ブラックバス

1-1



   一




 ちはら台から亀山湖までは、車で一時間半程の行程である。 


 三人が乗り込んだシルバーのステップワゴンは、ちはら台を南北に貫く大通りを抜け、市原市道54号線、通称「ウグイスライン」に入ってひたすらに南下していく。


 左右に集落らしい集落がほとんどない、両総台地上のこのルートは、空いている上に見通しの良い直線が多くて走りやすく、制限速度を大幅にオーバーして走行している車が多い。久明たちを猛スピードで追い越していく車も時々ある。


「父ちゃん! ほら、また抜かされた! あ、もう一台抜かしてく!」


 興奮している久太郎はやかましい。抜かしていく車をいちいち指差しては悔しがっている。


「久太郎、うるさいぞ。父ちゃんは学校の先生だから安全運転なんだ。もしもあんなスピードで走ってスピード違反なんかで捕まったら、生徒たちに笑われちゃうだろう」


「そんなこと、誰にも言わなければ分かんないよ。オレも黙ってるし」


「馬鹿。それにこの車は、ああいう風にすっ飛んで走るためのものではない」


「でも、あの車も亀山湖に行くんじゃない? いい場所取られちゃうよ」


「あんなものを屋根に乗っけた状態で、スピードを出したら危ないだろう? それに房総半島にはいくつもダム湖があるから、亀山に行くとは限らない」


「そうかなあ……」


 爆音を残して抜かしていった、屋根にアルミ製のフィッシングボートを乗せた黒い大型オフローダーを眺めて、恨めしそうな顔をしている。


 途中、ウグイスラインと房総横断道路の交差点角にあるコンビニに立ち寄って、食料や飲み物を仕入れ、ついでにトイレも借りる。


 駐車場の端には他県ナンバーの大型バイクが十台ほど停まっている。その脇ではツーリング中の中年ライダーたちが車座に坐り、透明なプラスティックのカップに入ったアイスコーヒーを片手に、休憩がてら談笑をしている。皆長袖の上着や皮ツナギの上半身を脱いで、Tーシャツやタンクトップ姿になっている。


 一足先に店から出た久太郎は、彼ら輪の中に割って入って座り込み、しきりに何か話しかけている。


「ほら、行っちゃうぞ」


 用足しや買い物を済ませた久明が声を掛けると、身振り手振りを交えて夢中で何かを話をしていた久太郎は、チラッと久明に目をやってから立ち上がり、ライダーたちに「バイバイ!」と言って手を振って、走って車に乗り込んだ。


「あのおじさんたちも後で亀山の方に行くんだって」


 久太郎は窓越しにライダーたちを指差し、その中の一人と目が合うと、また大きく手を振った。


「暑いから、バイクで走ると風が当たって気持ちいいんだろうな」


 隼人は吹き出た汗を拭きながら、少し羨ましそうに言った。大柄な隼人は暑さが苦手である。


「それがそうでもないんだって。走ってる時はまだいいけど、長袖の革のツナギを着てるから、信号で止まると灼熱地獄だって言ってたよ」


「なんで長袖なの? 半袖だったら涼しいんじゃない」


「オレもそれ訊いたけど、半袖だと転んだ時に大怪我しちゃうからなんだって」


「ふーん、けっこう大変なんだ。なんかカッコいいから、僕憧れちゃうけどなあ」


「ジャイアンみたいなメタボがバイク乗ってても、かなり変」


「そんなことないよ。それに大人になったらメタボじゃなくなるし」


「ふーん、絶対無理!」


 久太郎の怒鳴るような口ぶりに、隼人は苦笑する。




 駐車場を出た三人のステップワゴンは、しばらく道なりに進んだ。突き当りのT字路を左に曲がり、更にひとしきり走ると、かつて交通の要地として栄えた鶴舞の町がある。そこから大多喜街道を経て県道168号線に入ると「西湘プロダクション・市原ぞうの王国」という看板が現れた。これはたびたびテレビ番組にも登場する著名な私立動物園である。


「へー、ここなんだ、ぞうの王国って。今度行ってみたいな」


 久太郎は左手に伸びる路地を、身を乗り出すようにして見ながら言った。

動物園はその路地を入って少し行ったところにある。隼人もウインドウのガラスに顔を付けるようにしながら路地の奥を見ようとした。


「それなら釣りはやめにして、動物園を見に行くか?」


 久明は車を減速させながら、二人に訊いた。


「ううん、そういうわけにはいかないんだよ。今日は釣りモードだから」


 久太郎は首を振りながら尖らせた口でそう言って、後ろを振り返った。


「ジャイアンもそうだろう?」


「んー、僕はどっちでもいいや」


 隼人はニコニコしながら言った。


「えー。ジャイアンの裏切り者!」


「だって、あそこのゾウ、鼻で筆持って字書くんだって。それにさ、ぞうの王国ってゾウばっかりじゃなくて、ほかの動物もいっぱいいるんでしょ。このあいだテレビで見たけど、面白そうだったよ」


「……そんな動物なんかより、釣りの方が面白いよ!」


 久太郎は隼人を睨みつけ、シートのヘッドレストをドンドンと叩いた。


「そう? でもあそこは動物たちを触ったりもできるらしいよ」


「魚だって釣れば触れるよ」


「えー、さかなー? あんまり触りたくないなぁ。なんか生臭そう……」


 隼人は鼻に皺を寄せて顔をしかめた。おそらくスーパーの鮮魚コーナーで氷の上に並んでいるアジやサバを想像したのであろう。


「生きてる魚はあんまり臭くないよ」


「そうかなあ……。それに冷たいし」


「血のあったかい動物だけが動物じゃないよ。魚だって虫だって生きてるって歌があるじゃん」


「確かにそうだけど。でも僕に釣れるかなあ。今まで釣りなんかしたことないんだよ」


「名人以外に初めから釣れる人なんか滅多にいないよ」


「チョロQも初めは釣れなかった?」


「当たり前じゃん。今だってあんまり釣れないけど、でも父ちゃんが釣ってくれるし」


「大丈夫かな?」


「何が?」


「誰も釣れなかったら面白くないよ。釣れないと、オデコとかボウズとかっていうんでしょ? 動物園に行った方が良くない?」


「大丈夫だよ! 絶対釣れるよ!」


 久太郎は尖った声で叫んだ。


「まあまあ。それじゃ、ここはまた今度来てみよう。今日はせっかく釣りの準備もしてきたんだしな」


 久明はなだめるように言ってから左手を伸ばして久太郎の肩を叩き、車をゆっくり加速させた。


「そうだよ、そう来なくっちゃ。さあ、釣り、釣り!」



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