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しばらく森の中を走っているとやがて下り坂になり、急に前方の視界が開けて
この湖は、アジサイの名所で有名な
水深は四~五メートルといったところで、ダム湖としてはかなり浅い。ほぼ全周がコンクリート護岸で固められている上、辺り一帯は田園地帯となっていて民家も多く、山間部の谷川に造られていて周りは鬱蒼とした森林が広がる、といった普通一般のダム湖のイメージはない。むしろ公園内にある池の大なるもの、といった方が捉えやすいかもしれない。周囲にある山はごく低く、なだらかな丘陵地となっている。
湖面にはボートが何艘も浮かび、アングラーが釣りを楽しんでいる。
「へー、これが高滝湖かあ。結構大きいなあ」
久太郎も隼人もこの湖を見るのは初めてである。
「あっ、ほら! あそこの人釣れてる!」
久太郎は、「境橋」のたもとで竿を大きくしならせている釣り人を指差して叫んだ。掛かっているブラックバスはなかなかの大物のようで、激しくジャンプして水しぶきを上げながら抵抗しているのが、湖畔の道路からでもよく分かる。
「あっ、本当だ。いいなー、僕も早く釣りしてみたいな」
隼人も興奮して、素っ頓狂な声で叫んだ。
「それなら、予定を変更して高滝で釣りするか?」
久明は路肩に車を停めながら言った。
「うーん、それでもいいか……。いや、駄目駄目、亀山でデッカイやつを釣るんだから」
「あれもずいぶん大きそうだぞ。四十センチ以上はありそうだ」
「オレが亀山で釣る予定のは、もっともっと、うーんとでかいやつ。ランカークラスって言ったっけ? オレが目指してるのと比べると、あんなのメダカクラスだよ」
「これはまた大きく出たな。でもランカー級の巨大なやつなんて、亀山でもそんなに簡単には釣れないぞ」
「だからチャレンジし甲斐があるんだよ。こんな所で停まってると大物にチャレンジしてる時間がなくなっちゃうよ。ほら、出発進行!」
「はいはい、それじゃ車を出すよ」
久明は笑って発進させた。
湖畔の道から県道81号、通称「養老清澄ライン」に出た一行は、四キロ程先を右に曲がった。小湊鉄道のひなびた無人駅である月崎駅の前を通り、さらに山あいの道を七キロほど走ると、戦国大名里見氏が全盛だった頃の本城、
その駐車場の入口を過ぎてすぐの久留里街道を左折すると、北側の丘陵上に久留里城址がある。丘陵の標高はわずか百数十メートルしかないが、かなり急峻な山城である。
城の南側は、久留里の街並みとJR久留里線があり、その先に小櫃川が流れている。目的地の亀山湖は、この川の上流にある。
町の周辺は大きく蛇行する小櫃川に沿って小平野になっており、意外なほど水田が多い。この一帯は知る人ぞ知る米の名産地になっており、需要に対する絶対数量が少なすぎることもあって、この地で生産される「久留里米」はかなりの高値で取引されている。街中には名水も湧き出ていて、ポリタンクを携えてわざわざ遠方から汲みに来る人もいるようである。
「この崖の上が戦国時代に里見という大名の居城だった久留里城だ」
「へー。ずいぶん険しそうだね」
久太郎と隼人は窓に顔を付けて崖の上を見上げた。
「麓から最高部までの比高はおよそ百メートル、南北二キロ、東西七百メートルにも及ぶ巨大な山城だ。登ってみると、攻め込まれにくいように色々な工夫が凝らしてあるのが分かって面白いぞ」
「ふーん、登ってみたいな」
「今は見学しやすいようによく整備されているから登りやすいし、資料館や案内板もあるから子供でもよく分かるだろう。ちょっと行ってみるか?」
「え? 今はダメ。釣りに行かないといけないから」
「城下の町も歩いてみると興味深いところがたくさんあるけど?」
「ううん、大物がオレのことを待ってるんだよ、亀山で。だから早くいかなくちゃ」
「そうか? それじゃ、また今度日を改めて来てみよう」
なお、戦国関東の名脇役だった里見氏は、最盛期には房総半島の大半を制圧し、豊臣秀吉の小田原征伐には豊臣方として参戦したが、許可なく周辺国に攻め込んだことを咎められ、上総(房総半島中部)を取り上げられて安房(現在の南房総市、鴨川市及び館山市)に去った。その後久留里城には徳川家臣の大須賀忠政が入り、江戸時代には土屋氏や黒田氏といった譜代大名の居城となった後、最終的には明治四年に廃城となった。
「楽しみだなあ。チョロQのお父さんは高校の先生だから、何でもよく知ってていいな」
隼人はうらやましがった。城下の街並みを過ぎてもまだ山上を見上げている。
「父ちゃんは学校で剣道も教えているんだぞ。五段だから、初段のジャイアンよりも偉いんだ」
「おい、久太郎。段位が高いから偉いというわけではないぞ。それに隼人君はまだ小学五年生だ。父ちゃんが五年生だった頃はまだ段位なんか取ってはいなかった」
久明は久太郎を横目でチラッと見て言った。
「それじゃあジャイアンはすごいの?」
「ああ、すごいよ」
「てことは、オレはもっとすごいんだな」
「なぜだ?」
「だってすごい奴を子分にしてるんだもん、オレはもっとすごいってことでしょ」
久太郎は澄ました顔をして、しゃあしゃあと言った。
「馬鹿。自分でそんなことを言うな。すごいかどうかは他人が決めることであって、自分で言っているうちはすごくない。やっぱりお前は小物だ」
久明は呆れて眉間にしわを寄せ、息子をたしなめた。
「言わなかったら大物になる?」
「そう思っているだけでも駄目だ。隼人君を見ろ。隼人君は、能ある鷹は爪を隠す、の格言通りだ。必ず大物になるぞ」
久明は左手の親指で、肩越しに後ろを指差した。
後部座席で隼人が恐縮して小さくなっているのが、気配で分かる。
「オレにはジャイアンが大物だなんて、絶対に思えないけどなあ」
久太郎は不満そうに頬を膨らませた。
「人間の資質なんて容易に分かるものではないし、ましてや将来の姿など誰も分からん。お前だって、心掛け次第では大物になれるかも知れん」
「そうだよ、オレは絶対大物になる!」
「しょうがない奴だ。……ほら、もうすぐ着くぞ」
久留里の街を過ぎてしばらく行くと、狭いトンネルが四つほど連続してある。これらは以前は素掘りの内壁にモルタルを吹きつけただけで照明もないような、非常に古風な「隧道」だったが、数年前に発生したモルタル剥落事故を受けて改修されたため、今風の見た目に生まれ変わった。ただしトンネル本体の拡張工事が行われたわけではないので、今でも大型車同士のすれ違いは不可能で、普通自動車同士のすれ違いすら困難になっている。
そのトンネルゾーンを抜けるとすぐ、亀山ダムへの案内板があった。ダムサイトや小櫃川の最上流へ行くにはこの交差点を左折するが、久明はそのまま直進して、しばらく走った先の、角にガソリンスタンドがある交差点を左に曲がった。
緩やかな左カーブの下り坂を降りきって右折し、車一台分の幅しかない細長い橋を二本渡ると、目的地の「ボートハウス松本」が見えてきた。ここは久明が若い頃にいつも世話になっていたボート屋である。
今日はシーズン中の土曜日なので、かなり混んでいる。事務所前の駐車場の他、少し離れた赤い大鳥居のある公園の駐車場にも、釣り客の停めた車がズラリと並んでいる。久明は事務所前の駐車場の、一番奥の乱暴な停め方をしている黒い大型オフロード車の横にかろうじて一台停められる空きを見つけ、そこに車を頭から突っ込んだ。
「さあ、着いたぞ──」
キョロキョロと辺りを見渡している子供たちに声を掛けてから、久明は車を降りて事務所の方へ歩いて行った。
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