第16話 副社長

 峰岸さんは、いきなり話しかけられたのに戸惑いを表情に見せず、私の差し出す生徒手帳に、手を添え、眺めた。


「月島菜々さんでいらっしゃいますね。お父様のお名前は何と仰るのでしょうか?」


「月島真宏と言います。以前、ここでバイトをしていたそうです。おそらく十九年前から二十二年前くらい」


「私がヨーロッパに留学していた頃ですね。ですからでしょう。直接の面識はない名前です。学生時代から父の店の従業員の名前はバイトを含め、全員知っていましたから」


「では、お父さんの代の話だったんですね」

 私はふうっと溜息をついた。すかさず璃空センパイが言った。


「いつ世代交代したんですか? その頃のスタッフで、今もこの店に残っていて、当時を知っている従業員の人はいますか?」


「まず両親は健在です。父はまだこの店の事実上のオーナーで社長です。普段は副社長の私が店の管理を行っていますが」


「え、なんだ! そうだったんですか?」

 その言葉に私は心の中で歓声をあげていた。健在というのは、元気で話を聞けるという事だ。


「そして現在の従業員の中に、当時のスタッフは誰もいません。最も長いのが、ちょうど私の帰国後に就職してきたあちらのマネージャーになりますので」

 そう言ってちらりと中年の店員の方を見た。それは残念な情報だ。さらに副社長さんは続けて言った。


「この店の奥が自宅になっていて、両親がそこに今もいるので、話ができるか、訊いてみましょう。母も店の事をしていましたので、大分記憶力は衰えてきていると言えどもバイトの学生については憶えているでしょう」


「そうしてもらえるんですか?」


 店にはさっきの黒尽くめの服のおばあちゃん以外、時計の電池交換に訪れたお客さんがいるくらい。今日は暇な日なのだろうか?



 やがて副社長さんが戻ってきて、「話ができるそうです」と笑顔をみせた。副社長さんに案内され、自宅の方へ向かう時、心なしか他の店員さんの視線を感じた気がした。

 例のサキちゃんは、他のケースの商品を持って来るよう言われたらしく、「なんで私ばっか」と言いながら、通り過ぎた。その際、私達の方をチラ見した。


 店と自宅の間には、土間があり、そこで靴を脱いだ。木の床の渡り廊下を通っている時、副社長さんから少し離れた所で、璃空センパイが呟いた。

「たぶん……最近同じ用件で誰か来たんだと思う」


 私は、心の不安を取り払うように、「勘違いですよ」と答えた。



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