第70話 事件が変えたもの
次に私達は、クリスタルレインを訪れた。以前より店内はすっきりとした感じになり、大人のお客さんが増えている印象だった。
ミヤコさんは相変わらず美しかった。私を見て、言った。「菜々ちゃん、この二年で大人っぽくなったのね。前は、若さではち切れそうだったけど。ううん。今が悪いって言うんじゃなくって。すごく調和がとれていいカンジよ」
そして父さんと母さんに言った。
「月島君もすっかりお父さんになったのね。あの少年みたいにウルウルした眼をしてたコがね。やっぱり素敵な女性を見つけたんだ。私、月島君はゼロか百かの青年だと思ってたの。薄っぺらい女性に引っかかったりしたら、ゼロになるって」
母さんは、思わず吹き出していた。
「じゃ、今は百なんだ」って。
ミヤコさんは私に、以前とは違うジュエリーを見立ててくれた。紫陽花色のような、朝顔の青のような目の醒めるブルートパーズを。
青が似合うようになったと、母さんが言う。父さんはピンクや黄色が似合う子だと思っていたのに、と。
これは、きっとこの二年少しの間に私に起こった化学変化のせい。
私達家族とミヤコさんは、かつての出来事を振り返り、思い出話とそれにまつわる人々の消息を確かめ合った。
まず、週刊レーベンで、当時、この宝石を巡る少し不思議な因縁話が掲載された事。この記事は、静かな波紋を呼び、感銘を受けた読者からのホームページへの投稿も、かなりの数だったとか。もちろんもっと毒々しいニュースネタを求めている読者にとっては、それ程のインパクトではなかっただろう。雑誌は、いや本というものは読者を選ぶって、平野さんはよく言ってたし。自分は今の路線でいくのだからそれでいいんだ、とも。そんな時は意味深な笑顔だった。鋭い目はもうそんなに鋭くない。
今では奥さんの具合も良くなってきて、休日には夫婦と愛犬で公園を散策する事も多いって。
波乱万丈な運命の絵日記は、裁判に借り出された後、フランスには送られなかった。作者である尾ノ上琴音さんの意志によるもの。今回の個展に間に合わなかったから、次の機会までは日本に残しておいた方がいいって。たぶんこちらの方が見たいと願う人の目に触れるから。この絵日記はきっとそういう運命を
裁判が終わった後に、レイン湖の夕陽は、瑠璃子さんの元に戻された。元々は、ヨーロッパを訪れた彩城家の先祖が医学校に留学していた際、手に入れた物。それも本来は師事していた医師が元貴族という人物から治療費代わりに受け取った物だとか。それを、彩城家の先祖が半ば勝手に自分の所有物にしていたらしい。この石にはたジンクスがあり、病を克服できると言われていた。治療費代わりにこの宝石を渡した元貴族が吹聴した事かもしれないけど。そのため彩城家で幼い頃から難病を抱えていたさえさんが譲り受けたのかもしれない。
瑠璃子さんはそれを元々この宝石の所有者のいたアイルランドの博物館に寄付した。寄付とは言え、幾らかの謝礼が払われ、それは、今の施設のためと困難な病気と闘う人のために当てられた。
私には年賀状を送る相手が一件増えた。瑠璃子さんだ。今ではこういう風習もいいなと思っている。お互いの消息と現在の位置が確かめられるから。身近にいなくなったら履歴に残らなくなるSNSだけの付き合いじゃなくって。
そして私達、家族には一つの習慣が加わった。日曜日に菩提樹の花のハーブティーを煎れてゆったりとした時間を楽しむという習慣が。
そして私は父さんをもう、物事の価値を表面的に見る人だとは、もちろん思ってていない。初恋の相手に似ている事を誇りに感じいる母さんも。そして翔太も。
「人には方向性みたいなのがあって、自然とその道筋を通る」
そんな言葉通りに時は進んでいる。
そうそう、その言葉にもっとも忠実だったのは、ある意味、サキちゃんかもしれない。私はミヤコさんから、サキちゃんの消息を聞いた。
サキちゃんは、やはりミネギシには、もういない。あの冬、「私はこんな事をするためにここにいるんじゃない」と突然キレて辞めたって。
私は、例のおばあちゃんはどうなったのか心配になって訊いた。すると、サキちゃんが辞める半年前に老健施設に入ったので、ミネギシにはすでに来なくなっていたそうだ。
そしてサキちゃんはというと、それからすぐ洋菓子の専門学校で一年学び、今では新しくオープンしたケーキ店で、オリジナルのケーキやクッキーを考案し、好評だとか。そしてその店で、この春から老健施設での訪問販売を実施する事となり、サキちゃん自ら運転して、そこで売るのを楽しみにしているらしい。これもイチゴのチョコレートのラインにあるんだと思った。サキちゃんの訪問販売の得意先には、フォレストグリーンもしっかり入っているとか。これは私達の運転手としてサキちゃんがそこを訪れた事から出来た「付き合い」らしい。世の中、捨てたもんじゃない。
こうして、伝説の宝石、レイン湖の夕陽を巡る悲喜こもごもは、終わりを告げようとしていた。謎もまだありつつ、私達は新たなそれぞれの現実と格闘しなくてはならないからだ。
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