第13話 ソフトクリーム
私と璃空センパイは電車に乗り、目的地の駅まで、並んで座席に腰掛ける。目的地は、記者の人と待ち合わせた場所ではない。その前に私には訪れたい場所があった。
電車の他の乗客達からはきっと、遠出をしている幸せな恋人同士のように見えているだろうな。正面に広がる大きな車窓に、夏の風景が目まぐるしく駆け抜けていく。河、ビルディング、観覧車、雲……。
やがて着いた駅。駅前の広場は、人でいっぱいだった。それでも、私達の住む小さな街とあまり変わらない雰囲気に思えるのはどうしてだろう? みんな夏の陽射しの下、ニコニコして幸せそうだった。心なしか、通り過ぎる人の年齢層が高いような。
「この辺はね、東京の下町と言われてる場所なんだよ」とセンパイ。
「ね、そこのソフトクリームを食べてから行かない?」
駅前の広場には、懐かしい感じの、ソフトクリームやホットドッグを売っているお店があった。今どきに多いキッチンカーでもない。
「いいけど。ただ……」
「ん?」
「これから行く場所の方がもっとオシャレなスイーツのお店があるかもしれないよ」
「いいの。あまり本格的なのより、こういうとこのソフトクリームの方が好きなんだ」
記者の人と待ち合わせたのは午前十一時半。でもそれまでに私は、父さんの若い頃にバイトしていた店を訪れたかった。それで降りた駅だ。
五分後には私達は広場にあるベンチに腰掛け、ソフトクリームを食べていた。もちろん定番のバニラ。
「ね、センパイってカノジョ、いますか?」
「いないよ。どうして?」
「もしいたら、誤解されちゃうようなシチュエーションだからです。それ聞いて安心しました」私は内心、本当にほっとしていた。
「逆なんじゃない? 菜々ちゃん、華やかだし、こっちは超ジミだし」
「そんな事ないです。私は大きくて目立っちゃうだけです。ところで……」
「ところで?」
「ウチの父さんって中学生達にとってどんな存在だったんですか? あんまり若いコから受けが良いとは思えないんで」
センパイの頬が緩んだ。
「そんな事……ないよ。僕も数学パズル部のみんなも本当に尊敬してた」
「まぁ、パズルを解くのは得意だもんね。でも世の中の事を数学のように、公式に当てはめて考えてるんじゃないかってとこがある。だから今度の事には驚いたの。なんで危険を承知で、路上で訳の分かんないものを受け取ったりしたんだろうって」
「うん。矛盾してるよね」
「難しい言い方。でも何だか父さんにその表現、合ってます。矛盾の人」
「僕の友達がね、中学の時、文芸部にいたんだ。その子の書いた詩が、詩や短歌の全国誌に載った事あってね。その時、文芸部の顧問は良かれと思って、一つだけ接続詞を変えたんだ。『が』を『の』に。友達は勝手に詩を編集した顧問の教師に怒った。でも周りは、オマエ何様なんだって感じだったよ。文芸についてよく分かっている人間が、より良い作品にしようって手を加えてくれたのに感謝しないのかってね」
「そっか。そっちへ行っちゃうよね。で、どうしたの?」
「友達は一時期、部から遠ざかっていたよ。誰も自分を応援してくれず、孤立無援だって。学校も休みがちになった。でもね、月島先生が言ってくれたんだって。数学だとプラスをマイナスに置き換えると全く結果が違ってくるのにねって。友達はそれに何だか救われたって言ってた」
「そっかー。そんな事、言ったのか。父さんらしいというか。それにしてもその言葉に救われたという事の方が意外かも」
「だろ? 人なんてそんなもんだよ。意外な事が救いになったりする。僕はその話を聞いて、月島先生らしいなって。そういう所、先生らしさを分かってる一部の生徒からは人気あったよ。その人らしく生きてたら、たとえ一握りでもファンはいるもんさ」
「らしさ、かぁ」
「どうしたの?」
私は由乃の事を思い出していた。この夏一緒に夏祭りに行った大野君と付き合い始めたって。すごく大野君の趣味を気にして、変身している。髪を毎日カールさせたり、明るいブラウンのカラコンを入れたり。黒髪ストレートと真っ黒の瞳が一番の由乃の個性だったのに。
「私の親友の事、考えてたんです。好きな人に合わせて、無理してるみたい」
「無理だって言ってるの?」
「ううん……」
「だったら黙って見守るしかないんじゃない?」
「そっかぁ。それが大人の対応ですね」
「うん……。それに菜々ちゃんの親友のコの気持ちも分かる気、する。好きな人の眼を気にするって……」
「え?」
「何でもない。ソフトクリーム、食べ終わったね」
私にはコーンの端っこをカリッと食べ終わった余韻。ちょっとさっきのセンパイの発言は意味深で、気になった。
「じゃあ、行こうよ。その、月島先生が昔バイトしていたというミネギシというお店に」
「ハイ!」
私は昔、父さんから店の名前を聞いていたし、昨日の夜、ネット検索し、予習していた。それでスマートフォンの地図アプリで場所を特定し、ナビ開始を押した時、そこから目的地につながる道は、どこか懐かしい気持ちさえ抱かせた。目的地までは十四分。
今から父さんの若い頃の話を聞くんだ。ちょっと前までなら、「あり得るー」とか「こういう事、しがちだな」とか、そういう話を期待していただろう。でも今は、意外な事実があったらどうしようという不安が心に、黒雲のように押し寄せてくる。
でも高校時代にしていたバイトの話はしないくせに、大学時代にバイトしていたミネギシの店の名は、たまに父さんの話に出てくる。多分だけど、良い思い出のあるバイトだったんじゃないかな。
私達はナビ案内にしたがって、真夏の舗道を並んで歩き始めた。
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