【短編集】君の為に詠う
佳岡花音
君の音楽に恋をする
きっかけは些細な事だった。
友達に勧められたバンドの音楽を好きになって、私はそのバンドの音楽をよく聴いていた。
実際、その頃の彼らの音楽は世間から注目されていて、曲もたくさん出していたし、CMのイメージソングやドラマの主題歌などにもなっていた。
そして、そんな彼らのライブに行けることになって、私は直接彼らの演奏する姿を見ることが出来た。
豆粒のように小さな姿。
スポットライトに照らされ、バックモニターに顔が映る。
観客は大興奮で歓声を上げ、彼らものりのりで演奏していた。
なんでだろう。
どこにでもある普通のライブ風景のはずなのに、私は何かが違うと感じた。
彼らは遠い存在の芸能人。
世間の為に音楽を作って、世間のための姿を象る。
そんなのは作り物と一緒だと思った。
この歓声だって、数年経てば、一人二人と減って違うバンドやアイドルを好きになる。
それでも彼らはこのバンドのイメージと守って生きるのだろう。
それが決して悪い事ではないのに、私はどうしてもそんな彼らを受け入れることが出来なくなっていた。
そのうちにそのバンドのボーカルがよく知る芸能人と結婚したというニュースが流れてきた。
もし、彼らのバンドが売れていなかったら、今でもインディーズのままだったら、彼女と結婚することは出来たのだろうか。
それが現実。
どんなに音楽で夢を膨らませても、その恋の歌は誰の為に歌ったものなのかと考えてしまったら、大好きな歌も聞きたくなくなっていた。
そんな時、目に入ったインタビューのコメント。
その人はまだ駆け出しで、音楽も始めたばかりで、人付き合いが苦手で家に引きこもって音楽作成ばかりしているような人だった。
彼も私の好きだったバンドに憧れて、この世界に飛び込んだのだと書いてあった。
バンドなんて自分には組めないから、パソコンを使っていくつもの楽器を演奏して曲を作る。
1人でも彼は人の心を惹き付ける曲を作っていた。
顔も出さない、無料動画で配信していたオリジナルの音楽。
私はそんな彼の曲をヘッドホンで聞いていた。
どうしてだろう。
その音楽を聴いていたら、自然と涙が溢れて来た。
今まで漠然と感じていた淋しさや不安が一気に胸に流れ込んできたのを感じた。
その音楽は私の中に流れて、私の中の何かを膨らませていく。
それが彼の曲を好きになった私の理由。
「この人の曲いいよね」
クラスメイトが話す声。
スマホの画面には彼の曲のCDパッケージの写真が載っていた。
彼も今やだれもが知るアーティストになっていた。
「わかる。私もこの人の声好き」
いつの間にか誰もが知る、多くの人が認めるアーティストとなっていた。
昔は無名で、そんな彼の事を見つけた時は宝箱を発見したような気分だったのに、今ではその特別感はない。
それでも私は彼の曲が好きだった。
教室の端から担任が日直を呼ぶ。
その日の日直は私だった。
担任は昨日回収したノートを皆に返したいから職員室に取りに来るようにと言って来た。
そんなの自分で持ってきたらいいのにと思いながらも、何も言わずに頷いた。
こんな時、私を手伝ってくれる友達はいない。
教室で1人で淋しい時はヘットフォンを付けてスマホに彼の音楽を流し、窓の外を見上げる。
そこにはいつだって空があった。
快晴だったり、雨模様だったり、曇り空だったり、雪雲の日もある。
けれど、空は空だ。
そこには人なんていない。
心を乱すようなものは何もないのだ。
それが良かった。
私は担任の言われた通り、昼休みになると職員室に向かい、担任からノートを受け取った。
大学ノート30冊分はさすがに重い。
こんなのを女子中学生に持たせる担任もどうにかしていると思った。
けれど担任は当然のように私に渡し、自分の仕事を再開させていた。
ひとまず職員室をお辞儀をしながら出て、教室に向かうために階段を上った。
廊下でも階段でも生徒たちが遊び場のようにして騒いでいる。
前も横も見ていない。
目の前の事で頭がいっぱいで、すれ違いざまにぶつかってもお構いなしだった。
私は自分たちの教室の廊下に立つと、そこから教室に飛び出してくる生徒にぶつかった。
その勢いで、ノートが散乱する。
騒動に気が付いた生徒の1人が私たちの所に駆け寄ってくるときに、近くにあっゴミ箱を蹴飛ばした。
ゴミ箱は豪快に倒れ、中に入っていた飲みかけのジュースが散らばったノートの上にかかった。
私たちは気まずい顔をする。
しかし、彼らはそれに気が付いたのにも関わらず、私には何も言わず、何もなかったように立ち去った。
残ったのは散らばったノートと零れたジュースのパックとゴミ箱。
ジュースのかかったノートは表紙が波打って、ジュースの臭いが付いていた。
私はひとまずノートを集め、汚れたノートだけ別にして教室に戻る。
教室に入ると教壇の上にノートの束を置いて、汚れたノートをハンカチで拭いた。
私のハンカチにもジュースの染みと臭いが付く。
何で私ばっかり。
その時の私はそう思った。
ノートに書かれた持ち主の名前。
あまり話したこともない女子の名前。
きっとこのノートを見せたら悲しんでしまう。
そうわかっていた。
けれど、隠すことも出来るはずもなく、私は正直に彼女にノートを渡した。
彼女はそのボロボロになったノートを見て泣いた。
周りにいた生徒たちがそれに気が付いて、私を責めた。
彼女の事を何度も可哀そう、可哀そうと言った。
ジュースをかけたのは私じゃないのに。
ノートがボロボロになったのは私の所為じゃないのに。
しかし、そんなことはクラスメイト達には関係なかった。
誰が悪いか、それだけで良かった。
私はついに教室から駆け出した。
誰も来ないであろう屋上に出る。
首にかけているヘッドホンをかけて、私はいつものように彼の曲を聞いた。
彼の声が私の悲しみを癒してくれるから、私は求め続ける。
どうか、周りに染まらないで。
格好いい芸能人なんかにならないで。
誰かの理想なんかにならないで。
人の為に音楽なんて歌わないで。
私はもう誰かに失望なんてしたくない。
その歌だけは、その曲だけは私を裏切らないで欲しかった。
音楽は人が作るものだから、きっと時間と共に変わっていく。
それでも、この曲はこの歌はこの声は世間に染まってしまったらなくなってしまう。
誰かの作った流行りの音楽のように、法則の中の音楽のように、AIが作る音楽のように大事な『君』がいなくなってしまう。
きっと現実に絶望した瞬間も、一人ぼっちで部屋にいた淋しかった瞬間も、自分の存在意義に疑問を感じた瞬間も全部忘れてしまう。
格好悪くていい。
情けなくてもいい。
誰かに憧れる一人の人間として、夢を見て歌う君でいて。
私はそう願って空を見上げた。
彼の音楽と共に胸から溢れるものに包まれ、私は泣いた。
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