第5話 スーパーボーイ

 夏休みまであと三日。今日は、母さんの入院している病院に必要な物を届けた後、じいちゃんに車で家まで送ってもらった。


 今日一つ、大きなニュースがあった。少し救われるようなニュース。学校にあったトロフィー等の盗難に関して、犯人の一人が逮捕された事。トロフィーを飾ってある学校を狙った窃盗団のメンバーとみられていて、他に二人、実行犯がいる事を仄めかしているらしい。三人ともネットで知り合い、この学校の中に共犯はいない事を証言した。一部の週刊誌は、校内の防犯カメラに教師と侵入者とが話をしている映像が出てきたと報道した事について、根拠のない事実だったと謝罪した。当然だ。

 この事での父さんの容疑はやっと晴れた。ネットのニュースでは、さっそく父さんを疑った記事に対し非難のコメントが相当付いているとの事。由乃情報。私はネットニュースは読まない。父さんについて、どんな事が書かれてあるか、分からないからだ。

 とにかくあとは、学校に父さんが保管していたという装飾品に関する疑いだけになった。少なくともその時は、そう思っていた。



 じいちゃんの車が走り去って、私が玄関の門を開けようとした時、藍色の薄暗がりの中で近付いてくる人影があった。とっさに固まり、身体が動かなくなった。その警戒は本人を数秒見るまで続いた。私と同い年位の男子で、見覚えがある。小柄で真面目そうな高校生。制服は大倉高。この辺で一番の進学校だ。そんな風に見えるような、見えないような。バンビを思わせる、華奢な顔立ちのせいかもしれない。その眼で記憶が遡った。


璃空りくセンパイ?」


 その時、私を玄関で待っていた弟の翔太がいち早く、その人物に気付き、声を張り上げた。

「スーパーボーイのお兄ちゃんだ!」



 それは、何年も前に父さんが顧問をしていた数学パズル部の生徒で、ウチにも何度か遊びに来た事のある宮田璃空みやたりくセンパイだった。と言っても私は違う中学だったので、学校の先輩というわけではない。ただ年上と言う事で、そう呼ぶ習慣がついただけ。年上と言ってもたった二才だけど。ただその華奢な身体以上に、大人っぽさや能力を感じて、敬語まで使ってしまう。

 パズルに関しては、父さん以外誰も敵わない位の腕前だったのだ。翔太は、敬意を込めて、スーパーボーイのお兄ちゃんと呼んでいた。父さんが一度スーパーボーイと呼んだのを真似したのだった。


「うん。菜々ちゃん、翔太くん、久しぶり」


「父さんなら用事で出かけていて、いつ帰ってくるか、分からないんです」

 父さんはまた仕事帰りに警察署へ呼び出されていた。


「いや、前に借りていたボードゲームを返しに来ただけだから。ずっと気になってて」


「あ、でも上がって下さい! ゲーム、返しに来ただけで追い返したなんて、父さんが知ったら叱られますから。何と言っても私達にとっては、スーパーボーイですからね」


 私と弟について家の中に入った璃空センパイは言った。

「いつも通りの菜々ちゃんで良かった」


「もしかして、やっぱり知ってるんですか? 父さんの事」


「実はすごく……気になってた。何か出来る事はないかって。トロフィーの事で疑われているけど、あれは一人で動かせるような物じゃない。絶対違う」

 私は冷蔵庫からペットボトルのカフェオレを出してコップに注いだ。コップを手に取り、璃空センパイは静かに言った。


 私は、今日の一番のニュースを伝えた、

「それは、ね。実はもう解決したんです。半日前に犯人の一人が捕まって。仲間が捕まるのももう時間の問題です。さっきそれを知ったとこ。でも父さんの味方になってくれて、すごくうれしいです」


「そうだったの。先生の無実、証明されたんだ」


「でも全部じゃない。別な事で疑いがかけられているから」


「別な事って新聞に出ていた装飾品ってやつ? ロッカーから出てきたとか。あり得ないな。先生に限って。潔癖な人だから」


「でしょ? でも所持品の中から出てきたのには間違いなくて」


「きっと事情があるんだ」


「私もそう思います」


「とにかく学校の物の盗難に関ついては容疑が晴れてほっとしたよ」


「ありがとう。父さんもセンパイに会いたかっただろうな」


「あの……先生には、僕の事、気にしなくていいって言っておいて。気にしなくていいからって」

 璃空センパイは強調した。


 気にしなくてって、どういう意味ですかと聞こうとした。でも言葉は途中で宙に消えた。


 翔太が最近買ってもらって、夢中になっているジグソーパズルを持ち出し、璃空センパイに披露し始めたから。


「ね、このパズル、一緒にやろう! この空いたとこ、分からないんだ」


 そして二人は居間のテーブルに広げたジグソーパズルを前に、盛り上がり始めた。外国の、虹の架かった滝の写真のパズル。私は肩が凝りそうで、翔太に誘われてもいつもつい断っていた。


 璃空センパイは、ピースを何個か手に取ると、それまで埋まらなかった空間をいとも簡単に埋め始めた。それでもきっとそれは璃空センパイが翔太に気を使って、程々に手を抜いているんだろう。あえて翔太自身が早くピースを発見できるよう、誘導している。

 こんな平和な風景は久し振りだった。思えば小六の夏、センパイが初めて家に来た日から、次に来る日がいつも楽しみだった。


 でも三十分もすると、センパイは「もう帰らなきゃ。今日は楽しかった。また先生の家に来る日があるなんて思わなかった」と帰り支度を始めた。


「ちょいちょい来て下さい。あ、でも私達、この夏休みには祖父母の家て過ごす事になったんですけどね」

 それはじいちゃんと父さんが決めた事だった。


「あ、ちょっと待って」

 私はじいちゃんからもらっていたお惣菜の袋を一つ出した。このコロッケ、美味しいんですよ。ウチのじいちゃん、かささぎ商店街で肉屋をしているんです。そこでこういうお惣菜も売ってるんですよ。絶対美味しいから食べてみて下さい」


「ありがとう。本当、菜々ちゃんって良い意味で変わらないよね」


 そう言って帰って行く璃空センパイの後ろ姿を私と翔太は見送った。心の中では、「ありがとう」の言葉がリフレインしていた。








 

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