第4話 素直になれない長女

 (ふむ……。テレジアと接触するのはなかなか難しそうだ)


 彼の手元には、長女テレジアの予定がびっしりと書かれたメモがあった。部活動を五つも掛け持ちしているテレジアは多忙で、二人きりで会おうと思ってもなかなか難しい。


 (任務が本格的に始まる前に、一度はちゃんと会って話しておきたいな)


 王の護衛官に任命されたが、ただマルクの隣りに佇むだけが彼の仕事ではない。

 彼の本業は別にあった。


 人の気配を感じた彼は、メモを懐に仕舞うと、壁に背を付ける。じっと息を殺し、壁の向こう側を窺う。


 (いた……。テレジアだ)


 彼の瞳孔が猫のようにきゅっと細くなる。視線の先には、毛先が緩やかに波打った黒髪のツインテールが見える。髪型こそ子どもらしいが、首の後ろにおくれ毛は一切見られない。白いシャツに包まれた背はピンと伸びていて、灰色のタックハーフパンツからはすらりとした脚が覗いている。


「テレジア君、今回の発表会もとても素晴らしかったよ」

「ありがとうございます」


 どうも教師と話しているようだ。教師の賛辞に、テレジアはきびきびと礼を言う。360度どこからどうみても完璧な優等生である。


 (……確かに、義父が後継者に選びたくなる気持ちは分かるな)


 テレジアはまだ九歳だというのに統治者の風格がある。上手く言えないが、自分には絶対にないものだと彼は思う。


 彼は子爵の三番目の息子として生まれた。正妻の子ではなく、父親が南方の戦闘民族の女に産ませた子だった。


 その当時の貴族の間では、戦闘民族の女に男児を産ませ、騎士として仕立てあげるのが流行していた。戦闘民族の子が戦争で武功を立てれば、領地が得られる。

 家の繁栄のための駒として、彼はこの世に生み出された。その存在はけして祝福されたものとは言えなかった。


 一方テレジアは、侯爵家の跡取り娘の第一子として、皆の祝福を一身に受けて生まれてきた。彼女は家族だけでなく領民達からも愛されている。その存在を誇りだと思われている。テレジアは侯爵領の光だった。

 テレジアも周囲の人間達や領民を愛していた。子どもながらに、皆を導いていかなければと意識しているようで、その佇まいは堂々たるものだ。


 彼は己の力で何でも手に入れてきた。自分の宿命に抗おうともがいてきた。家の駒として生まれても、戦の道具にされても、幸せを掴もうと必死になって生きてきた。

 しかし、テレジアが生まれ、彼女が次期侯爵として指名された瞬間、それは崩れ去った。

 人は生まれながらに役割が決まっていて、覆すことなど出来ない。

 彼なりに妻の実家に尽くしてきたつもりであったが、最終的には厳しい現実を突きつけられてしまった。


 だがそれでも、彼はテレジアのことを愛していた。


 (テレジアは俺のことを情けない父親だと思っているかもしれない。だが、俺はテレジアを想っている)


 せっかくこれからは近くにいるのだ。もっと仲良くやっていきたい。

 教師は二言三言テレジアに告げると、その場から去っていった。テレジアは一人きりになる。

 彼は足音一つ立てることなく、テレジアに近づく。そして背後から手を回した。


「ふごっっ!!」


 口を塞がれたテレジアは驚いたのだろう。必死にもがくもビクともしない。

 彼は黙ってテレジアをその場から連れ去った。


 ◆


「なっ、なんっ……! 何で私を連れ去ったんですか! 普通に声を掛けたらいいでしょう!?」

「すまない」

「すまない、じゃないです!!」


 自分を攫った人物が父親だとわかると、テレジアは顔を真っ赤にして怒った。彼の鼻先に人差し指を突きつけ、目尻に涙を浮かべてわぁわぁ叫んでいる。


 (テレジアはいつもは落ち着いてる子なんだがなぁ)


 彼は俯くと、所在無げに自分の髪に長い指を差し込む。

 テレジアは自分以外の人間と話す時は落ち着いているのだが、自分と向かい合うといつも感情的になる。泣いて叫んで大変なことになるのだ。


 (そんなに俺のことが嫌いなのか……)


 彼は地にめり込みそうになるぐらい落ち込む。

 だが、嫌われていても、王城勤務になったのだし、一言挨拶ぐらいはしておくべきだろうと思った。


「テレジア。お父さんな、これからは王城勤務になったんだ」

「知っています。近衛部隊の方から聞きました」

「そうか、これからよろしくな。テレジアも何かあったら、お父さんのところへ来るんだぞ」

「別に……。私は自分で何とか出来ますから」

「そうか……。じゃあ、もう行くから」


 もう少し話がしたいと思ったが、テレジアは赤くなった鼻をすんと鳴らしている。今日は特に機嫌が良くないようだ。また日を改めよう。

 彼はそのまま、踵を返した。




「あっ……!」


 テレジアが気がついた時、彼の姿はもう何処にもなかった。


「父上……」


 またテレジアの空色の瞳にじわりと涙の膜が張る。


 (またやっちゃった……)


 すんすんとテレジアは鼻を鳴らす。

 

 (このままでは、父上に嫌われちゃう……)


 先ほどの自分の言動を思い出し、テレジアは深く落ち込んだ。どうしてあんなに可愛くないことを言ってしまったのだろうと、泣きたくなる。


 テレジアは父親のことを嫌ってなどいなかった。むしろ、逆だった。

 本当は父親に甘えたくて仕方ないのに、下の妹弟のことを思うと出来ない。そんな欲求をこじらせ、怒りという形で彼に鬱憤をぶつけていたのだ。


 (本当は朗読会で優勝したことを、父上に褒めて貰いたかったのに)

 

 テレジアは父親から頭を撫でられている妹達の姿を思い浮かべる。自分だって、頭を撫でて貰いたかったし、「よくやった」と褒めて欲しかった。

 だが、いつも上手くいかない。

 上手くいかない理由は分かっていた。


 (私が怒るから……)


 父親から関心を向けられると、嬉しすぎて頭がどうにかなりそうになる。だからつい、怒ったり可愛くない発言をして、照れを誤魔化してしまう。

 本当は素直になりたかった。でも、どうしても出来なかった。


 (父上が王城勤務になって嬉しいのに)


 これからは父親と顔を合わせる機会が増える。その事実はとても嬉しいが、また父親を前にして奇行に走ってしまうかもしれないと思うと憂鬱になった。


「はぁ……」


 テレジアの深いため息が落ちた。

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