第48話 二十五年後の黒い影

 父さんが話し終わり、沈黙が訪れた。そしてセピア色に変色した本を閉じたように、時は一気に現在になる。相変わらずの蝉時雨。誰かが沈黙を破るのを待っていた。


 私が口火を切った。

「話してくれてありがとう」


 センパイも言った。「ほんの僅かな期間の事だったのに鮮やかな記憶ですね。自分ならそんなに憶えていられないだろうな」


「いや、若い頃のつまらない事こそ、なぜか憶えているものなんだ。と言っても最近までは年々、思い出す事も少なくなっていたんだよ」


「今度の事件で思い出したのね」


「いや、それ以前に大学の学部の同窓会があって、それで思い出したんだ」


「えっと。父さんが大学の学部の同窓会って言ってたの、確か去年の九月じゃなかった?」


「ああ」


「ティユルは高校時代にバイトしていたお店でしたよね? なのに大学の同窓会で、どうして思い出したんですか?」と璃空センパイが訊く。


「ホント。なんで?」


「それが、偶然同じ頃、同じようなバイトしてたやつがいて。店は違うけど、イベントとかで一緒になった事もあった。大学のキャンパスでバイトの情報交換をする事もあった。権田って言って、そいつが言ったんだ。オマエ、昔、『ダイヤモンドにもオレンジ色のがあるの知ってるか』なんて訊いてなかったっけって」


「は? 権田さんって人もすごい記憶の持ち主だよね」と私。


「いや、そいつもたぶん忘れてたような話だと思う。父さん自身、そいつに何かの機会に訊いたの、忘れてたし。ただ、権田は結局、全国展開の大手チェーンの質店に就職したんだよ」


「質店って?」

 私はよく分からないながら、頭の中に二つのイメージが混ざり合っていた。昔のドラマや映画で、お金の無くなった人が、持っている物を質店に持って行き、お金に変えてもらう、一寸うらぶれたイメージ。あともう一つは大手のチェーン店の派手なテレビコマーシャル。これはもう、後の方のイメージのやつだな。


「宝石関係では、この質流れしたジュエリーに意外なお宝が紛れてたりする。で、権田が言うには、最近、オレンジダイヤモンドというのをしつこく探している怪しいのがいるらしいって」


「え? オレンジダイヤモンドを? 父さんが持ってたやつだ」


「ああ。でも最初は、自分の事とは全く結び付けずに何気なく聞いていたんだ。そうしたら権田が言うには、『病院の経営者が、過去にバカ高い鑑定額をつけられていた先祖伝来のジュエリーがあったはずなのに、それが忽然と消えていて、別居中の妻を疑うも、どこに隠したか消えたのか、分からない。何れにせよ宝石というのはこの業界に流れてくるので、目を光らせている』と。その経営者の側近に危ない橋を渡ってきたような身元の怪しいのがいて、その男が人も使い、今、調べているのだとか。それで冷水を浴びせられたように、自分の中で何かが繋がった。父さんが昔もらったのは、その怪しい奴が探している宝石に違いない、と閃いたんだ」


 私と璃空センパイは息を呑んだ。


「それでまず頭に浮かんだのは、これを持っているのが分かると、自分の大切な人達を危険な目に晒すかもしれないという事。つまり、母さん、菜々、翔太という家族を。そしてこれをくれた女性ひともタダでは済まされないのではないか、と」


「それで、初めはじいちゃんに金庫を譲ってもらおうと思ったのね」


「ああ。でもそれより職場である学校の方が安全なのではないかと思うようになったんだ。だから学校のロッカーに仕舞っておいたんだ。まさか、あの名門中学で盗難事件が起きて、持ち物を調べられるとは思っていなかったから」


 璃空センパイは目を閉じた。その長い睫毛が印象的だった。


「でも今ではそのオレンジダイヤモンドも警察が押収してるのよね。だったらもう誰も危険な目には合わないよね。本来の持ち主に戻っていくだけで」私にはそんなふうに簡単に思えた。


「そうだな。以前、刑事からも聞いていた。もしそうなら父さんは罪には問われないだろうって。物の価値を分からず預かっていただけだし。ただ、正しい判断ではなかったというだけ」



「正しい判断は何ですか?」センパイが訊く。


「弁護士や刑事の話では、物を意味も分からず受け取ったんなら、その敷地のオーナーであるティユルの管理者に、その時の事情を話して渡すべきだったと。もし何らか事情があってそうしないなら、警察に拾得物として渡すべきだったと」


「何となくナットク」

 そう言いながらも初恋の相手からもらった物を大切に仕舞っていたかった父さんの気持ちもよく分かった。



「昨日、平野さんって記者からも聞いたよ。ティユルの店はなくなったけど、彩城夫人がカード払いをしていたのなら、カード会社に記録が残っていて、その店を利用した証拠は残っていると。そこで受け取ったという話に信憑性が出て来るだろうって。そして父さんが受け取ってしまった事により、今、二つの問題が残された。一つは、そのオレンジダイヤモンドは当時、経営者の叔母の物だった。それを盗んだのが経営者の彩城倫也だったか、その妻の瑠璃子夫人だったかって問題。もう一つは、彩城氏がオレンジダイヤモンドは二年前までは自宅にあったと言い張っている事。父さんの持っていた物が本物ならこれは全くのデタラメか勘違いなんだけど」


 父さんの顔は青白く、浮かない感じだった。きっと瑠璃子さんが盗んだ犯人だと責められるのが辛いんだと、私には感じられた。


「とにかく菜々達の冒険もこれで終わりだ」


 そう父さんは締め括った。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る