3-2



 車庫には岡本家の愛車であるシルバーのステップワゴンが鎮座している。久太郎はリヤのハッチバックを上げて、指示されたバスフィシング用の道具を積み込んでいる。


「道具は忘れ物なく全部入れたか?」


 久明は久太郎に訊いた。


「うん、入れた。竿はスピニングのが四本と、ベイト用のが二本。一本は両手で持つやつ。ライフジャケットは暑いから腰に巻くやつを三つ」


 ベイト・キャスティング・リール用の竿には、握りの部分に人差し指を引っ掛けるための突起がある。この独特な形が銃の引き金に似ているため、ガン・グリップ、またはトリッガー・グリップと呼ばれる。


「それでいい」


 久明は、マジックテープで一括りにしてある竿の束を念のためチェックしながら言った。竿はすべて延べ竿型のワンピース・ロッドなので、ひどくかさばる。今回持っていくもので一番長いものは二・一メートルもある。


「ジャイアン君の家はどの辺だ?」


 久明は久太郎が積んだカーゴスペースの荷物を坐りの良いように置き直しながら、たまたま通りかかった同級生の女の子に声を掛けて手を振っている久太郎に訊いた。


「すぐそこだよ。南一丁目の如月公園の横の方」


 久太郎は女の子が去って行ったのと反対の方向を指差した。この街には、それぞれの地区に十二ヵ月の異名が付けられた小公園がある。岡本家のある南二丁目の公園は弥生公園、隣の南三丁目は水無月公園といった塩梅である。


「如月公園か。なるほど、すぐそこだな」


「ジャイアンが待ってるから早く行こう」


 久太郎はリヤハッチをバタンと閉めながら言って、助手席に乗り込み、ドアを勢いよく閉めた。


「ちゃんと案内しろよ。釣り場に行く前から道に迷ってしまっては話にならん」


「大丈夫だよ。アイツんちにはいつも行ってるから、ゼッタイ間違えようがないよ」


「そうか? それじゃ、行くぞ」


 久明も車に乗り込み、久太郎がシートベルトを締めるのを確認してからゆっくりと発進させた。




 佐久間隼人の家までは、ごくゆっくり走っても三分ほどのドライブで着く。


「ほら、あそこ。右側の、四軒目の肌色の家だよ」


 久太郎は公園の先に建っている、クリーム色の外壁にチャコールグレーのスレートで葺いた屋根が乗っている住宅を指差した。その建物はこの辺りではありきたりのツーバイフォー建築で、敷地も五十坪程と岡本家と同じくらいの、ごく普遍的な住宅であった。


 周辺には似たような建物が並んでいて、住人ですら自分の家を間違えてしまいそうだが、佐久間家は純白に塗られたステンレスワイヤーでできたアーチ状の門があり、その外枠に二本の大きなつる性のバラが絡みついていて、多少は個性がある。敷地の周りには同色の柵が廻らされていて、その内側は綺麗に刈り込んだサツキツツジの生け垣となっている。ささやかな庭にはゴルフ場のグリーンのように綺麗に手入れされた芝生の上に濃紺のパラソル付きのウッドテーブルとベンチが置いてある。


「ジャイアン君の本名はなんていうんだ?」


「えーっとねえ……」


「なんだ、お前は友達の名前も知らないのか」


「だってアイツのこと、名前で呼んだりしないもん。たしか隼人……。そうそう、思い出した。佐久間隼人っていうんだ」


 そう言いながら久太郎が手を伸ばしてクラクションを鳴らそうとすると、白い玄関のドアが開いて隼人がニコニコしながら出てきた。背中にはグレーの大きなバックパックを背負っている。


「お早うございます」


 白い門を開け、バラのアーチをくぐって道路に出てきた隼人は深々と腰を折り、久明にお辞儀をした。隼人は小学校に上がった頃からずっと柔道を続けているだけあって礼儀正しい。


 玄関先では隼人の母親がぎこちない会釈をしている。隼人の巨体とは似ても似つかぬ小柄で痩せ形の女性である。


「隼人君かい、おはよう。なるほどいい体をしているねえ、久太郎の話なんかよりよっぽど強そうだ」


 久明はウインドウを下げて、妙に不安そうな表情をしている隼人の母親に会釈を返してから、隼人に声を掛けた。


「いいえ、そんなことないです」


 隼人がはにかみながら答えると、


「そうだよ、ジャイアンはデカイだけだよ」


 と、久太郎は先程と同じことを言って横槍を入れた。


「馬鹿者。お前も隼人君を少しは見習ったらどうだ。チョロチョロと落ち着かないで、いつもはしゃいでばかりしているから、お前はチョロQと呼ばれているそうじゃないか。父ちゃんはちゃんと知っているぞ」


 久明は、ことさらに恐い顔を作って久太郎をたしなめようとしたが、ひどく興奮している久太郎は久明の言葉など聞いてはいない。


「おい、ジャイアン。早く乗れよ」


 久太郎は後部座席のスライドドアを開閉スイッチで開けて、叫ぶように言った。


「うん……。お邪魔します」


 隼人はまた頭を下げて、遠慮がちに体を縮めてステップワゴンに乗り込んだ。


「そんなにでかいバックパック背負って何が入ってるんだ? それになんで長靴なんか履いてるんだよ」


 久太郎は体ごと後ろに向いて、シート越しに黒い長靴を履いている隼人に訊いた。


「長靴は、母ちゃんが水辺は危ないから履いていけ、って言うから。バックパックは着替えとお弁当やおやつ、それに水筒だよ」


「ふーん、ジャイアンの体は無駄に大きくて燃費が悪いからな。でもそんなに食ってばっかりいるとそのうちにメタボになるぞ……って、もうなってるか。オレたちはどうせどっかのコンビニに寄るから、何も持ってきてないよ」


 久太郎は笑いながら隼人に言い、運転席の窓に身を乗り出し隼人の母親に向かって手を振った。


「おばさーん、行ってくるね~」


 心配そうな表情の彼女が小さく手を振って返すと、久太郎は前を向き、進行方向を指差して叫んだ。


「それじゃ、出発! 父ちゃん、亀山に向かってレッツゴー!」



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