16. 花が開く先に立つ者
師匠としての自覚が芽生え始めたカイトの方に、パタパタと足音を立ててエニカが近づいてきた。
「師匠、ルーワンたちと何を話していたんですか?」
「えーと……お前の世話は大変だから頑張れよって言われたんだよ」
「えー! 何ですかそれ! 私は扱いやすい女ですよ!」
「お前、意味わかって言ってんのか?」
プリプリと怒るエニカにカイトは呆れた顔でため息をついた。
すると、そんな二人のそばに大人のバルシーダが近づいてきた。
その手には大きな葉っぱが乗っており、その上に木の実などの食べ物が置いてある。
「え、なんだ? これをくれるのか?」
バルシーダはこくりと頷いた。
その様子を見て、後ろに他のバルシーダたちも集まってくる。
おそらく、お礼の品ということなのだろう。
お腹がグーッと鳴り、カイトは朝に食べたパン以降、何も食べていないことを思い出した。
差し出された新鮮な食べ物。それを見て、カイトはその中の一つを手に取った。
「俺はこれだけでいいや」
カイトが手に取ったのは、歪な形をしたマルリ草のパンだった。
青臭く、味はクソまずい。しかし食べ続ければ癖になる。
「え! 何でそれがあるんですか! 私もそれにします!」
エニカもマルリ草のパンを手に取り、一口かじる。
青臭さが鼻をつき、エニカは顔を歪ませた。
「やっぱり美味しくないです……。でも、なんだか癖になってきました」
エニカのお腹もグルグルと鳴っているが、他の食べ物には手を付けようとしなかった。
「師匠は食べないんですか?」
「これは土産だ。食わせたいやつがいるからな」
カイトは懐から布を取り出し、マルリ草のパンをそっと包んだ。
そんな二人の様子を見て、バルシーダは不安そうに食べ物を差し出した。
まるで、それだけでいいのかと言っているようだ。
「エニカ、お前腹減ってるか?」
「いえ、減ってないです」
エニカは空腹を訴える腹の虫を無視して、気丈に振る舞った。
「奇遇だな、俺もだ。てことだから気持ちは嬉しいけど、その食糧はいらねえや。そうだ、子供にでも食わせてやったらどうだ。今日はいろいろあって、ろくに飯も食えてねえだろ」
そう言ってカイトは、ポケットからある物を取り出した。
「それでも何か礼がしたいってんなら、こいつで今日の記録を残すのに協力してくれよ」
それは小さなカメラだった。
カイトが物置で見つけたものだ。
「それいいですね! みんなで撮りましょう!」
カイトとエニカを中心に、バルシーダたちが周りを取り囲むようにして並んだ。子供たちも一緒だ。
全員でカメラの方を向き、その瞬間にセットしておいたカメラのシャッター音が鳴る。
パシャッ
今日はいろいろなことがあった。大変なことも辛いこともたくさんあった。
しかし、その写真に写る顔の中に悲しげなものは一つもない。
結果良ければ全てよし、という言葉もある。
例えどんなことがあっても、この写真のように最後には笑顔でいられれば、明るい未来を紡ぐことができるのかもしれない。
写真を撮った後、カイトとエニカはバルシーダたちに見送られ、採掘場を後にした。
バルシーダたちは二人の姿が見えなくなるまでその背中を見つめ続けていた。
きっと一生、その姿を忘れることはないだろう。
命の恩人であり、大切なことを教えてくれたその大きな翼を、向日葵が太陽を見つめるように、いつまでも眺めていた。
カイトとエニカが採掘場を出てすぐ、遠くの方から人影が走ってくるのが見えた。
それは、朝に二人が無理矢理お願いして乗り込んだ馬車の御者だった。
「あんたら、こんなところにいたのか! 馬車が襲われたとき川に落ちちまってよ、どこに流されていったんだってずっと探してたんだぜ!」
御者は大量の汗を拭いながら安堵して胸をなで下ろした。
「俺たちはいろいろあったけど何とかこうして生き残ったぜ。ていうか、おっさんも無事だったんだな。あんな爆発があったってのに」
「ああ、俺も生きてるのが奇跡だと思ってるぜ。盗賊に襲われた後、急いでその場を離れてギルドに連絡してよ。あんたらをずっと探し回ってたんだ。すぐそこにギルドの馬車が待機してっから、それでさっさとアラベルに戻って休め」
御者について行くと、道の上に大きな馬車が鎮座しており、その周りに何人かギルドの職員がいた。
カイトとエニカはある程度の事情を話し、その後は馬車に乗ってアラベルに向かった。
アラベルまでは数時間かかるとのことだ。
ようやく体の緊張が溶け、溜まっていた疲れがどっと溢れ出す。
すると、エニカが首をかしげ、疑問を口にした。
「そういえば、なんであのパンがあそこにあったんでしょうか?」
バルシーダが差し出した食糧はどれも、自然の中にある状態そのままの新鮮な木の実や果物ばかりだった。
その中に調理が必要なマルリ草のパンがあるのは明らかに不自然だ。
そこに疑問を持つのは当然のことと言える。
「そのヒントはここに書いてある」
カイトは懐からゼイム・ラートの日誌を取り出した。
「それ持ってきてたんですね!」
その最後のページを開き、エニカに見せる。
──────────
『〇△年 3月5日
ようやく避難所が完成した。これで何か災害があっても大丈夫だろう。
事前にしておいた申請も通り、この採掘場は近々立ち入り禁止のエリアになる。
俺ももう入ることができなくなるが、彼らの安全はこれで確保されるだろう。
最後に気になって彼らの様子を見てみると、どうやら食糧が不足しているようで、子供たちがお腹をすかせて泣いていた。
そこで俺は、久し振りにキッチンを使って彼らの主食であるマルリ草を練り込んだパンを作った。
味見したら、とんでもなく青臭くて食えたものではなかった。
しかし、子供たちは美味しそうにそのパンを食べてくれた。涙が出そうだった。
誰かに料理を美味しいと思ってもらったのは初めてだ。
この汚れた手は、まだ誰かを笑顔にすることができたようだ。
試しに、小さな露店でも出してみようか。
まずいと言われて、すぐに潰れてしまうだろうけど、それならそれでいい。
誰か一人だけにでも喜んでもらえたらそれでいい。
俺も、前に進もうと思う』
──────────
そこで日誌は終わっていた。
「じゃあ、あのパンは……!」
「ああ、きっとあいつら、ゼイム・ラートがパンを作ってたのを見てたんだろ。それで、見よう見まねで自分たちでも作ってみたんじゃねえか」
だから形が歪だったのだ。ゼイム・ラートの思いは確かに届いている。
「それと、やっぱりゼイム・ラートって名前に聞き覚えがあったのは間違いじゃなかった。俺はそいつのことを知ってる。ていうか、ほぼ毎日会ってる」
「え! それってもしかして……!」
エニカも気付いたようだ。
驚いた表情でカイトの顔を見る。
「さあ、まだまだ道のりは長えんだ。今日はもう寝るとしようぜ」
話を打ち切り、カイトは荷台にもたれかかり目を閉じた。
その様子を見て、エニカは小さくあくびをした。
「それもそうですね」
体中に広がる眠気に負け、エニカはカイトの肩に寄りかかり目をつむった。
「おい、邪魔なんだが……」
「弟子は、師匠の肩で寝るものなんです」
「んなわけあるか」
煩わしかったが、カイトはそれ以上拒絶することなく眠りについた。
疲れが溜まっていたのか、エニカもすぐに夢の世界に落ちていく。
そのまま二人は今日の疲れを癒やすようにぐっすりと眠った。
翌日、朝日が山の向こうから顔を出す頃、馬車はアラベルに到着した。
なんだか久し振りに見るような気がするアラベルの町並み。
早朝だからか人はおらず、レンガ造りの家々が朝日に照らされ白く光っている。
小鳥のさえずり朝の訪れを告げるようにこだまし、空に溶けていく。
カイトとエニカは馬車を降りた後、ギルドで風呂に入り、傷をある程度見てもらってから、朝ご飯を食べた。
久し振りのまともな食事を、二人は泣きそうになりながらあっという間にたいらげた。
「それじゃあお前ら、元気でな!」
ギルドを出るとき、御者が笑顔で手を振って見送ってくれた。
最初は怖い雰囲気を放っていたが、本当はカイトたちを汗だくで探してくれるような思いやりのある人だったらしい。
ギルドを後にして、朝日に照らされた道の上を歩きながらカイトとエニカは、人のいない町並みを眺めた。
「とりあえず、何とかなってよかったよな。一時はどうなることかと思ったけど、この後ギルドがあの盗賊たちの回収に向かうみたいだし、一件落着だな」
「そうですね。それに、王都に戻るための馬車代までもらっちゃいました。本当にいいんですかね……」
「いいんだよ。そういうのはありがたくもらっとけ。そんじゃ、王都まで気をつけてな。もう財布なくすんじゃねえぞ」
「はい……」
エニカは少し寂しそうにつぶやいた。
そして、顔をグッと引き締めると数歩前に出で、カイトの方を振り返った。
「師匠、私パパとママにいろいろ話してみようと思います。私の今までの気持ちとか、これからやりたいこととか、全部」
少し不安そうにしながらも、もうそこには、昨日見たような儚く消えてしまいそうな少女の姿はなかった。
「そうか、頑張れよ。お前の人生はお前のもんだ。好きに生きたらいい」
たった一日の出来事だったが、その一日は一人の少女の生き方を大きく変えたらしい。
「はい! それで、私が自分の人生を生きられるようになったら、また会いに来てもいいですか?」
「もちろんだ。いつでも来いよ」
「ふふっ、師匠の方から王都に来てくれてもいいんですよ? 私の家は、ミッフェル家がどこにあるか聞けば、知ってる人がいると思います」
「なんだ、お前のうちは有名なのか?」
「まあちょっとだけお金持ちで……」
「お前、お嬢様だったのか……!?」
カイトは意外そうにエニカを見つめた。
しかし、そう考えると、ずっと敬語で話していることにも説明がつく。
「……とにかく、師匠からも会いに来てください! 約束ですよ!」
「わかったわかった。気が向いたらな」
「絶対ですよ!」
エニカは強めに釘を刺すと、名残惜しそうにカイトの顔を見つめた。
「それじゃあ師匠、また会いましょう!」
「ああ、またな」
エニカはカイトに背を向け、朝日の方に歩き出した。
カイトはその背中を見つめながら、今日のことを思い返す。
「あーあ、結局フィノール学園の試験は受けられなかったし、体はボロボロになるし、散々な一日だったな……」
クリーニングに出したばかりの服はビリビリに裂け、ピカピカに磨いた靴は土や泥で汚れた上にボロボロに削れている。
体は傷だらけで、どれだけ血を流したかわからない。
疲れで全身が重く、動かすたびに関節が痛む。
至る所が筋肉痛できしみ、口の中を切ったのか少し血の味がする。
家を出たときには想像もしなかった、最低な一日だ。
その苦労の末に手に入れたのは、騒がしくて甘えん坊な弟子一人。
「本当に、割に合わねえよな……」
カイトの視線の先で、エニカがこちらを向いて大きく手を振った。
それに答えて、カイトも小さく手を振り返す。
「今日は最低で最悪な一日だ……でも……」
『最強の冒険者とは、花が開く先に立つ者のことだ』
「師匠、あんたが言ってた言葉の意味、少しだけわかった気がするぜ」
カイトが見つめる先で、エニカは嬉しそうに手を降り続けた。
その顔に、大輪の花のような満面の笑みを浮かべて。
朝日が静かに昇る。
その日、一人の男が、最強の冒険者への一歩を踏み出した。
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