手の温もり

母が死んだ。

末期の癌だった。

俺が母の病の事を知ったのは、亡くなる3週間前。

東京から父に呼び出されて、知らされた。

その時の母は、もうすっかりやせ細っていて、一回りも二回りも小さくなっていた。

あの大きく、ふくよかだった手も指もすっかり細くなって、しわしわになっていた。

母は俺を呼び、俺が近くに寄るとその手で俺の手を包み込んだ。


「もう、こげん大きゅうなってしもうたんやなあ」


その母の声はどこか寂しそうで、けど愛おしそうに何度も摩っていた。

俺にはこんなにボロボロになった母を見ても母が死ぬなんてこと信じられなくて、ずっといて当たり前の人だったから、いなくなることなんて想像もしていなかった。

その日はただ黙って、母と窓の外を眺めていた。



俺の知る母は、田舎育ちの肝っ玉母ちゃんだった。

何かとおせっかいで、すぐにひとのやることに手を出してくる。

何かあれば、ああだこうだとうるさくて、俺はいつも話半分で聞いていた。

幼い頃は俺を背負っていろんなところに連れてったのだと言う。

一緒にカブトムシや蝉を捕まえに行ったり、池でオタマジャクシを取ったり、それが大量にカエルになって大騒ぎしたこともあった。

近くの山に山菜を取りに行ったり、キノコ狩りに行ったりもした。

持って帰ったそれらを近所のばあちゃんに見せたら、ほとんど食べられんと捨てられた。

俺がいたずらをして、家の中を駆けずり回っていたら、怒鳴りつけて頭に拳骨をくらわせた。

小学校の時、友達と大喧嘩して学校に呼び出されたとき、先生に何度も頭を下げていたのを覚えてる。

けど、その時の俺は絶対自分が悪くないと信じていたから、何度頭を押さえつけられても謝らなかった。

そんな俺に呆れていたんだろうけど、家に帰ると母が俺の前に座ってきて、いつもよりも真剣な面持ちで言っていた。


「大輔。謝るんなね、決して相手んためだけやなかばい。お前が大人になった時、ちゃんと謝っときゃあ良かったっちゃ後悔し続けんごとするためにも謝るったい。そん方がお前もすっきりするやろう?」


その時の俺はその意味が全然分からなくて、意地を通すことがやっとだった。

中学までは悩みなんて抱えたこともなかったのに、中学に上がる事にはいろんなことにむしゃくしゃした。

たぶんあれは反抗期だった。

物も倒したし、壁も殴っていくつも穴をあけた。

最期は窓ガラスまで割って、父にひどく怒られたのを覚えている。

そん時、母は何も言わなかった。

父に怒られた後、不貞腐れている俺に母は水ようかんを出してくれた。

これでも食べと笑って言う。

俺はずっと悪い事をしてきたのに、母はそんな俺を必要以上に叱ることはなかった。


「父ちゃんがはらかいたなら、母ちゃんないたらんことはゆわん」


母は力強くそう言って笑っていた。

高校に入ると、何をやってもむしゃくしゃする衝動には駆られることはなくなったが、学校の人間関係が複雑になっていた。

対して仲良くもない奴とつるんだり、虐めたくもない相手をいじめたり、したくもない遊びをしたり。

別に煙草なんて吸わなくて良かった。

その時の友達の家が、大人子供問わず煙草を吸ってて、機嫌が良くなると酒も出してくるような家だった。

勧められてら断れるわけもなく、俺は周りに合わせるように煙草も吸ったし、酒も飲んだ。

いつしかそう言う人間関係も嫌になって部屋に引きこもるようになった。

学校に行きたくなくて、俺は部屋で1人籠城していた。

父が何度か力づくで連れ出そうとしたが、母がそれを止めた。


「行きたがっとらんのば無理矢理連れていくことなかろう?」


母は引っ張り出そうとする父に言った。

そのうち、父はそれ以上何もいわなかったし、何もしてこなかった。

母だけは毎食、俺の部屋の前にご飯を持ってきて食べやっと言ってくれた。

最初は意地になって食べなかったけど、段々腹も減ってきて、普通に食べるようになった。

母はいつも黙ってそれを片付けていた。

そんな日が続いて、夏休みが来る頃、母が俺を縁側に誘った。


「隣のばあちゃんがスイカばくれたばい。一緒に食べようや」


俺はその時、なんとなく部屋から出て母の言われた通りに縁側でスイカを一緒に食べた。

久々に感じた夏の暑い日差し。

庭に列を作る蟻んこ。

蝉の五月蝿い鳴き声。

高い高い青い空。

小さな部屋に引きこもっていた俺はこの時改めて、外は広いんだと知った。

それからは部屋にばかり引きこもるのはやめた。

居間でテレビを見たり、台所で料理の手伝いをたまにやったり、縁側でアイスを食べたり、家の中では好きに過ごした。

母はいつも通りだったし、父も何も言わなくなった。

卒業間近になって俺は再び高校に行くことにした。

最初は校門の前に立つだけで吐き気がして帰ってたのに、そのうち普通に授業が受けられるようになった。

ギリギリ卒業も出来て、俺はその後東京の専門学校に行った。

登校拒否になってから、地元に友達と呼べる友達はいなくなっていた。

だから、故郷に未練もなくて、俺は東京に行ったらほとんど帰ることをやめた。

母はまめに電話をくれた。

段ボールで野菜や米も送ってくれた。

後、父に内緒のへそくりも時々入れておいてくれた。

それでも俺は自分から電話をすることもなかったし、会いに行こうともしなかった。

その時はただ夢を追いかけることで必死で、東京の日常について行くのがやっとで、田舎の事なんか考えられなかった。

だから、こんな年になってまで俺は親孝行と言えるものを何もしていない。

叶わない夢を追いながら、バイト交じりの生活を送っている。

たぶん母たちはずっと俺の事を心配してたんだろうけど、口では何も言わなかった。


そしてあの日、珍しく実家から電話があって、母がもう長くないと聞いた時、背中に何か冷たいものが走った。

あの元気が取り柄のような母が病気になるなんて信じられない。

いつも腹を叩いて、大丈夫と笑っていたのに。

俺はどこかで安心していたんだ。

あの母が死ぬなんてことあることない。

きっと何かの間違いなんだと。

しかし、病院で母を見た時、それが現実なのだと知った。

何年も帰っていなかったので姿かたちが変わっていたことにも気が付かなかった。

電話もしなかったから、元気かどうかも知らなかった。

俺はとにかく自分の夢の事で頭がいっぱいでそんな他人を気にする余裕などなかった。

そして、いつかこういう現実が待っていると言うこともわかっていなかった。

母は俺に会って、数週間後には逝ってしまった。

葬式で俺は泣くことはなかった。

親戚や知り合いが来るたびに頭を下げて、挨拶を交わした。

大半の知り合いが久しぶりと声をかけて来た。

俺の名前を聞いても、もう十数年会っていないのだからあたりまえだ。

母が出棺する時、父はその場で大声で泣いた。

あの頑固者の意地っ張りの父が人前で泣いたのだ。

俺はそんな父の肩を支え介抱する。

父の肩も気が付けば俺が想像していたよりずっと小さくなっていた。

母の遺体が焼かれ、骨壺に入れられて、49日には墓に入れられた。

あっという間の出来事だった。


俺は実家の縁側で空を見上げる。

高い高い青空が広がっていた。

俺はそこに手をかざした。

そして幼き頃の事を思い出す。

庭ではしゃいでいた俺を嬉しそうに追いかけまわす母の声。

大輔、大輔と何度も呼んだ。

そして最後はいつも俺は母に捕まって、強く抱きしめられる。

その時の母の幸せそうな顔を俺は忘れてはいない。

この時初めてもう母が帰って来ないことを実感した。

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