第57話 約束を取り付けて
それからミヤコさんは私を店の中の事務所に招き入れた。
「早速、連絡をとりましょう」というミヤコさんの行動力に私は驚いた。
「ダイジョウブなんですか?」
「やってみなくちゃダイジョウブかどうかは分からないわね」なんて私も負けるような、意味不明の勇敢さだった。
でも流石に店を切り盛りしている大人だ。店の固定電話からかけたミヤコさんの話しぶりは見事だった。
「そちらの管理をされているルリさんにお会いしたいという高校生のお嬢さんがいます。ええ、分かっています。でもそのお嬢さんの親に当たる方がルリさんにお世話になっていたので。今は名字が分からないのですが、そちらの施設のホームページを見ましてもしかしたら、と……」
しばらく何かを待っている様子だ。
「どうしたんですか?」
「『お断りしてます』の一点張りだったんだけどね。とりあえず、『上司に伺うのでお待ち下さい』という所まで頑張ったわ」
すぐにミヤコさんが電話の受話器に向かって話し始めた。
「私はその子の代わりに連絡している者で、宝飾の店を経営している都倉美雨です。はい。今、ここにいます。名前は月島菜々さんで、高校一年生です。分かりました。お待ちしています」
そう言ってミヤコさんは電話を切った。
「何て言ってました?」
「『管理長に伺い、また折り返しお電話します』だって。今、この固定電話の店を調べてるとこなんじゃない? 詐欺じゃないか、怪しいトコじゃないかって。ミネギシの副社長に電話してもらった方が良かったかな」
なんでそこで自虐的になるんだろうと思いながら、ミネギシに頼んだら結果は違うのかな、なんて考えたりもしていた。そして、大人が『折り返し』という言葉を使う時、一体どの位がタイムリミットなのか、とかいう事も気になった。
そう思う間に固定電話がリーンと鳴り始めた。ミヤコさんは今度は静かな声で話し始めた。私の方を心配そうにチラチラ見ながら。突然、受話器に手を当て、小声で言う。「菜々ちゃんに代わってと言われたけど、大丈夫?」
「私なら大丈夫です。代わります」
電話の向こうの相手は、若い男の人の声に聞こえた。
「もしもし」
「月島菜々さん本人ですか?」
「はい。私が月島菜々です。初めまして」
色々、理由を聞かれると思って、心の準備をしていたけど、相手の質問は思いがけないものだった。
「ここの管理長のルリさんの以前住んでいた辺りを最近、週刊誌の記者と一緒に訪れたのは
「は、はい」少し声が震えた。これは怒られるやつかもしれないと思った。電話の向こうでは、相手が近くにいる誰かと話している様子がうかがえる。
「では、こちらから指定する日付のうち、貴女の都合のよい日にちを教えて下さい」
「はい」
――やった! 約束を取り付けられる!――
「ただし……」
――え?――
「ただし、貴女のお母様と一緒にこの施設にいらっしゃるのが条件です。他の第三者は認めません」
やっぱり怒られるやつだ……これは。でも母さんだけはダメだ。
「あの、私だけじゃダメですか? 謝るのなら私が一人で謝ります。母は今、骨折で入院しているんです。それに母には何にも関係ないし、今度の事で誰より傷ついているんです」
また電話の向こうで話し合いが行われているようだった。ものすごく長い時間が経ったようで、実際には三分位だった。再び電話に出た相手は言った。
「お母様が来られないなら、代わりにこの間一緒だった週刊誌の記者、週刊レーベンの平野良氏と同伴で来て下さい」
「え……。は、はい、分かりました」
一緒にいたのが平野さんって事まで分かっている。そりゃそうだな。記事を読めば、ライターの名前って書いてあるから。これは怒られるだけで済まないかも。賠償金を請求されるかもしれない。
また、この間、こっちがキレて電話を切った相手の平野さんに連絡しなきゃいけないのも気が重い。しかもフォレストグリーンの場所は、一応は関東圏だけどずいぶん山奥みたいだし。
たぶん紙のように真っ白い顔をしていたんだと思う。ミヤコさんから、「気分でも悪いの? 顔色悪いけど」と言われたから。
「いいえ、大丈夫です」と答えたけど、心の中で『ちょっと怖くなってきただけ』と呟いていた。その場で、平野さんにフォレストグリーンへの訪問の件について、ラインで知らせた。約束の二十五日は一週間後というのに、私の方で勝手にオーケーしてしまっていた。これも平野さんから怒られるかもしれない、というより断られるかも。
いつもはすぐに既読になるラインのメッセージが、今回はしばらく待っても既読にならなかった。
焦った私は、最初に平野さんにコンタクトを獲った時のように青鴎社に直接、電話してみた。電話に出た社員は言った。「平野なら一週間程、家族の看病で休んでいるよ。君は彼の取材に付き合ってた高校生だよね。知らなかったの?」
家族、奥さんの事だろうか。それなら仕方ない。瑠璃子さんとの約束自体を断らないと。でも本当にそれでいいんだろうか? 母さんに外泊許可をもらって来てもらう? 父さんだとまた、交友があったと思われ、裁判で不利になるとか色々ややこしそうだし。
そんな風に考えを巡らせている時、突然スマホに着信のメロディが流れた。平野さんからだった。「ラインを見た。約束を取り付けたって本当なの?」
私はこれまでの経緯を説明した。自分の軽率な行為も謝りながら。
「一週間後って、平野さん、無理ですよね。家族の方が病気なんでしょう?」
「いや、それはもう大丈夫なんだ。家内の具合はもう落ち着いてるから。何とかしてスケジュールは調整する。でも、困ったな」
「え?」
「家の事してる時に、指を火傷しちゃって、今、運転できないんだよ。フォレストグリーンって調べてみたけど、一般の交通機関じゃ不便な山奥にあるんだ」
「え、そうなの? うちの父さんは車を運転しないし。どうしよ。駅かバス停からタクシーになるかな」
隣りにいたミヤコさんが話しかけてきた。「それなら何とかするわ。私は車の運転しないけど、運転手は何としてでも探すわよ」
*
そして一週間後の、八月二十五日の水曜日、私達は岐阜の山間部にあるという介護施設、フォレストグリーンへと向かった。
ミヤコさんが依頼した運転手は、何と宝飾の店、ミネキシのサキちゃんだった。サキちゃんは、待ち合わせた私には朗らかに温泉旅行に来るまで行った話なんかをしていたけど、途中で平野さんが合流すると、黙って運転に専念した。鋭い目付きに怖気づいたわけじゃないだろうけど。たぶん、私達の間に漂う空気からも、この訪問がただの介護施設への訪問とはちがう事を察したんだと思う。
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