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「だからか、君が小説を読ませたがらないのは」


 立花が納得したように、うんうんとうなずく。


 立花とは文芸部の同期である。


 私は高校に進学すると、文芸部に入部した。

 中学の頃の思い出がよぎり、入部するのはよそうかと思った。けれど、過度に踏み込まず、かといって表面だけの薄っぺらい関係というわけでもない部の雰囲気がとても魅力的に思えたのである。部活は全員強制だし、他の部に入るよりもこちらのほうがいいと思い、入部したのだ。


「そりゃ、ひどい話だね」


「でしょう?」


 私もうんうんうなずく。

 同意をもらえたことが嬉しかった。


「あんなことになるくらいなら、最初からノートなんか見せなきゃよかった」


 今だからこそ冗談めかして言えるけれど、当時は相当悔いていた。一時は小説を書くこと自体嫌いになりそうだった。


「勘違いするなよ。僕が言ってるのは、君の中3のときの担任や校長が、君の意見も聞かずに勝手に物事を進めたこと。作者の許可なく広報誌に載せるなんて、普通の神経してたらしないよ」


 立花は呆れたようにため息をついた。


「そうかなあ……」


 ストローに息を吹き込み、コップの中の水をぼこぼこする。

 それを見た立花は顔をしかめ、「やめろよ」と呟く。


「君が一人で勝手にやってる分にはかまやしないよ。だけど、今日は僕もいる。僕の品性まで疑われるから、やめろ」


「だって、喉乾いたんだもん」


 私は抗議の意を含めて、頬を膨らます。


「君、それ、お冷や含めて何杯目だ?」


 けど、立花には効かないようだ。


「知らない。数えてない。コップの数は1、2、3……」


「僕のも数えてどうするんだよ」


「じゃあ、立花も数えてよ」


 私がそう言うと、立花は肩をすくめて、テーブルの上をじっと見る。


「……君、3杯も飲んでるじゃないか」


 立花は冷めた目で私をじとっと見る。

 バツが悪くなって、頬をぽりぽりかく。


 はあとため息をつくと、立花は「いいよ」と呟く。


「ベル、鳴らしたら」


そう言って、呼び出しベルを指さした。


 私が呼び出しベルを押すと、しばらくしてから店員が私たちの席にやってくる。


「アイスコーヒー、一つ」


「私は、スパークリングレモネード一つ」


 私の注文を聞いた途端、店員は首をかしげる。「スパークリングレモネード」と繰り返しても、曖昧な笑みをこぼすばかりで、私のほうも首をかしげたくなる。


 ちっと舌打ちの音が聞こえたと思えば、立花だった。

 立花はこっちをにらみ、「レモンスカッシュ一つ」と店員に伝える。


 店員はなるほどとうなずいて、「ご注文を繰り返します。アイスコーヒーがお一つ、レモンスカッシュがお一つでよろしいですね」と言った。


 立花が首を縦にふると、店員は承知したと頭を下げ、注文を伝えにキッチンのほうに歩いていった。


「スパークリングレモネードってなんだよ」


 立花が声をひそめながら、言った。


「レモンスカッシュでいいだろ。レモンシロップの炭酸割りがレモンスカッシュなんだから。なんだよ、スパークリングレモネードって。カッコつけか? ワインじゃないんだから……」


 早口でまくし立てたところを見るに、ずいぶんご立腹らしい。


「いやあ、つい癖で」


 あっけらかんと笑ってみる。


「その癖、直したほうがいいぞ」


 きっぱりと切り捨てられた。


「いやあ、小さい頃さあ」


「えへ」とごまかすように笑い、そして、私は口を開く。


 ***


 小学生の頃、共働きの両親が忙しくて、祖父に預けられたことがあった。当時まだ勤めていた祖母は夜勤でおらず、祖父は一人では面倒が見きれないと思ったらしい。だから、高校の同級生がやっている店に行って、朝昼晩の食事を済ますついでに、目の届くところで遊ばせようとした、と聞いている。


 祖父の高校の同級生がやっている店というのが、昼間は喫茶店で夜はスナックというかんじの店だった。「好きなものを好きなだけ頼め」と祖父から言われていたので、私はあれこれ頼みまくった。


 昼間のうちはまだよかった。問題は夜だ。ランチタイムを終え、店がスナックになると、アルコールの提供が増える。昼間はノンアルコールで提供されていたドリンク類がアルコールドリンクとして提供され始める。


 その中の一つにレモンスカッシュがあった。

 ビールをレモンスカッシュで割ったそれは、普通であれば『パナシェ』とか言うらしいが、通りがいいからという理由で、『レモンスカッシュ』という名前で提供されていたのだ。


 夜、「『レモンスカッシュ』ください」と注文して、出てきたのは、アルコールドリンクの『レモンスカッシュ』だった。私はお酒だと気づかずに飲んで、酔っ払ってしまった。


 ややこしいのが、ノンアルコールドリンクに『レモネード』があったことだ。普通の、レモンシロップの水割りが『レモネード』として提供されていた。


 何度か祖父にその店に連れて行かれて、常連に顔を覚えられるほどになった。

 両親からは「『レモンスカッシュ』は頼むな」と口を酸っぱくして言われていた。けれども、好きだから飲みたくてしょうがないのだ。親の言うことにいちいち反発を覚える年頃だったのもある。


 私は、レモンの甘酸っぱさと炭酸の刺激を味わいたいのだ。


 何度も『レモンスカッシュ』を頼んで酔っ払うので、それを面白がった常連の一人が、『スパークリングレモネード』として頼んでみろと言った。


「『スパークリング』ってのは、まあ、炭酸入りってことだ。ワインだって『スパークリングワイン』っていうのもある。この店じゃ『レモンスカッシュ』は大人の飲み物だ。お嬢ちゃんは飲んじゃいけない。だから、炭酸入りの『レモネード』で、『スパークリングレモネード』だ。そら、頼んでみろ」


 その常連の言う通りに、炭酸入りの『レモネード』として、『スパークリングレモネード』を頼んだら、レモンシロップの炭酸割りの、一般にレモンスカッシュと言われるものが出てきた。


 そこで、私の中では、レモンスカッシュが『スパークリングレモネード』になったのだ。


 ***


「そうしてるうちに他の店でも『スパークリングレモネード』って頼んじゃうようになってね。まあ、昔からの癖だねえ」


 店員が戻ってきて「アイスコーヒーのお客様」と尋ねると、立花は片手を上げる。それから、店員が「レモンスカッシュのお客様」と言うと、彼はこちらに目配せをする。私が「はい」と挙手すると、店員は私たちの前にそれぞれが注文した品をサーブする。


 ずずーっと音を立てて、『スパークリングレモネード』を飲む。

 いたって普通のレモンスカッシュである。


「……君ね、それ、僕と二人のとき以外やるなよ。恥かくぞ」


 恥をかく、とまで言われてしまってはしょうがない。観念した、と両手を上げる。立花は「それでよろしい」と言って、「それに……」と続けた。


「君は夏コン、出さないんだよね。自分の作品を読まれたくないんだったら」


 唐突な質問に一瞬何を言われたのかわからなかった。


「夏コンねえ」


 夏コンとは、我らが文芸部で行われる『夏コンテスト』の略称である。

 読んで字の如く、夏に行われるコンテストで、毎年多数の作品が応募され、優れた作品には賞が贈られる。その中で一番票が集まった作品に贈られる投票賞、審査員長を務める顧問が選ぶ審査員特別賞、部長が独断と偏見で決める部長賞などがあり、その下に奨励賞、佳作と続く。


「別に応募しても賞とれないしなあ」


「それはやってみないとわからないだろ」


「そりゃ、そうだけど……」


 ストローの袋を指でいじる。


「どうせ、立花には勝てないよ。立花より良い作品は書けない」


「そりゃ、そうだろ」


 当然と言いたげな顔で、立花は鼻を鳴らす。


「君は人に読ませるつもりで書いてないんだから。その時点で君のはただの自己満足に過ぎないんだよ」


 痛いところを突かれた。

 立花はにやりと笑って、アイスコーヒーを一口飲み下す。


「それにさ、読まれたくないんなら、最初から文芸部になんか入らないで趣味で書いてりゃよかったんだよ。なのに、文芸部に入部したってことは、心のどこかに読まれたいって気持ちがあるはずさ」


 私が「そういうもんかな」と言うと、立花は「そういうものだよ」と言う。


「その点、僕は君とは違うってことだよ」


 空になったグラスの中で、氷がカランと鳴る。


「立花も喉乾いてたんじゃん」


「君に付き合っただけだよ」


 立花のこういうところは好きじゃない。

 自分事ではなく、「君が」「あなたが」と人のせいにする。


 まあ、付き合ってくれたのは事実だろうし、文句は言えないが。


 立花が「お手洗いに行ってくる」と席を立ったので、一人になってしまった。


 レモンスカッシュをずずっと音を立てて飲み干す。


 とりあえず、自分が飲み食いした分の代金だけは用意しておこう。こういうときの立花は細かいから。


 ポイントを貯めているとかで、支払うのはいつも立花だ。別に奢りとかではなく、飲食した分の代金を立花に渡していっしょに会計してもらっているだけのことである。


 立花が戻ってきたら、「お会計しておいて」と言って、先に外へ出る。


 午後の6時だというのに、まだ空は青い。

 ずいぶんと日が長くなってきたな、と思いつつ、立花を待つ。


 立花は店から出てくると、「おまたせ」と言った。


 二人並んで、駐輪場まで歩く。


 お互い無言だった。

 着いたら、「それじゃ」と別れる。


 立花の乗った自転車は遠ざかっていく。

 追い風に背中を押されて、その姿はどんどん小さくなる。


 立花の姿が見えなくなると、私も自転車に乗り込む。

 立花とは反対方向に向かって漕ぎ出して、走る。

 

 下り坂に差しかかると、ペダルを漕がなくても、スピードが出る。

 徐々に徐々に加速していく。


 目の奥で、ばちっと火花が散った。


 風が私の髪を揺らす。

 目にかかった前髪を払うと、陽射しがちかちか眩しい。


 ぎゅっと目をつむって、大声を上げて、笑う、笑う――笑う!


 「またね」も言わない。

 次の約束もない。


 毎週金曜の放課後のことである。

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