第46話 救急外来で 父さんの後悔

 あっという間に、周りに人が集まって来る。慣れないハイヒールでつまずき、体のバランスを崩して倒れ、立つ事も出来なかった。私はみんなに支えられ、樹さんの大きな車へと運ばれ、一番近くの病院へ行く事になった。車には平野さんとセンパイも乗った。


 ナビで検索するまでもなく、樹さんは近くの市立病院まで車を走らせ、救急外来で診てもらう手はずを整えた。そして「捻挫」、「傷」なんて言葉を聞いたのまでは憶えているし、激痛も憶えている。

「すごく痛みますか?」とか、「腫れてるな」とか、「よし、あと少し」とか、「ソープ、書いたから」という会話。ん? ソープって?


 でもいつの間にか記憶は怪しくなり、救急外来のベッドの上で眠り込んでいた。


 後で聞いた話だと、足の傷を縫う時に、あまりに痛がるのと怖がっているのとで、鎮痛薬と精神安定剤を一錠飲む事になったらしい。それで眠り込んでいたのだと説明された。ちなみにこの傷は、たまたま大樹カフェの鉢植えのある所で私が倒れたため、植木鉢の縁に足が当たり、出来たもの。

 樹さんが本当に見かけに左右されず、人の認識が出来るかどうか、なんて実験を平野さんの案で試し、成功したはいいけど、その代償がこれだ。


 朦朧もうろうとしながらもやっと目覚めた私の耳に、父さんの声が聞こえてきた。


「菜々は……大丈夫なのか。お転婆だった子がやっと少し大人に近付いて落ち着いてきたと思っていたのに」とか「母親も今、骨折で入院してるっていう時に」とか。


 やっば! 父さんまで来てる。

 誰が連絡したんだろう。センパイかな?



 父さんを宥める樹さんの声が聞こえてきた。


「まあまあ、落ち着けよ。菜々ちゃんは骨折なんかじゃなく、捻挫で済んだんだから。それに、傷も痕は残らないだろうってお医者さんが言ってたし」


「それはそうだけど。にしても、記者の真似事みたいに、この間イツキのとこの店に行ったのは、見逃したけど、何だ? あの服装は」


 服装の事は後で弁明するとして、その前の父さんの言葉はスルーできない。私が樹さんの店に行って話を聞いたのってバレてたの? 二人の話は続く。

 「この間、電話した時には、普通に高校生らしい服装で……」なんて樹さんが話している。という事は、樹さんから父さんに、この間の訪問の後、電話したのだろうと推測。意外だった。その後も父さんと会っているのに何も言わなかったから。


 平野さんが父さんに話しかけるのがベッドから聞こえてきた。


「すみません。今日のファッションについては、僕のアイデアなんです。ギターコンサートの夕べに併せて、という事もあり、また現在取材中の件で必要だった事もあり、娘さんにお願いしました」


「だから週刊誌の記者に、ウチの娘は近付けたくなかったんだ。イツキは心配要らないなんて言ってたけど」


 父さんの、いつになく、強い口調だった。私は思わずベッドから起き上がり、会話に加わった。本当は立ち上がりたかったけど、支えもない状態では無理っぽかった。


「父さん、平野さんを責めないで! 今日の服装は、確かに平野さんのアイデアではあったけど、私もそれに乗ったのよ。モデルさんみたいなカッコが出来るって聞いて。正直、今日が楽しみだったの……」


 ――一番見せたかった人からは何の感想も聞けなかったけどね――


 父さんは下を向いていた。「そうか。菜々は、お洒落したかったのか。Tシャツが一番ラクっていつも言ってたし、自然なのが似合ってて。だから気付かなかったよ」


「いや、それも事実だからいいよ、別に」


 本当は、父さんも母さんも私に、女の子らしくお洒落させてやりたいって考えているのを知っていた。三年前、従姉妹のお姉さんの結婚披露宴に招ばれ、着ていく服をデパートで選んだ事があった。その時、二人はすごくうれしそうで、買ったワンピースを着た私をたくさん写真に撮っていたし。

 でも普段の生活の中では、わが家では贅沢は禁物だった。なぜならつい何年か前までは、父さんは、精華中学校では期間限定で働く契約の教師だったから。今は違うみたいだけど、安定はしていないっていうモードがわが家ではずっと続いていて、いつもお金の事でピリピリしていた。


 そのためか、いきなり父さんは病院の救急外来のベッド近くで肩をおとし、すっかりしょげている。私は、「いやいや違うよ」と言いたかったけど、もう遅かった。


 看護師さんがやってきて、後は時間外窓口でお支払いして、お薬ももらってくださいねと言った。

 樹さんが「さぁ、さっさと帰ろう。菜々ちゃんを家でゆっくり休ませてやらなきゃ」と父さんを促した。父さんはコックリと頷く。

 私は樹さんに謝った。「今日は、ゴメンナサイ。私のせいで。ギターコンサートの夕べ、台無しですよね」


「いや、それは大丈夫だよ。支配人がいるからね」

 そう言って樹さんは笑った。


 連絡していたのか、じいちゃんが車を飛ばしてやって来ていた。後部座席には、翔太が座っている。じいちゃんは、璃空センパイも送っていくからと乗せた。私がじいちゃんの車に乗ろうとした時、残りの三人の会話が耳に入ってきた。「どこか、ファミレスで話そう」と言っている。三人とは、つまり父さん、樹さん、平野さん。


 思わず「私もファミレスに行く!」と主張した。三人が話せば、水曜日の女神やオレンジダイヤモンドの話になるに決まっている。聞き逃したくない。

 でも「子どもはもう帰るべき」、「病人が何を言ってるんだ」と簡単に却下された。


 私は、帰りのじいちゃんの車の中で、もっと真剣に「三人の話に加わりたい」と主張すれば良かったと、そればかり後悔していた。



 ところがその翌日の午前遅く、太陽がすっかり上ったお昼近くに、父さんがじいちゃんの家にやって来た。ちょうど璃空センパイも心配し、お見舞いに来ていた。


 そして父さんは私に言った。「結局、父さんが秘密主義だったから、今度の事で、菜々に心配をかけたんだって、昨夜、イツキに叱られたよ。だから今日は、何もかも話すつもりだ。昨夜、イツキや平野さんに話したみたいに。イツキ、アイツにとってはほとんど結末以外は知ってる話だったけど」


 私達は縁側に並んで座った。ばあちゃんの煎れてくれた冷茶が喉を通っていくと、ヒンヤリと心地よい。外では今日もザワザワと蝉時雨が響き渡っている。でも、あれは短い命の生き物の生きてる証なんだと思い出すと、いつも通り、うるささも気にはならない。


「もう二十五年も昔、父さんは今の菜々と同じ高一だった。まだ何にも世の中の重要な事なんて分かっちゃいないのに、全て知った気になっていた」


 私は父さんの話に、じっと耳を傾けていた。そして父さんが全て話し終えた時、一つのドラマのように私の中に物語が残った。










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