ呼ばれたのか。その理由を聞くためである。


 どうも、政変クーデターを企てている人間がいるらしい。想像していた通りだと彼は心の中で頷く。


 この国は『宗国』と呼ばれている。

 本土はせまく、南北の末端から末端までは、単騎で五日もあれば辿り着けてしまう小国だったが、戦争に勝ち続けているこの国の発展は目覚ましく、今や大陸の覇者、宗主国だ。

 豊かなこの国の王になりたいと願う者が、他にいてもおかしくはない。


「まぁ、よくあることです」


 沈鬱な面持ちの主君に、彼は事も無げに言う。

 彼は今でこそ近衛部隊に所属しているが、元々は諜報と暗殺を生業とする特務部隊にいた。

 他国の政変を促し、ゴタゴタしている隙に戦争をしかけ、滅ぼすようなことはよくやっていた。


 淡々としている彼を、マルクはジト目で睨む。


「よくあることです、って……」

「皆が皆、同じ人間を王に推しているとは限りません。俺は今まで要人を何人も殺して他国の内政を引っ掻き回してきましたが、どいつもこいつも自分のことしか考えていない。自分に都合の良い人間を王として頂きたいと思っている」

「兄上……」

「俺だって、そうです」


 出来れば子育てに理解のある主君に仕えたいと彼は思う。その点、マルクは最高の主君だった。自分の妻はマルクの姉で、我が子はマルクの甥姪に当たる。身内は理解者になって貰いやすい。もちろん、身内でも子育てに理解の無い人間はいるだろうが。


「俺の主君は陛下だけです」


 彼は口元にだけ薄く笑みを浮かべる。

 マルクは時短勤務を認めてくれた。娘達が学校から帰ってくる時間帯には、詰所にいてもいいと許してくれた。

 子育てにこんなに理解のある主君はなかなかいないだろう。


 彼はまったく意識していないが、マルクは彼の傾国の笑みにどうも不穏なものを感じたらしい。眉根を寄せると、半歩後ずさった。


「いったい何考えてるの? 僕は兄上のお色気に引っかかったりしないよ」

「別に色仕掛けなどしておりませんが?」

「今うっすら笑ったでしょ〜? 気をつけなきゃダメだよ。兄上は顔が良過ぎるんだから! まーた僕に色仕掛けで近づいたって言われるよ」


 マルクの本気だか冗談だか分からない台詞に、彼は肩を竦める。


 彼は昔から容姿について色々言われてきた。


 宗国貴族の父と南方地域の戦闘民族の母との間に生まれた彼は、異国的エキゾチックな雰囲気を纏わせている。

 南方人特有の癖の無い黒髪に、切れ長の瞼からは宗国人の多くが有する寒色の瞳が覗く。


 それに加え、左右対称の完璧な顔立ちに、均整の取れた身体付きをしていた。騎士だが、筋骨隆々というわけではなく、すらりとしていて、一見すると文官のようだ。端的に言えば、人の興味を惹く容姿をしている。


 先王が男色家だったこともあり、彼はその恵まれ過ぎた容姿を使って取り入ったのだと陰口を言われることは多々あった。


「色を使うぐらいなら、弱みを掴んで揺さぶりますよ」


 実際には、彼は色仕掛けをしたことはない。あくまで物理にモノを言わせてきた。端麗な容姿とは裏腹に、暴力がすべてと言わんばかりの手段を取ってきた。先王に重用されたのも、彼が凄腕の殺し屋だったからだ。

 ただ、彼の容貌と雰囲気に魅了され、勝手に堕ちてしまった人間はいたようだ。


「……兄上はそういう人だよね」


 彼の恐ろしい発言に、マルクは青ざめる。


「陛下に仇なす者は容赦なく消します。時短勤務を許して貰える分、仕事はしますよ」


 仕事と子育てを両立させてみせると、彼は主君に宣言する。

 マルクは「頑張って」と苦笑いした。


 ◆


 (陛下に仇なす人物……)


 マルクの部屋を後にした彼は、長い廊下を歩きながら考えていた。

 この宗国は元は大陸の中でもかなりの小国だったが、戦争に勝ち続け、どんどん領土を広げている。

 他国の技術が持ち込まれ、この二十年だけでも宗国は見違えるほど裕福になった。


 (宗国の王になりたい者や神輿を担ぎたい者も少なくないだろうな)


 彼の頭の中には幾人か顔が浮かぶ。

 宗国はかつて何代にも渡って近親婚を繰り返してきた。数は少ないが、マルクよりも濃い王家の血を引く人間がいる。

 そういった者を担ぎ出そうとする人間はいるだろう。


 歩いている内に、絨毯から石畳の床に変わる。黒皮のブーツに包まれた足裏をカツコツと鳴らし、外套をふわりと翻しながら、彼は回廊に出た。今日は朝から天気が良く、多年咲きのバラが咲き誇る庭には燦々と日の光が注がれている。


 彼の姿を目に留めた者達は、ハッとしたように足を止め、次々に振り向いていく。口元に手や扇子をやり、側にいた者達と囁きあっている。その目はきらきらと輝き、頬には赤みがさす。


 彼はそんな人々の様子を気にも留めない。彼はずっと好奇の視線に晒され続けていたからだ。


「おい、近衛の副団長!」


 清廉とも言える王城内の回廊に、突如怒鳴り声が響く。

 彼が顔を上げ、振り向くと、そこには第一話で彼に絡んできた特務部隊団長のブルーノがいた。


「この間は少々油断したが、今日は手加減しねえ!」


 腕を振り、ふんふんと鼻息荒くやってくるブルーノに、彼は心底うんざりする。


 (こいつ、本当に騎士なのか……?)


 前回因縁をつけられた場所は、王城敷地内でも詰所の前だった。騎士同士の諍いが起きても、まだ何とか許してもらえる場所だ。だが、ここは要人も行き交うばりばりの王城内。こんなところで決闘などしたら処罰は免れない。


 彼はブルーノの目の前に、自分の親指の先を突き出した。


「おい、これを見ろ」

「あぁぁ? ゔっっ……!」


 ブルーノの視線が親指に行っている間に、みぞおちに拳を入れた。吐かれては面倒なので、気絶するツボのみに、衝撃を与えた。


 ブルーノはまた白目を向き、その場にドサリと崩れ落ちる。


 (……本当にこいつ、特務部隊の団長なのか?)


 かつて所属していた部隊の団長がクソ弱過ぎる。


 彼はかなりショックを受けるが、ここで補足をするならば、ブルーノはけして弱くない。

 ブルーノはつい先週も、国境沿いに現れた大規模な盗賊団を討伐している。盗賊団は東國の逃亡兵で構成されており、戦いの訓練を受けた経験のある者達ばかりで、かなり難易度の高い討伐だった。しかしブルーノは数人の部下のみを連れて難なく討伐を成功させた。

 そんなブルーノがなぜ、彼のワンパンのみで簡単に沈んでしまったのか。


 端的に言えば、彼は神がかり的に強かった。

 フィジカルが一番充実していた二十代後半から三十代前半の時期に、計五年間も育児休業を取っていようが、十二年も妻の実家警護をしていようが、そんなもの関係なしに強かったのである。


「ブルーノ団長!」


 慌てた様子で、ブルーノの部下達が駆け寄ってきた。


「……どうも体調を崩して気を失ったようだ。今日は暑いからな」


 彼は額に手をやりながら、まぶしそうに中庭へ視線をやる。自分がやったとは言わなかった。あくまでブルーノが暑さにやられ、気を失ったのだと主張する。

 ブルーノの部下二人はそれに反論しなかった。青ざめたまま「申し訳ありませんでした」とぺこぺこと腰を折り、そのまま気を失ったブルーノを運んでいった。


 (俺の上があんなのじゃなくて良かった……)


 あんなごろつきのような上官、冗談じゃないと思いながら、彼はまた外套を翻すと、近衛部隊の詰所へ向かった。


 そろそろ娘達が学校から帰ってくる時間帯である。おやつを食べさせて、連絡帳を確認しなくては。連絡帳には特別授業などで必要な持ち物が書いてあることもある。彼は常に菓子の空箱などを常備している。


 子育ては名もなき作業の連続であった。

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