第63話 その夏、最優秀賞に選ばれた絵日記

 新井のおばちゃんの話はこうだった。


「昔、私が小学校の低学年までの事だけど、夏休みが終わると、その年の優秀な夏休みの自由研究と絵日記が、市で表彰されていたの。優秀な自由研究と絵日記が、市庁舎に掲示されてね。各学校で一名ずつ選ばれるんだけど、市で最優秀の人は、市長室に呼ばれて、市長から直接、賞状を受け取るのよ。

 自由研究はハードルが高いけど、絵日記の方は頑張れば何とかなるかなって感じで、力を入れる子が多かったの。夏休み前には、親に頼んで豪華な四十八色の色鉛筆を買ってもらってる子もいたわ。水彩絵の具で毎日、絵日記を仕上げている子とかね。私もね、小学二年生の時、すごく頑張ったの。そのために連れて行ってもらったような旅行もあったし。その旅行ではうんと詳しく風景をスケッチして描いたの。海岸とか山道とか。絵は得意だったし。でも選ばれたのは、同じ学年でクラスの違う尾ノ上琴音さんの絵日記だった。しかも市内で最優秀賞に選ばれたの。


 尾ノ上さんは、特に夏休みに旅行になんて連れて行ってもらってなかった。母一人子一人の家庭で、母親は、昼間はお医者さんの家でお手伝いさんをしていて、夜は自宅で内職をしていたの。琴音さんは、そんな日常を細やかに絵日記に綴っていた。絵もとても細かくて可愛さに溢れていた。特にさっきのプロポーズを目撃した時の絵が好きだったわ。結局、高価な色鉛筆も水彩絵の具も関係なかったの。


 名前? うろ覚えじゃないわ。正確なはずよ。私、あんまり悔しかったから名前まで憶えてるの。しつこいでしょ? 悔しいというか、もっともだな、という敗北感。ああいう才能が本当に羨ましかったのよね。あれ以来、人の出来事を、つい自分の事のように話すクセがついちゃったの。

 この事を覚えている人? 同じ時期に小学生だった人は憶えている人、多いんじゃないかしら。他校の子も市庁舎に見に来ていたし。それに三年前にも、毎朝新聞社のホールで「昭和の記録展」というのをやっていて、そこですっごい久し振りに尾ノ上さんの絵日記を見たのよ。あらためて感激したわ。そして全部の絵日記の内容を憶えていた自分にも驚いたの。何せ一つ一つの場面を頭の中で思い描きながら読んでいたから、自分の体験のように憶えていたのね。


 そんなに興味あるの? 新聞社に行ったら、見せてもらえるんじゃない?

 小学校の名前? 勝山小学校よ。統廃合されて、今はないけど」

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