15. 弟子に見合う器
赤く輝いていた太陽が地平線の向こうに消え去り、世界は闇に包まれた。
今日はやはり天気の良い日だ。満天の星が夜空を彩り、三日月が白く光る。
カイトはその月明かりに照らされながら、気を失っているルータス盗賊団の3人を引きずって一箇所に集めた。
万が一にも目を覚まして暴れないように、ぐったりと力なく倒れる盗賊たちを頑丈なロープで固く縛り上げる。
仕上げに、バルシーダの子供たちがこの血だらけの盗賊たちを見ないように、大きな布で覆い隠せば完了だ。
このロープと布は瓦礫の中で偶然見つけたものだが、おそらく採掘場の作業で使われていた資材なのだろう。
「帰ったら今回のことを全部ギルドに報告して、こいつらを回収してもらわないとな」
カイトは盗賊の体が布からはみ出ていないことを確認すると、岩にもたれかかっているエニカの方に駆け寄った。
回復結晶の効果で傷は塞がり、血は止まっている。
魔力もかなり回復したようだ。
「師匠……!」
エニカは回復結晶を握り締めたままカイトに抱きついた。
その細い腕でカイトの体にしがみつき、頭をすりすりとこすりつける。
「お前もよく頑張ったな。俺は師匠として鼻が高いぜ」
カイトはエニカの頭を優しくなでた。
甘えん坊な妹ができたような、不思議な気持ちだった。
エニカの師匠になることをカイトは頑なに面倒だと断っていた。それは本心だ。
しかし、断っていた理由は面倒臭いからというだけではない。
自分は誰かを導けるような立派な器を持った人間ではない。
自分が師匠になんてなったら、弟子がかわいそうだ。もっと他にふさわしい人物がいるはずなのにと、カイトは思っていた。
それでも、そんな自分の人間性を知った上でなお師としてあおぎ、その心に立ち上がる勇気を与えてあげられたのなら、この先も背中を見せ続けなければならないだろう。
それに、エニカはカイト以上に頑固なようだ。
いくら払っても、カイトの袖をつかんでついて来てしまう。
ならば責任を持ってその手を握るしかない。
何より、最初に手を差し出したのはカイトの方なのだから。
「そうだ師匠! そこの岩の割れ目の中にバルシーダさんの子供がいるんです! 助けてあげましょう!」
「おう、そうだったな。けどその前に……」
カイトは抱きついていたエニカの手をそっと外し、瓦礫の山の方に歩いて行った。
「お、あった」
両手を瓦礫に突っ込み、レティたちを覆うのに使ったのと同じ土まみれの大きな布を引っ張り出す。
そして、それをビリビリに破き、半分をエニカの方に投げた。
「これで血をしっかり拭いとかねえと、せっかく助けた子供が泣き出しちまう」
「そうですね!」
カイトとエニカは体に付いた血を入念に拭き取り、傷口は布を複数枚重ねて縛った。
体中が縛り付けた布だらけになり、その姿に二人で声を出して笑った。
それからお互いの体を見て、赤い部分がないかしっかりと確認する。
「大丈夫そうだな」
「はい!」
岩の割れ目の中は暗く、夜のためよく見えなかった。
しかし、月と星の淡い光が入り、奥の方に小さなバルシーダの子供がいるのが見えた。
「もう大丈夫ですよ。こっちに来てください」
子供はうつむいてうずくまっていたが、エニカが手を差し出すとゆっくり立ち上がり、よたよたと歩いて近づいてきた。
泣くことも怖がることもなく、エニカの手をそっとつかんで、その温もりを確かめるようににぎにぎと触った。
そのまま子供を抱き上げて、狭い岩の中から星空が広がる空へと引き上げる。
「あ!! 大変です! 血が!!」
見ると、バルシーダの子供の手にほんの少し血がこびりついていた。
おそらく、エニカが割れ目を背に攻撃を受けていたときに、血が割れ目の中に飛んでしまったのだろう。
「マジかよ!!」
カイトはとっさに手のひらで子供の目を覆い、もう片方の手で血を拭った。
「これでよし。……でも変だな、血が飛んだならそれを見て泣き出すはずなのに……」
「そうですね……。単に気付かなかったんでしょうか?」
「それならいいんだけどな……」
子供に赤い物を見せないように立ち回るのはそうとうな苦労を伴う。
今だってかなり危なかった。偶然見ていないようだったから助かったが、見ていたら大惨事だ。
そのとき、カイトはふと岩の割れ目に目を向けた。
「!?」
先ほどは見えなかったが、よく見回すとその暗い空間の側壁にはそこかしこに血が飛び散っている。
それは、エニカとレティの戦いがどれだけ激しかったかを物語っていると同時に、バルシーダの子供がほぼ確実に血を見てしまったことを示していた。
しかし、子供は泣いていない。
もしも、血を見たにもかかわらず泣かなかったのだとしたら……。
「もしかしたら、ここから変わっていくのかもしれないな」
血塗られた悲劇とともに植え付けられた死の赤。
強烈な悲しみや怒りと共に刻み込まれたその赤の記憶は、決して消えることがない。
しかし、その記憶を別の赤で塗り変えることができたなら、あるいは……。
「今まで赤は、悲しみの記憶を呼び起こす引き金でしかなかった。でも、お前が命がけで守って優しい声をかけたことで、この子供にとって、赤が別の意味を持ったのかもしれない」
エニカの顔がパッと明るくなる。
この子供が赤を見て感じるのが、怒りや悲しみや恐怖ではなく、安心であったなら。
まるで日の光が当たるように、誰かが手を握ってくれるように、温かく優しい安堵であったなら。
ここから、未来が変わるのかもしれない。
「いつかこの子たちが、太陽の下で元気いっぱいに暮らせる日が来たらいいですね」
「そうだな」
その後、子供が隠れている避難所を見に行くと、入り口の鉄の扉の上に乗っている瓦礫を、バルシーダたちがどかしている最中だった。
最後の瓦礫が避けられ扉が開くと、その中ではたくさんの子供たちがひしめき合っている。
「こんなにいたのかよ、避難所の広さもギリギリだったんだな。でも、全員無事みたいでよかったぜ。後は……」
瓦礫の山の上を移動し、カイトがキョロキョロと辺りを見回す。
「確かこの辺りだったような……」
「何を探してるんですか?」
エニカが聞くと、カイトが軽く頭をかいた。
「山は崩れちまったし、このままだとこいつらが住む場所がねえだろ。だから新しい住処として、俺たちが最初に落ちてきた、あの地下の採掘場が使えると思うんだよな」
「でもあそこにはマグタイトが……」
「それに関しては大丈夫だ。俺が何とかする。……お、やっぱりここだったか」
カイトが見つけたのは、瓦礫に埋もれた地下への扉だ。
その扉を塞ぐ瓦礫を、カイトは一つ一つ横にどけていく。
「よし、これで開けられる」
カイトが扉を開くと、大量の砂埃が宙を舞った。
口を押さえて軽く咳き込み、カイトはエニカの方を振り返った。
「ごほごほ……じゃあ俺はマグタイトを何とかしてくるから、お前は子供たちを運ぶ準備をしてくれ。そうだな、30分後くらいに下りてきてくれりゃいい」
「わかりました! でもけっこうたくさんいるので、何度も往復しないといけないですね」
子供の数はカイトたちが思っていたよりも多かった。
大人のバルシーダたちと協力しても4、5回地上と地下を行き来しなければならないだろう。
あの長い階段をそれだけ上り下りするのはかなり疲れる。
「何言ってんだ。お前には友達がたくさんいるだろ」
その言葉にエニカははっとし、大きく頷いた。
「はい!」
そのままカイトは階段を駆け足で降りていく。
少し前には外を目指してこの暗い階段を上っていたのに、まさか今度は子供を助けるためにこの階段を下りることになるとは思ってもいなかった。
急いで駆け下りている途中で、ゼイム・ラートのノートが置いてあった物置を通りかかり、なんだか懐かしい気持ちになる。
「夜目が利いてきたとはいえ、やっぱりこの階段は暗いからな。ランプぐらい持っとくか」
カイトは物置に入りダンボールをあさった。ごそごそと手探りでランプを見つけ手に取ると、魔力を込めて白い光を灯す。
「あれ? これはもしかして……」
ランプの光でダンボールの中が照らされたとき、カイトはその中に気になるものを見つけた。
それを取り出しほこりを払って、まじまじと見つめる。
「どうせ誰も使わねえし、もらってもいいよな」
カイトはそれをポケットにしまい、ランプ片手に階段を下りていった。
しばらくして採掘場に着くと、そこには久し振りに見るマグタイトが燦然と赤く輝いていた。
ゼイム・ラートたちが過去に使っていたであろうサビだらけのスコップや手押し車、壁の近くにはつるはしもある。
「さてと、最後に一仕事するか」
カイトはその手に顕現させた黒切を握り、広い採掘場の至る所に散らばるマグタイトを眺めた。
バルシーダがここに住むためには、赤く輝くマグタイトはあってはならない。
だからといって、その全てを掘り出し外に運ぼうとすれば、どれほどの時間がかかるだろう。
そんなことをしている間に朝が来てしまう。
カイトはゼイム・ラートの日誌を思い出した。確か最初のあたりにこんな記述があったはずだ。
マグタイトは衝撃を与えると赤い輝きが失われて黒く濁る、と。
つまり、ここにある全てのマグタイトを叩いてその赤を黒で塗りつぶせばいい。
何百、いや細かいものまで合わせると何千という数のマグタイトが煌々と輝いている。
「踏ん張りどころだ。行くぞ!!」
カイトは瘴気を爆発させ、片っ端から黒切でマグタイトを叩いていった。
強く叩きすぎると壁が崩壊する恐れがあるため、力を調整し黒切を振るう。
岩壁で点々と輝く赤い光が一つずつ黒く染まっていく。一つまた一つと輝きが失われていく。
手のひらサイズの小さなものも、天井から顔を出すものも、一つ残らず消していく。
カイトの体から溢れる瘴気が、採掘場の中を縦横無尽に駆け回る。
普通の人間なら目で追うことさえ困難な速度で刀が舞うように閃く。
今日一日の疲れがどっとカイトの体を襲う。手が重い、足がきしむ。
それでもカイトは息を荒げながら黒切を振り回す。
その様はまさしく、森で暴れ回っていると噂の“黒腕の男”そのものだった。
◇◇◇◇◇
その頃、エニカは子供たちがいる避難所の前で魔法を発動し、幻獣を生み出していた。
エニカの体が白く光り、ルーワンを含め、様々な動物の姿を模した幻獣が顕現した。
猫に羊、犬、ゴリラ、トカゲなど、二十体前後の白く輝く幻獣がバルシーダの子供たちを優しくかつぎ上げる。
大人のバルシーダたちも手伝い、エニカも命がけで助けた子供をその手に抱く。
すると、ルーワンが子供を背中に乗せ、エニカに声をかけた。
「エニカ様、そろそろ行きましょうか」
「そうですね、みんな手伝ってくれてありがとうございます。それでは行きましょう」
エニカを先頭に、幻獣とバルシーダたちは階段を下りていく。
幻獣の体が白く光っているおかげで、ランプがなくても足元がよく見える。
物置も通り過ぎ、しばらく歩いて、もう少しで採掘場に着くというところまで来たとき、エニカは立ち止まり階段の先に向かって呼びかけた。
「師匠ーー! マグタイトは大丈夫そうですかーー!」
その呼びかけから数秒後、奥からカイトの声が響いた。
「おーー! もう大丈夫だーー!」
エニカは安心して歩を進め、採掘場に足を踏み入れた。
後ろから幻獣とバルシーダたちも続く。
エニカの視界に広がる採掘場。
ここに来たときには、マグタイトがところどころで赤々と光っていた。
しかし、その景色は一変し、ほんの一欠片の赤もそこにはなかった。
「まさか師匠、一つ一つ全部に衝撃を与えて赤色をなくしたんですか……!?」
採掘場の中心で岩に座って休んでいたカイトは、エニカの方を振り返った。
「まあな、さすがにちょっと疲れたぜ」
そう言ってカイトは息を吐いた。
エニカは採掘場を見回して目を丸くした。
その隣でルーワンも驚きに目を見張る。
「エニカ様、私は恐ろしいです……! カイト様が心優しいお方で本当によかった。あの方はもしかしたら本当に、最強の冒険者になるのかもしれません」
「私、生きてる間に師匠に追いつけるんでしょうか……」
その後、バルシーダたちは生活するための資材や食糧を採掘場に運び込んだ。
子供たちは一箇所にまとめ、数体のバルシーダが世話をしている。
「あいつら問題なくここで暮らして行けそうだな」
バルシーダたちの様子を見て、カイトはほっと息をついた。
「カイト様」
不意に後ろから声をかけられ、カイトはゆっくり振り向く。
そこにはルーワンと幻獣たちがおり、カイトの顔をまっすぐに見つめていた。
カイトの視界に映る幻獣たちの体は淡く優しく輝いており、その柔らないくつもの純白はまるで花束のように美しかった。
「我らが主であるエニカ様を守ってくださったあなたに、心から感謝を申し上げます。本当にありがとうございました」
ルーワンと全ての幻獣たちが頭を深々と下げる。
「我々はこの世界に生まれ落ちたそのときから、エニカ様を守ること、それのみが存在理由でした。エニカ様の盾となり、その命を脅かすものから何があっても守り抜く。そんな宿命に生きる我々を、エニカ様は友達と呼びました。エニカ様は忠実な下部など、最初からほしくはなかったのです。ただ共に笑い合える友達がいればそれでいい。そんな主だからこそ、我々は生涯、エニカ様について行くことを決めたのです。一生、守り抜いていくことを誓えたのです。そして、その大切なエニカ様を、あなたになら任せられると我々は考えています。あなたのような、本当に大事なものが何かわかっている方になら、エニカ様の未来を託すことができる。どうかこれからも、エニカ様が進む道の先を、照らしてあげてください」
幻獣たちの視線を一身に受け、カイトは頭をかいた。
「俺はそんな立派な人間じゃねえよ。それでもお前らが信じて託してくれるなら、できるだけのことはやってやる」
照れくさそうに顔を背けるカイトに、ルーワンは思わずふっと笑みをこぼした。
「良いお返事をありがとうございます。どちらにせよ、我らが主はあなたから離れるつもりなど毛頭ないようですけどね」
エニカがどれほどカイトになついているか、ルーワンたちは知っている。
エニカの中で、その心の変化を間近に感じていたからだ。
カイトに対して感じていた淡い温もり。
それがだんだんと大きく熱くなっていき、今では憧れに変わっている。
そんな主の成長を、ルーワンたちは微笑ましく見守っていた。
「こんな俺のどこがいいんだかな」
自身の並外れた長所に気付いていないカイトに、ルーワンは優しい声音で諭すように言った。
「カイト様、あなたは頭の回転が速く、戦いでの実力は他を圧倒するほど高い。しかし、対照的に自身への評価はとても低いのですね。もしかしたら、あなた自身の長所にあなたが気付くことはないのかもしれない。それでも、あなたが自分の生き様を貫くとき、その背中を見る者の心には、あなたの長所が確実に届くことでしょう。どうか、カイト様はそのままでいてください」
「俺の長所って何なんだ?」
「それは、あなた自身が理解する必要はないでしょう」
はぐらかすように微笑むルーワンに、カイトはそれ以上追究することをやめた。
「そうかよ。まあ、戦闘力しか取り柄がない俺に、他にも良いところがあるってんなら、少しは自分に自信が持てそうだ」
そう言ってカイトは視線を落とすと、真剣な顔をして目を細めた。
「それから、これは師匠の立場から言わせてもらうが、エニカが冒険者を目指す以上、そこには常に命の危険がつきまとってくる。あいつが今回みたいに傷つかねえためには、魔法で十分に戦えるようになることが不可欠だ。あいつも腹をくくってお前らと一緒に戦うことを決めた。ここからは魔族と戦えるようにするために、幻獣魔法をどうやって扱えば強くなれるかを考えていかなきゃならねえ。お前らもいろいろ苦労するだろうけど、あいつのために頑張ってやってくれ」
「はい、我々も戦う覚悟はできています。エニカ様を悲しませないためにも、強さを求めて精進致します」
その言葉にカイトは満足したように頷くと、何かを思い出したように付け加えた。
「そうだ、一つ気になってたんだけどよ、あいつの魔法は幻獣魔法じゃねえだろ? 偶然あいつが友達を願ったからお前らが生み出されただけで、その本質は別にあると俺は考えてる。お前らがそれを本人に言わないのは、今のあいつに教えるのはまだ早いって思ったからか?」
ルーワンは驚いたように目を開き、カイトの背中を見つめた。
「さすがカイト様、その通りでございます。どこまで見えているのか、本当に恐ろしいお方ですね。このことは、エニカ様には内密にしていただけますでしょうか? 時が来たら、お教えしたいと考えております」
「わかった。俺もそのときが来るのを楽しみにしてるぜ」
エニカが成長し強くなる未来を想像して、カイトは喜びを隠しきれずその口元に笑みをにじませた。
「それではカイト様、これからも我々の友達をよろしくお願いいたします」
ルーワンは嬉しそうに笑うと、エニカの魔力が尽きたのか、他の幻獣たちと共に光の粒となって消えていった。
「師匠ってのは面倒臭えことばっかりだけど、この面倒臭さだけはあんがい悪くねえのかもな」
師匠としての器が今の自分にあるのか。そんなことはもう関係ない。
師匠になることを承諾してしまったのだから、それに見合う器を持てるよう、精進するしかないだろう。
いつかエニカが胸を張って自慢できるような、誇れる師になってみせよう。
それが、エニカ・ミッフェルという強い魂を持った弟子にふさわしい、最強の師匠の姿だ。
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