第59話 氷の女王に会う②オレンジダイヤモンドの秘密

「月島晴海です」


「そう……。旧姓を教えて頂ける?」


「はぁ……。柳井ですが……」


「そう……。ヤナイ。ご両親の馴れ初めを教えて頂ける? いつ頃どうやって出会ったのかを?」


 私は刑事に取り調べを受ける容疑者の気持ちが分かる気がした。

「私が生まれる二年前、お互い友人と食事に行ったお店で、父が母に声をかけたと聞いています。今から十八年前、二〇〇三年の事です」


 その言葉に瑠璃子さんは小さくため息をついて、「そうなの……」と私を見つめていた。

 さっきまで晴れていた空にポツポツと雨が振り始めたのが、窓ガラスを叩く水滴の音で分かった。


 平野さんが言った。「佐伯さん、もしかしてここにいる菜々さんの母親が、昔あなたの知り合いで、宝石、レイン湖の夕陽を譲った人物だと思ったのですか? そうだったら良かったのに、と」


「はい。警察の人は私の言う事を信じてはくれませんでした。そんな高価な物をたかが従業員に贈るはずがないって。でも佳代ちゃんはたかが従業員なんかではなかったんです」


「佳代ちゃん?」私は初めて聞く名前を繰り返した。


「その佳代さんというのは、当時の彩城邸のお手伝いさんだった方ですよね? 二人いたお手伝いさんのうちの一人」と平野さんが言った。平野さんは全て知っているような口振りだった。


「はい、そうです。生島佳代ちゃんは私が嫁いで三年経ってから入った家政婦です」


「でも警察はもう一人の年配だったお手伝いさんの所在は確かめられるのに、生島佳代さんについては詳細を確かめられなかったはず」


「そうなんです。ですから尚のこと、信じてくれません」


「彼女が結婚して名字が変わっているとしても、どうして旧姓でも当時の記録に残っていないのでしょう? 彼女はどういう経緯で彩城家に勤めるようになったのですか? ハローワークつまり、職業安定所経由ですか?」


「いいえ。佳代ちゃんは前にいたお手伝いさんのの知人の娘さんで、その縁故で働くようになったんです」


「彼女の給与は、銀行振込ではなかったんですか?」


 あ、そうか! それなら銀行の記録にはあるはずだと私は思った。


「いいえ。お手伝いさんの給与は現金で渡していたんです。元主人の方針で」


 あ、これが茶封筒ってやつだ、と私は思い出した。


「だから彼女の身元に関する公式な情報は何も残っていない」


「そうなんです。近所でも年配のお手伝いさんの方が印象に残っていて、佳代ちゃんの方も七年勤めていたというのに、あまり皆の口にのぼらなくて」


「そうなんですか? あ、そう言えば年配のお手伝いさんの方は車に乗っていましたか?」


「いいえ、免許自体持っていなかったと思います。通いだったけど、交通機関を利用していましたから。当時でそう、三十代から六十代まで彩城の家で家政婦をしていた方で、嫁いだ頃は小さなお子さんがいて、電車に乗るのが大変って言っていたのを憶えています。それが何か関係あるのですか?」


「いえ、お手伝いさんがポルシェを運転していたって近所の方から聞いたものですから。僕達が近所で取材した主婦で当時の貴女の事を知る人です。貴女がお姑さんに連れ添って病院に行く姿を知っている方です。その主婦の見かけたポルシェを運転する女性、それが佳代さんだったんですね?」


「そう。佳代ちゃんが運転してくれていたんです。あの子は運転が上手かったので。体も大きくて、大型車でも平気だった。さっき仰ってた主婦って三佐江さんですよね、井川さんのお宅の。この間、電話をくれたんです。週刊レーベンの記者の人が来たって。高校生二人を連れて。女の子の方は、まるで昔、彩城家にいた若いお手伝いさんみたいな子だったって。もしあの子が高校に通っていたならあんな感じかなって。佳代ちゃんは家庭の都合で高校にも通えず、彩城家で働いていたから」


「井川さんとは、病院で知り合ったそうですね。お互いに、病人の付き添いで」


「はい。昔、病院で時々一緒になっていました。そしてこれは内緒だったのですが、彼女のお友達にアクセサリー作りの得意な人がいるので、個人的に連絡先を交換し合って、時々買わせてもらっていたんです。主人は彩城家の恥になるような安い装飾具を付けるのは、絶対許さなかったのですが、公式でない場所で私がそういう物を身に着けていても全く分からなかったのです」


「公式でない場所というのは、家の近所とかですか?」私は訊いた。


「そうね。ある程度の社会的な立場にあると、名のある物を身に付けないといけなくなるの。それ以外の場所という事になるわ」


 私は、こういう美人ならきっとどんな物を身に付けても素敵に見えるに違いないと思った。ミネギシのオーナー夫人が言っていたのを思い出す。アクセサリーの本当の意味は、付属品だって事を。

 そして、それを身に付けている人が重要だって言ってた事を。



「たかが従業員に貴女が彼女に高価な装飾品を渡したのはどうしてなのでしょう。私なりに考えた結論なのですが、佳代さんは、お姑さんの、そして義理のお姉さんの介護をしている時代の貴女を支えてくれた人だったからではないですか。だから『たかが従業員』ではなかった」


「その通りです。一番大変な時、力になってくれた一人です。


 佳代ちゃんは田舎の娘らしく、大世帯で育って、だからお年寄りも大切に思うような娘でした。いつも青空のように明るくておおらかで。私が小柄なので、介護で力仕事は難しかったんですけど、そういう事は佳代ちゃんが手伝ってくれたんです。姉妹のようにあの家の中では思っていました。佳代ちゃんは住み込みでしたし。十才離れているのに可笑しいでしょ?

 だから辞めて田舎へ帰るという時、退職金代わりにあの宝石を渡したんです。姑が亡くなってしばらくしてからの事でした」


「退職金代わり? 退職金はなかったんですね?」


「ええ。夫は非正規の家政婦に退職金なんか払えないという考えでした。もう一人のお手伝いさんが辞める時にもね。その方にも実は私は退職金代わりになるお金を渡しました。この方は長年働いてくださっていたし」


「長年働いた人に慰労の気持ちもないなんて、失礼ですが貴女の元夫は冷たい方ですね」


「というより変な被害者意識があったんです。自分の物を周りの人が盗んでいるという。長年いたお手伝いさんが安い生活消耗品を捨てるのも一つ一つチェックしていた人ですから」


「長年いたお手伝いさんは災難だったな。だからこそ佳代ちゃんは雇い主のご主人からでない金銭や品物は受け取ろうとしなかった」


「ええ。だから私は『これは本物じゃないから安心して受け取って』というけど、まだ受け取りません。だから私はつい、こう言ったの。『あなたに渡すわけじゃないの。あなたを心から愛してくれる男の人が現れたらその人に渡してね』って」


 私と平野さんは顔を見合わせた。


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