第44話 オレンジダイヤモンドのジレンマ

 私はその日の帰りの車の中で平野さんに宣言した。


「わたし、一人でも、彩城、いえ、今は名字が違ってるんですよね。瑠璃子さんに会いに行くつもりです。何としてでも探し出して」


「菜々ちゃん、それは刑事から止められたんだろ。なぜか分かるかい? まず君のお父さんが今、会うと、話を合わせたり、証拠隠滅を疑われ、裁判で不利になるからなんだ。彩城氏は、妻が最近も、君のお父さんと、その……何らかの関係を持ち続けていると推測し、オレンジダイヤモンドが盗まれたのもこの二年の間と言い張っている。

 それに第一、夫人本人が誰とも会いたがっていない。今は知り合いも寄せ付けないらしい。現在は転居したけど、以前独り住まいのマンションに移った時、マンションまで来たマスコミを訴えたんだよ。かなりの額の賠償金を求められたらしい。今は結婚前の五十嵐という名字に戻っているか、離婚した母の姓、佐伯という姓を名乗っているか、そのどちらかだろう。母親の実家は鹿児島の裕福な一族らしい。本人は関東でしか暮らした事がないそうだけどね。とにかく以前は離婚した後も参加していた、彩城会の医療事故被害者との話し合いにも、最近顔を出していないんだ」


「でも、これまで聞いた話を総合すると、イヤな人には思えない。私が心を込めて話したら、父さんに渡したネックレスの事も話してくれるんじゃないかなって。父さんには罪がなかったって事、証言してくれそうな気がする」


「そうとも言えないよ」センパイは言う。「誰だってそうだけど、特に彩城瑠璃子という女性ひとは、会った人の性格や立場によって、全く印象が違うみたいだよ。その女性ひとは、菜々ちゃんみたいな単純明快じゃなく、心に闇を抱えているかもしれないし」


「単純明快……?」私は変な所に食いつくクセがある。


 平野さんが口を開いた。

「瑠璃子夫人がそんな行動をとっている理由を説明するよ。全てはオレンジダイヤモンドが中心にあるんだ」


「オレンジダイヤモンドが中心に?」


「そう。もし瑠璃子が二十五年前に、君のお父さんに『レイン湖の夕陽』を渡した事を認めたならそれは、瑠璃子にとって少々、厄介な事になる」


「どんな風に?」


「いいかい? その頃、このネックレスはそもそも瑠璃子の物でなく、その夫、倫也の物だった。夫の叔母の物だったから遺品という形で譲り受けて。生涯独身で、瑠璃子の結婚当時、実家に同居してたって叔母。さっき、話に出てきただろ?」


「あ、持病のあるとかいうお義父さんの妹?」


「そうだ。妹も気位が高くて、瑠璃子も同居するのに苦労したんじゃないかな。結婚して七年後に亡くなっている。一九九六年当時、親族である夫の物になっていた。それを瑠璃子が勝手に、知り合いの男に渡したとなると、窃盗に当たる。由々しき問題だ」


「瑠璃子さんは自分が相続したと勘違いしてた、とか?」


「いや、夫はケチで有名だからね。瑠璃子もそんなにバカじゃない。いや、バカなのかもな。結局、取り返しのつかない事してるから。本当に何があったか知りたいよ。不思議なのは、瑠璃子がそのネックレスを結婚前に夫からもらったと警察に言い張っている事。夫はこれを否定してるし、それはそれで彩城倫也が叔母から盗んだ事になる」


「そんなに一つのネックレスが重要なのかな」センパイが疑問を口にする。


「ただのネックレスじゃない。普通の人が残りの人生を優雅に暮らせるくらいの、宝くじに当たった位の金額だから。ただし、これだと社会的制裁は受けるかもしれないけど、法的には罰せられない」



「なんで? 社会的制裁って?」と叫ぶ私。


 センパイが「もしかして時効とか?」と平野さんに訊く。


「そう。二十五年も前の事なら、とっくに時効。社会的制裁というのは、社会的に、つまり周りから白い目で見られ、非難され、立場を失うって事。

 だから簡単には認めないさ。さらにそれが中学校の教諭の職場のロッカーに保管されてたなんてなると、話は尚ややこしくなる。二年以内に盗まれたという事の信憑性が増してくるし」


「じゃ、やっぱり瑠璃子さんとは簡単に会えないのかな」


「そう落ち込まないで。今度の土曜日の午後は喫茶ル・モンドに集合だ」


「今度はどこに行くんですか? 今日聞いた事をまとめなきゃ」


 璃空センパイは、平野さんとは別に今までの経緯をノートにまとめていっていた。


「いや、今度の土曜日に大樹カフェでギターコンサートの夕べというのがあるそうなんだ。樹氏に誘われてる」


「そうなの。面白そう!」私は叫んだ。


「ドレスコードがあるから、璃空君には俺の服、貸すよ」


「私は?」

 ドレスコードと聞いた私は、急に不安になった。中学の頃、従姉妹のお姉さんの結婚式に招ばれた時に着たワンピースはもう小さくなっている。


 璃空センパイがスマートフォンの通知に気を取られている間に、平野さんが私に耳打ちした。


「着る物は心配しなくていいよ。実は一つ、アイデアがあって……」


 そのアイデアに私は驚き、呆れ、そしてどうしようもなく楽しみになった。


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