第43話 水曜日の謎


 今日は、平野さんが彩城邸の近所の住人に取材を申し込んでいる日だ。

 以前、言っていた、向こうから話したがっていたという主婦にアポイントをとったとか。


 私とセンパイが取材に付き合うのも、あともう少しなのかも。今度の事件の周辺にいる人達の中には、私という関係者の身内がいる事で、取材を承諾してくれる人もいる。そういう人達への取材に少しでも貢献できたら、と思っていた。そして、早く氷の女王と呼ばれた人に行き着きたい、と。直接、会って、二十五年前に、何があって月島真宏という少年に、オレンジダイヤモンドを渡したのかを聞けたなら。




「ここから先が彩城邸だよ」平野さんが教えてくれた。


「ここから? どこまで?」


「次の、あの大きな交差点までかな。ほら、信号のあるとこ」


「めっちゃ敷地、広いし」

 私が驚いていると、璃空センパイも「大学の敷地くらいあるな」とポツリと言う。


 そこを過ぎてもしばらく大きな邸宅の並ぶ閑静な住宅街が続く。するといきなり車窓の向こうの雰囲気が変わった。広い敷地なんだけど、平成やもっと遡って昭和の香りのする家の並ぶ住宅街に変わってきた。じいちゃんの家の庭に似た感じの庭がいくつも窓の向こうを通り過ぎていく。百日紅のピンクが見えたかと思うと、大きな夏蜜柑の実った木が見える。


 そんな住宅街にその家はあった。「井川」という表札が架かっている。彩城邸の近所と言うにはちょっと離れている気がした。高級住宅街の一部とするなら、この家は浮いているようだ。



「ここの家の人が、前に平野さんが取材してた時、話したそうにしてたんですね? 家自体はちょっと離れてるけど」と私。


「ああ。彩城家の呼鈴を鳴らしていたら、通りを走っていた車がいきなり停まって、女性が窓から顔をのぞかせて声をかけてきたんだ」


「なんだ。そういう事か」


「記者と知ると、話したそうにして、でもこれから用があるからって。だから住所と連絡先だけ教えてもらってたんだ。実はこの間、一度、訪問したんだけど、留守だった。小学生の姉弟しかいなくって。名刺だけ渡したら、その後電話が編集部にあって、あの家の人の事で前々から話したいと思っていた、留守にしていたのは非常に残念だって。アポをすぐとったよ」


「つまり、本当に話したい事があるって事か」とセンパイ。「でも僕達のような高校生がついて行くのは不味くないですか?」


「いや。この家の人には、親がここの家の被害に遭った高校生達が来ると言ってるから」


 璃空センパイは、そんな平野さんの軽妙というか強引な所に、いつも通り唖然としていた。


 玄関のベルに出てきた女の人は、母さんよりだいぶ年上のように見えた。笑顔で垣根を作らないタイプみたい。高級住宅街にいるタイプに感じられない。


「井川政子です。はじめまして……よね?」井川政子さんは、私達を上から下まで観察して言った。


「いえ、知人に似ている気がして。これでも顔が広いのよ。あ、ここはね、元々、高級住宅地なんかじゃないのよ。先祖伝来住んでいた土地がいつの間にか高級住宅街になっちゃったの。駅から程よく離れてて環境はいいわ。それで周りの土地を彩城さんや他の資産家が買い占めちゃったのよね」とまるで、私達、訪問者の疑問を読み取ったように話し始めた。

「この間は孫しかいなくてごめんなさい」


「いえ、いいんです。彩城さんとはご近所付き合いをされているのですか?」平野さんが訊く。


「近所付き合いはないわ。離れて見えるけど一応同じ町内なのにね。いろいろ、町内の案内をポストに配ったりすると、『ウチはそういう町内の活動には参加しませんから。勝手にポストに投函するのは犯罪になりますよ』なんて言われて頭にきてね。町内の清掃の日に道を掃除してても、何か盗んでるんじゃないかって疑われるし。あなた達のご家族もきっとひどい目に遭わされてきてるのよね」


「いや、まぁ」隣のセンパイが苦々しい笑顔で私の方を見る。


「はい」私は答える。だって私について言うと、被害にあったのはホントだから。


「それって全部、前彩城夫人からですか?」平野さんがメモを取ろうとする。私は、一瞬、レストラン、ティユルで夫人が他のお客さん達にとったという大きな態度を想像した。


「まさか。違うわ。ご主人の方よ。私、奥様とは仲が良かったもの」


 意外な返事に、私達三人は「え?」と顔を見合わせていた。


「それは夫人とは近所付き合いがあったって事ですか?」


「近所付き合いというわけではないわ。外で偶然会う機会があって、お話するようになったの」


「外で? 話しかけにくいタイプではありませんでしたか? 写真等で見る限りでは、とても会話が弾むタイプには見えませんが」平野さんは雑誌の記事の切り抜きを見ながら言った。


「美人さんで、貴婦人のオーラはあるわね。でも噂で言われてるような嫌な女性ひとではないわ」


「と言うと?」


「そのままの意味よ。我儘で威張っている人には感じなかったわ」


「最初、どちらが話しかけたんですか?」私は訊いた。友達になる時、話しかけるタイミングってある。


「というより、助けてくれたのよ。この間の孫達の父親、つまり私の息子が小さい頃は体が弱くて、病院の前でいきなり喘息発作が出てしまったの。突然の事だったけど、偶然瑠璃子さんがいて落ち着いて適切に処置し、看護師さん、お医者さんを呼んでくれたわ」


「……それじゃあ恩人なんですね」センパイが呟く。


「そう、とても感謝しているの。そんな事した後でも、偉そうにせず、さり気ないのよね」


「夫人は、その時、彩城病院で、看護師をしてたって事ですよね?」と平野さん。


「それが違うの。市立医療センターだったの。小児呼吸器科の専門医がいるのがそこだったし、彼女の方はお姑さんの診察日で、付き添いで来ていたの。まだお姑さんと同居してた頃ね」


「え? お姑さんは息子さんのやっている彩城病院にかからず、他の病院にかかってたって事ですか?」平野さんは訊く。


「そんな事もあるわ。だってあの方のお姑さんは、神経内科の有名な先生が主治医だったし、彩城病院には神経内科自体がなかったから」


「そんなものなんですね。それじゃあ患者に付き添っている同士で喋るようになったってわけですか」と平野さん。


「そうね。意外と気さくで、いつも向こうから挨拶してくれたの」


「何か全てが意外過ぎます。気さくってどんな風に?」と私は訊いた。 


「どんな風にって言われても……。あ、高価なアクセサリーにしか興味がないと思ってたけど、私が身に付けていた友人の手作りのアクセサリーをすごく気に入ってね。それで友人にオーダーメイドで同じような。ネックレスを頼んだりもしたのよ。副業でクリエーターやってるような、ほんの駆け出しのコの作品だったのに。あ、それから、私、軽自動車を運転してたんだけど、それを彩城さんは羨ましがっててね。本当は瑠璃子さんも軽自動車を買いたかったらしいの。彼女は小柄だから、大きな自動車は運転しにくいみたいで。でも旦那さんが見栄っ張りで、外車にしろって、勝手に決めて買ってきたそうなの、ポルシェを」


「え? 彩城瑠璃子さんって小柄なんですか?私みたいに背が高いと聞いてますが」と思わず訊く。


「あなたみたいに背が高くはなかったわ。でもほら、ハイヒール履くと十センチ以上高くなるのよ」


「ポルシェか……」平野さんが呟く。「贅沢な悩みですね」


「そう。これを友達に話すとみんな笑い話にしか聞こえないみたいなの。でもね、彼女、大きな車に乗るのに本当に恐怖すら感じるみたいで、結局ポルシェに乗る時にはお手伝いさんに運転手になってもらってた。やっぱりそういうのって夫の愛情を感じない。だから離婚したって聞いた時、やっぱりなって思ったの。それなのに中傷されてかわいそう。年下の男と付き合ってたなんてあり得ないわ。お姑さんの介護に毎日一生懸命だったもの。それにお義父さんの妹さんも同居していたけど、体が弱くて、持病があったみたいなの。だから一人で抱え込むようになったらしくて。二人が病気で亡くなられた後、しばらく週一でジムに通っていたのよ。旦那さんが隣町の総合病院に出張する水曜日にね」


「え? 水曜日?」私は思わず声が大きくなった。ったらしい


「一九九六年の初め頃かしら。そう、うちの弟がちょうどその頃同じジムに通ってて、それが同じ水曜日だったの。雰囲気は違ったけど、例のオーダーメイドのアクセサリーで分かったって。だから確かよ」


「じゃあジムは午前とか? だって午後はレストランに行ってたんじゃないかなあ」と平野さん。

「そんな事はないわよ。弟がジムに行くのは夕方だったのよ。あ、お茶が冷めないうちにケーキと召し上がってね」


「はい。あ……」私はその独特の風味を最近味わった気がした。


「それね、ハーブティーなの。菩提樹の花のお茶よ。リラックス効果があって、よく眠れるの。これも市立医療センターで彩城瑠璃子さんから教えてもらったのよ」




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